十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

玉緒が行く●縁起のよい話●

2013年02月28日 | 共生

さんまのからくりTVと長寿番組があるが、もう15年前のことになるだろうか。その中に中村玉緒がレポーターとして各地に出かけ一般の人間ならとりえない常識から逸脱した言動をクイズにして浅田美代子ら回答者に当てさすという「玉緒が行く」とコーナーがあった。

また、当時我が家では家内が財布の中に溜まった1円玉をビンに入れて貯めていたことがあり、落ちていても拾われもしない価値の小さな1円玉にスポットを当て別の角度からその価値に考えてみる文章を作ってHPにアップしていたことがある。

近頃エントリーが途絶え勝ちでそれでも毎日多くの来訪の方もおられることでもあり、繋ぎに読んでいただけたらとアップすることにした。

玉男と玉緒の1円玉兄妹の漫才仕立てで書いている。 


●縁起のよい話●

 玉緒|兄さん。えらいこって。
 玉男|どないしたんや。慌てて。
 玉緒|ここの奥さんがビンのお金も一杯になったんで、あのケチ友銀行へ預けに
      いかはるそうでっせ。私らもいよいよ身売りされて行きますんやなー。
     兄さんともお別れかも知れまへんなー。うち、悲しいわ。ワーワー。
 玉男|あっちこっち渡り歩いて人間さまのお役に立つのが、われわれの使命とい
      うもんや。まあ、泣くな。
         [ガチャ、ガチャ、ジャラ、ジャラ]
 玉緒|兄さん。よー見たら私ら2枚だけ奇跡的に残ってますがな。
 玉男|ほんまや。まあ、よかった。
 玉緒|これも日ごろ信心してる観音様のお陰に違いないわ。手合わせとこ。ナ
      ム~~。
 玉男|知らんかったなー。いつから観音さんの信者になったんや。
 玉緒|へへー。観音さんは何でも願い事を聞いてくださるそうですよ。ありがたい仏
      さまですな。
 玉男|現金な奴やな。
 玉緒|はい、1円玉は現金でござりまっせ。へへへー。
 玉男|負けるわ。しかし、玉緒。何百枚の中から我々2枚だけ残ったのは、確率的
      には滅多にあることではないが、こんなことで驚いていたらあかん。
      世の人間たちが本気で驚かんならんことがあるんや。ちょっと話しは長く
      なるが遺言のつもりで聞いてくれ。
 玉緒|それはたいそうな。
 玉男|できるだけ分かりやすく話をするつもりや。まず、1升の米は何粒あるか
      分かるか。
 玉緒|数えたことあらへんから見当もつきまへん。何万もあるんでしょう。
 玉男|72842粒。旦那の師匠が大正時代に小学校で教わったらしい。実際に
      1勺だけ数えてみたら730粒あったらしい。とするとだいたい合ってる
      な。で、3億粒の米の量いうたら何立方になるかわかるか。
 玉緒|見当付きまへんな~。
 玉男|7.4立方メートルや。これを例えば4畳半の部屋に敷き詰めると高さ1m
     になるんや。その米粒一つ一つに尾っぽをつけておたまじゃくしのように
     動き回っていると想像してみ。その中からたった一つを選ぶ競走をすると
     したらどうなる。
 玉緒|3億分の一の確立でっか。可能性0に等しいやおまへんか。18頭立ての
     競馬当てるのもなかなかむずかしいのに。
 玉男|どういうことかというと人間の生殖活動を分かりやすく考えてみようとし
     てるわけや。大体自分はどうして生まれてきたのか。考えたことがない人
     が多すぎる。精子と卵子が結びつくぐらいのことは知ってるが、それ以上
     の頭は働かさずに、神様の思し召しであったり、仏の御計らいであったり、
     誰かさんの生れ変りですましているやないか。
 玉緒|コウノトリがつれてくるの違います?へへー。
 玉男|からこうたらあかん。さて、3億というのは1回に放出される精子に数や。
     ヨーイドンで一斉に飛び出して卵子めざして競泳や。真っ先かけてもあか
      んで、先駈けする奴は皆討死に、前の奴が切り開いた道を後ろの奴が進ん
     で行くんや。実力も必要やが展開にも運にも恵まれんと優勝は覚束ないわ
      けや。
 玉緒|確かに厳しい競争ですな~。皆さんそのものすごい競走を勝ち抜いてきや
     はったんですな。
 玉男|ねらってできるものではない。結果として最善のコースを最善のペースで
     泳ぎきったということや。その瞬間その瞬間に確実にその位置におらなけ
     ればならない。非常に微妙だから母親の体の動き一つで位置は変わってし
     まうやろ。母親の動きには母親の生きてきた体験の全てが関わっている。
     例えば前日Aさんに出会ったとしたら、以後それに影響された母親である
     わけで、Aさんに会わなければもうその子は生まれることはないわけや。
     隣の犬も関係してるし、台所を這い回っていたゴキブリも関係している。
     で、そのゴキブリは何故這い回っていたのか。それにも原因がちゃんとあ
     る。条件がある。その因果の連鎖のどこまでも広がっているし、どこで切
     れても今の母親はないわけで、その子がうまれることもなんやな。
 玉緒|えらいことですなー。兄さん。
 玉男|この世界は、微妙精緻にできているということやな。どこかで起こった振
     動は四方八方に伝わって、その影響によって新たな動きが出てくるという
     ことやな。特に、生殖活動の場合は特別微妙やからな。
     核の連鎖反応というものがあるが、連鎖反応は何も核だけやない。一切の
     ものが連鎖反応をおこしているんや。この自分のいのちも爆発してるわけ。
     いのちの連鎖反応と言うたらええやろ。この自分のいのちが次々と新しい
     いのちを生み出している。これが本当の意味での転生と言うもんやな。
 玉緒|分かったような気もするけど、もう一つ合点が。
 玉男|わからんかなー。まあ、自分の知っている人の子の誕生に自分が関わった
     ということが納得できたら分かるやろ。自分でよう考えてみるこっちゃ。
     この世界はこの自分が創り出したもんや。自分が直接造ったものではない
     し、意図したものでもないが、創り出したもんであることは間違いない。
     一切のものは自分のいのちの分身ともいえるわけや。逆にこの自分は別の
     いのちによって創られたものでもある。神様がポンといったものやない。
     まあ、話を敷衍すると宇宙が全時間をかけ、全力でもって創り出したもん
     やということや。
     縁起というものをそう読まんとあかん。
     前世の生れ変りとか、他生の縁とか、情けは何とか、死んでから極楽や地
     獄やなんて言うてるのは「縁起でもない話」や。
 玉緒|そうなると、兄さん。世界の一切のものに関わってるとなると、責任感じ
     ますな。
 玉男|そう。アフリカで飢餓で苦しんでいる子も我が分身やからな。これをどう
     受け止めるか、何もできん我が身を嘆かんならん。しかし、グルメや言う
     て飽食してるのと人間としてどうかということやな。
     まあ、一切のものに対する連帯保証人なることと考えたらいいのかな。
     責任を負わなくてもいい時もあるし、100%負わなければならんときも
     ある。どちらにしても、責任のあることを自覚している。そんな生き方や。
     けど、旦那のところへ借金取りに来てもあかんぞ。返済能力ないからな。
     まあ、しかし、一切のものを自分のいのちの内容とするということは、生
      き方としては素晴らしいことではないのかな。生きがいもある、やすらき
      もある、死を超えることもできるしな。
 玉緒|そしたら、兄さんの話を総合すると私らもここに居てるだけで存在意味は
      あるし、それなりの働きもしてるわけですな。また、元気が出てきました
      わ。
 玉男|そういうこと。

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幸田露伴の三福の教え

2013年02月12日 | 共生

今、近くの図書館から松原泰道(2009年に101歳で死去)さんの「百歳の禅語」という本を借りてきて読んでいる。

月の初めの「福は外」というタイトルでエントリーしたが、関連で本の中に幸田露伴の三福の教えというのがあったので、記録に留めたい。

1に「惜福(せきふく)」 福を惜しむ、恵まれたものを大切にするということ。無駄にしない。
2に「分福(ぶんぶく)」 福を他にも分けるということ。自分だけのものにせず、お裾分けをするということ。「福は外」もこの正に分福ということに当たる。
3に「植福(しょくふく)」 後の人のために福の種まきをしておく。このことに関し種田山頭火の句が紹介されていた。「いつ死ぬる木の実は蒔いておく」。他人事ではなく70歳の私としても何か木の実を蒔いておかねばという思いに駆られるところである。

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福は外

2013年02月01日 | 共生

明後日2月3日は節分、大寒の最後の日。

毎年、恒例の如く節分の豆撒きは「福は外」でやろうと提唱しているが、各家庭においてはどうされているのだろうか。

福というものは外からしみったれた所にやって来るものではない。福々しくしているところに湧いて出て来るものである。

「得はマヨイ、損はサトリ」(澤木興道)

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