十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

俳句教室に参加

2019年09月26日 | 俳句

一昨日、退職者の同好の俳句教室が開かれたので参加してきた。

囲碁の会がなくなって、入れ替わるように1年前にできた俳句教室に参加するようになった。毎回は参加できていないが、今回で4回目の参加である。

先生役は90歳になる職場の先輩である。その先輩を含め10人集まった。

どういうことをやったのか、簡単に書いておくと、まず、先生から俳句の作り方の講義が20分をあって、続いて句会が行われた。

予め出しておく題、兼題というが、今回は秋に因み「月」。それを事前に1句以上含み5句、作ってそれを短冊に書いて持っていく。全部で50句集まることになる。

その短冊を集めシャッフルしてそれを各人に5部ずつ分配される。

それを清記用紙に書き写す。1枚の用紙にランダムに5句書かれることになる。それが順番に回されてくるので自分のメモ帳に書き写す。

全体で50句書き写す作業をした上、その中から優秀と思われる5句を自分の句以外から選んでそれを選句用紙に書き記す。

それを披講といって世話する人が読み上げを行う。そして、それが誰の作か作者が名前を言う。そのように互選された句でポイント多いものが順位上位となる。

私が提出した句は次の通り。

「台風一過指さす方の月清し」
「盆踊り浴衣乙女の舞いの舞い」
「夕立にだんじり囃子忙しなる」
「夕空に雷神の城壁高し」
「旭日の赤鮮やかに彼岸花」

1,2番目は、季重なり、初心者の教室なので基本通り作るべきということになった。

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淀川土手はキリギリスがいなくなって一句

2019年09月19日 | 俳句

夕方、淀川土手をポタリングしていると、喧しく鳴いていたキリギリスの声が全然しなくなってコオロギの声ばかりになった。

「キリギリス去りコオロギのおらが秋」

一句に季語を二ついれることを、季重なりと言って普通は避けることになっている。

今回、わかりやすい情景を描きたくて季語を三つ入れ込んだ。

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夕焼けの風景に一句

2019年09月13日 | 俳句

真夏日が続いていたが、今日は涼しい風が流れて、ポタリングも快適に走れた。

夕日の沈む方の橋の様子に一句。

「秋夕焼橋に行き交うシルエット」

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墓を変えたいという人のために

2019年09月04日 | 佛教

ヤフーの知恵袋で、「寺の坊主が気に入らないので墓を変えたい、どうしたらいいのか」という質問があったので、次のように回答した。

自分や家族の墓をどうするか、考えておられる方に一つのあり方としてお示ししておきたい。

「以下、転載」

私の実家は浄土宗の檀家です。
私はその長男、普通なら家を継いで先祖も祀ることになります。

しかし、死後の世界なんて信じてませんし、追善供養なんて馬鹿げていてする気もしません。

それで祭祀権を放棄しました、墓も仏壇も寺との付き合いも要りません、ということです。

兄弟間で当然のことながら、揉めました。結局、妹が祭祀を引き受けることに決着しました。家裁の調停に掛け、解決金を払う羽目になりましたが、一切、関わらないということでサッパリしました。

先祖の命はこの自分の身に引き継いでいる、墓なんて骨の保管場所に過ぎないと、いうのが私の考えです。

どうせ土に帰る遺骨に対する信仰なんて馬鹿げています。

葬式の後散骨してしまう、南方仏教を見習うとよいでしょう。
骨を拾えばそれの始末をしなければなりません。拾わなければいいのです。

浄土真宗の宗祖親鸞は、「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」、「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一遍にても申したることいまだ候わず」と言われている。

故人を偲ぶのに別にお寺さんは必要ありません。

 

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