十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

我なくして宇宙なし

2023年09月30日 | 一法言

 先に「我ありて宇宙あり」ということを書いた。

 逆の言い方になるが、「我なくして宇宙なし」なのである。

 大方の人は、宇宙の広大さと比べたら、自分なんて比べようもない小さな存在、そんな小さなものがいようがいなかろうが、宇宙としては何の変化もないと考えそうである。

 しかし、どんな小さな存在も宇宙の中にある以上宇宙の一欠片、宇宙の一欠片である以上宇宙の法則が働いている。

 今あるその一欠片を存在しないものとすると、法則の働かない完全な無の空間ができることになる。宇宙は何か力の働いた場であるから、そこに完全な無の空間ができたとしたら宇宙はその穴に落ち込んで崩壊することになる。

 つまり、我という一欠片がある以上、それなくして宇宙は存在し得ないということになる。

 まあ、宇宙の中にある素粒子は、4つの力を有しているという。強い力、弱い力、電磁力、重力の4つ、中で電磁力と重力の影響範囲は無限大。宇宙内のものは遠い近い、力の強弱はあっても皆、繋がっていて切り離しようがないということである。

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彼岸になったらいつも思うこと

2023年09月25日 | 一法言

 夕方、花屋の前を通ったら、彼岸用にと花が売られていた。

 そういえば、今日は秋の彼岸の6日目。明日までが彼岸の期間となる。墓参りや寺の行事に参加する人も多い。

 「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、快適な季節ともなり、彼岸のイメージにも合う感じがする。でも、今年は特別暑かった、今日も真夏日、明日も真夏日の予報である。

 彼岸というのは、迷いの世界である此岸との対比として架空の理想世界と想像されたパラレルワールドに過ぎない。

 川によって区切られた二つの世界があって、手前から向こう岸に渡るイメージ。

 そうではない。前にも書いたが我がいて我の世界が展開しているのである。清浄な世界を見つけてその世界に入ることによって自身が清浄になることではない。誰かに連れて行ってもらうことでもない。世界は自分の影のごとく切り離しできない。

 自業自得。自身の世界が汚れているなら、自分自身が浄化しなければならない。

 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(阿含経)である。

 諸悪莫作 衆善奉行は善悪を意識し悪を捨て善を目指す、意識脳を浄める修行法、それはそれで必要なことであるが、善悪という部分に拘ることになる。

 自浄其意は綺麗汚いの話ではない、真に清浄ならそれは透明にして覚知できない。

 瞑想では届かない。つまり、只管打坐の坐禅をするしかないのである。

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宇宙が先か 我が先か

2023年09月15日 | 一法言

「宇宙が先か 我が先か」

 普通に考えたら、宇宙が先に決まっている。宇宙の開闢は138億年前、その中に我は生まれてからわずか数十年、比較するまでもない。

 しかし、我を客観的に観察しただけである。

 そんな我は我ならざるものに取り囲まれてそれから圧迫を受け、日々苦悩の連続である。そこで何とか自由に振る舞える領域、つまりテリトリーを作り、その中で快楽を得ようとしている、それが多くの人の幸福である。

 仏教はそんな人生は苦しみの人生でしかない、煩悩だらけの人生から解脱せよと説く。無我、空、涅槃とか言って我の存在を否定する。そうすることで「安らぎ」の生活、人生が得られるかも知れない。

それでよいという人はそれでよいかも知れない。それも一つの価値観である。

 しかし、そうするためには長年修行に専従しなければならない。多くの人はそんな生き方ができるわけはない。

 世俗に生きる我々は「安らぎ」もほしいが、「生き甲斐」もほしい。生き甲斐は働きによって得る、そのためには働きの場がいる。働きの場といえば、学校、会社、社会といったものが考えられるが、ところが得られないと考え、悩み、不満を訴える人も非常に多い。

 さて、この働きの場、安らぎの場として、誰でも同じ共通の場、宇宙を提示したいのである。

 さて、ここより宇宙より我が先なのか、お話しなければならない。

 1 100年前の宇宙、あったに違いないだろうが我はまだ生まれていない。そんなものがあろうがなかろうが、どうでもいいことであろう。

 2 次に生まれる瞬間を考えてみよう。その前は過去、過去は過ぎ去り、存在しない。我が生まれてその瞬間新しい宇宙が生まれる。我と新生宇宙とは同時である。

 3 我の人生を考えるのであるから我が優先する。

 4 我がいて宇宙もある。我がいなければ宇宙も存在しない。

 5 我が時々刻々宇宙に変更を加えている、宇宙創造を行っているのである。

 6 我の造った宇宙は当然永遠である。我と宇宙は一体である、とすると我の生命も永遠ということになる。

 7 人生の目的は、宇宙創造である。そこに生き甲斐と安らぎがある。

 我がいて宇宙がある・・安らぎ
 我が宇宙を創造する・・生き甲斐
 今ここが宇宙の中心・・働きの場 

 生命力は宇宙力 

  

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阪神タイガース 18年ぶりセ・リーグ優勝

2023年09月14日 | 一法言

 大阪人として、素直に優勝を喜び、祝福したい。

 18年か、長いね。待ちかねていたファンは大喜びだろう。

 道頓堀川はきれいになったというが、飛び込みはやはり危険、馬鹿者が出ないことを祈りたい。

 「追記」

 やはり、出た。道頓堀川に飛び込んだ阿呆が8人。

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親が先か 子が先か

2023年09月13日 | 一法言

 「親が先か 子が先か」 なんてクイズめいたものを昨日お示ししましたが、お考えいただいたでしょうか。

 普通に考えたら、親が子を産むのだから、親が先ということになるはず。

 子が先というのはどういう理屈か?

 簡単です。親は子が生まれて初めて親になる。子が生まれる前はまだ親ではないということ。

 第1子はそうかもしれないが、第2子を生むときはもう親ではないか、親が子を生むことになるのではないかと考えられる向きもあろう。

 親子関係においては、親は子の対関係、子がA、Bの二人なら、Aの親であり、Bの親でもあるということになる。

 さて、次は「宇宙が先か 我が先か」について、書いてみたい。もう答えはお分りでしょう。

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親が先か 子が先か

2023年09月12日 | 一法言

 前回は「鶏が先か 卵が先か」で、Bingの回答を紹介したが、今回は人間の生まれについて「親が先か 子が先か」について考えてみたい。

 で、今回もまずBingに問うてみたら、どちらの死が先か、つまり、相続の問題として回答が表示された。再度、生まれの後先を聞いてみると、「鶏が先か 卵が先か」の回答になってしまった。

 Bingの回答には期待しえないので、私の答えを言ってしまうと、「子が先」となる。

 どういう理屈でそうなのか、考えてみてください。回答は明日にします。 

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鶏が先か卵が先か

2023年09月09日 | 一法言

 ○○が先か、◇◇が先か で、書いてみたいことがある。

 ○○が先か、◇◇が先か というパターンでは、まず「鶏が先か卵が先か」という有名な問題がある。自分では結論が出しにくいのでBingに聞いてみた。それが次の通り。

 思考の傾向によって、結論が変わってくるところが面白い。

 私としては、鶏が先。鶏が生んだ卵は鶏の卵。卵が先ならその卵は何が生まれてくるか分からない。それが鶏の卵だとするなら、先に鶏が生んでいたことが分かっていることになる。

 Bingの「仏教では」の説明は、私の頭では理解不能。

(以下 Bing)

鶏が先か卵が先かという問題は、どちらが先に存在したのかわからないという意味です。この問題は古くから哲学や科学の議論の題材となってきましたが、結論は学問や思想によって異なります。

例えば、遺伝学や進化生物学では、卵が先だという答えになります。なぜなら、鶏の祖先から鶏に進化した時に、最初の鶏のDNAをもつ卵が存在するからです。

一方で、生化学では、鶏が先だという答えになることもあります。なぜなら、卵を形成するためのOV-17というタンパク質が、鶏の卵巣にあることが発見されたからです。しかし、この説には反論もあり、研究は続いています。

また、神学では、鶏が先だという答えになります。ユダヤ教やキリスト教の教典である『創世記』には、神が動物を創造し、動物に「増えろ」と命じたという記述があります。この考えに基づくと、「卵よりも鶏が先」という結論になります。

仏教では、時間は循環しており、歴史は繰り返されるという「循環時間論」と呼ばれる考え方があります。この考えに基づくと、時間は永遠であり、最初も最後もないことになります。そのため、「鶏が先でも卵が先でもなく、この矛盾そのものに意味がない」という結論になります。

以上のように、「鶏が先か卵が先か」という問題は、一概に答えることができません。様々な視点から考えることで、知識や思考を深めることができるかもしれませんね。

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H2-47ロケット打ち上げ成功

2023年09月07日 | 一法言

 JAXAによる月探査衛星の打ち上げは当初2023年8月26日に予定されていたが、雷や強風などの天候不良のために何度も延期され、最終的には、2023年9月7日午前8時42分11秒に種子島宇宙センターから無事に打ち上げられた。

 H3やイプシロンの失敗もあって、打ち上げの度にひやひやするが、成功して安堵した。

 このロケットには、日本初の月面着陸を目指す小型月探査機「SLIM」と、X線天文学の新たな可能性を切り開くX線分光撮像衛星「XRISM」が搭載されているそうである。

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