十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

地蔵盆

2010年08月24日 | 佛教
 昨日は二十四節気の一つである処暑、暑さが止むという意味らしいが、何の何の大阪では猛暑日続き、明日の予想も35℃の猛暑日だとか。ラニーニャ現象により太平洋高気圧が日本列島に居座っていることによるらしい。
 明後日以降はさすがに1,2度下がる予報だが、しかし、これから夏バテ気味の身体に応えてくることになる。参った。

 暑い中、実家と自転車で行き帰りしているが、途中3箇所の地蔵菩薩を祀る祠があって昨日から地蔵盆の飾り付けが行われていた。毎月24日が地蔵さんの縁日で盆の月には地蔵盆の行事が所々で行われるが、今日生涯初めて坊さんがお勤めしているところに出会った。丁度般若心経を上げているところを通りかかったのである。

 地蔵さんは「子どもの守り神」、ラニーニャ(女の子)を何とかしてくださいとお祈りしながら通り過ぎた。
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戦争の記憶

2010年08月15日 | 人生

 今日は65回目の終戦の日、武道館で全国戦没者追悼式が行われた。
 皆に合わせて12時に黙祷する。

 昭和20年8月15日当時、私は満3歳になったばかり、わずかながら戦争の記憶を有する最若年者なのである。
 
 米軍による大阪への空襲は20年3月13日から終戦の前日8月14日まで合計8回行われた。当時門真町(現在は市)の古川橋駅近くに住んでいたが、B29の来襲があると空襲警報が発令され変電所のサイレンが鳴らされる。消防団や警察が「空襲警報発令!」とメガホンで周知して回ってくる。あわてて防空頭巾をかぶって防空壕へ避難するのである。隣家は交番で共同の防空壕がなんとか全員逃げ込めるだけの大きさに掘られていた。
 
 いつの空襲だったか覚えていないが、大阪市内方向の空が赤く燃えているのが記憶に残っている。至近距離に爆弾が落ちることはなかったが、後年500mほど離れた田んぼに爆弾が落ちていたことを知った。爆弾で泥が飛ばされ丸く直径10mとまではいかないがけっこう大きな穴が空いて水が溜まっていて、皆は爆弾池と呼んでいた。近くに松下電器の工場があったからそれを狙って落とされた爆弾によってあちこちに池ができていたのである。

 3歳になるかならないかの幼少時のため断片的で不明瞭な記憶であるが、戦争体験を持っているのである。

  

2歳当時の私。

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盆行事

2010年08月10日 | 佛教

 今日、実家へ菩提寺から坊さんがお参りに来た。盆行事に前から疑問を持っていてしたくもないことであるが母が仏事にうるさいのでいろいろと手伝いする羽目になった。
 7日に施餓鬼があり参列して塔婆を貰ってこなければならず、ついでに墓参り。昨日は供え物の用意、仏壇の清掃、花瓶・蝋燭立て等真鍮製の磨き、僧侶迎の用意等諸々の雑用をこなす。
 今日はいつも拵えるお佛膳は止めにしてちょっと簡素化、母親に手伝わないから止めるように言って止めさせた。

 日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事。一般に佛教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により佛教式で行う事も強制し、佛教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。(ウキペディア「お盆」の記述より)

 盂蘭盆は『盂蘭盆経』は説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による行事だが、『盂蘭盆経』は中国で作られた偽経(ぎきょう)だといわれている。

そもそも仏教は霊魂の存在を認めていないから佛教行事ではないはず。佛教教義にないことをいつまでもやりつづけている佛教界はおかしいというべきである。

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原爆忌

2010年08月06日 | 共生
 今日は広島に米による原爆投下されてから65年、広島市の平和記念公園で平和記念式があり、米国や原爆保有国である英仏両国の代表が初めて参列した。潘基文国連事務総長も初参列し、ロシアを含めて74カ国の代表も参列し、核廃絶に向けた国際的機運の高まりが伺える式典となったようである。
 核兵器のような忌まわしい大量破壊兵器の一日も早い廃絶を望みたいところである。

 ところでこの時期原爆投下はケシカランといいそれを否定する議論が多くなされるところであるが、日本人は原爆の犠牲の上に生まれ、生きてきたと事実がある。。戦後生まれた者は原爆投下がなければ自分が生まれてくるということはなかったし、それ以前に生まれていた者も今の生活はない。それをどう受け止めるか、そのことを誰もいう人はいない。 
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