十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

安泰寺住職ネルケ無方さんの講演

2012年04月20日 | 佛教

 近々、安泰寺住職のネルケ無方さんの講演会が関東方面で予定されていますので、ご紹介しておきます。以下安泰寺HPからのコピペです。ACCとは朝日カルチャーセンターのことです・
http://antaiji.dogen-zen.de/jap/index.shtml

4月28日、新宿 ACC。
13:30~15:00 講演 「菩提心について」
ターニングポイントを迎えている現代社会に、仏教は果たして何を提供できるのでしょうか。Bodhicittaとは菩提心、道を求める心です。ネルケ無方は自らの求道を振り返り、安泰寺の住職になるまでの道のりを語ります。それから道元禅師などの禅の教えにも言及しながら、これからのロードマップを模索します。椅子禅の体験もしながら、一緒に自分の生き方を模索し、一緒に社会のあり方に迷ってみませんか。

15:30~17:00 坐禅ワークショップ 「ただ坐るとは」
「禅は精神ではない・・・この身体でゆく」という禅風を受け、ネルケ無方が日本の山奥でただ坐ること20数年。頭でっかちな現代人のために、その重要性を説き、坐禅のコツを教え、あなたのバックボーンを鍛えます。あなたが今生きている、その一瞬の命の中に根を下ろしてみませんか。ただ坐るという実践から見えてくるものとは?

4月29日、横浜 ACC。
10:00~12:00 坐禅 「ただ坐る!現代人のための坐禅体験」
多くの日本人に欠けているのは、人生のバックボーンとなる精神的なものではないでしょうか。しかし、現代人が、精神的なもの=「こころ」以前に忘れてしまったもの、それはこの「からだ」だと思います。背骨を伸ばして、文字通りのバックボーンを再発見してみませんか。

13:00~15:00 講演 「禅に学ぶ 《持たない》生き方」
現代社会において、特に震災後は我慢としてではなく、もっとも充実した生き方として、『少欲知足』を実践するにはどうしたらよいだろうか。『足るを知る』ことを体感する、欲望に縛られない禅の生き方とは?安泰寺で行われている共同生活を一つのモデルとしてご紹介しながら、これからの社会の可能性を考えてみたいと思います。(講師記)
昨年の震災は、地震、津波、いまだ収束の見通しが立たない原発事故を通して、私たちにとてつもない衝撃を与えました。
経済成長至上主義にのっとった消費社会の転換を否応なしに迫られている今、仏教の「少欲知足」という考え方が注目されています。「少欲知足」とは欲望の全否定ではなく、欲望の限度を知ることが大切です。
現代社会において、その生き方は可能でしょうか。「持たない」ことから生まれる幸福とはどんなものでしょうか。心豊かな人生を送りたいと願うすべての現代人へ贈る、人生ののヒントが満載のお話です。途中に少し、簡単ないす坐禅の時間も予定しています。

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なにわ《オーケストラル》ウインズ2012

2012年04月16日 | 道楽

 クラリネット奏者西川香代さんの出演する なにわ《オーケストラル》ウインズ2012の紹介です。

 今年は東日本大震災の影響で東京の会場が確保できなかったようで、2公演とも大阪で行われます。違う演目となるので練習量も2倍で演奏者もたいへんのよう。

 5月3日(木・祝) 4:00
 大阪・ザ・シンフォニーホール


 5月4日(金・祝) 4:00
 大阪・ザ・シンフォニーホール

 チケットはもうすぐ4/18発売、例年だとすぐ売れ切れるところですが、今年はダブルなのでどうでしょう。ひょっとしたら売れ残りも・・・。

 私は2日はきついので1日だけにしました。西川さんにどちらがよいかと尋ねたら5/3を勧められました。2日目は演奏者も疲れてしまっているのかも・・・。何せ3時間超を2回やるのですから。

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花見サイクリングでやっと12000Km本日達成

2012年04月14日 | 道楽

 毎年、桜ノ宮公園、大阪城への花見にサイクリングで出かけているが、今年はまだ蕾の時期に出かけただけで満開は見れずに落花の時期になってしまった。

 転輪号で走っていて途中でサイクルメーターが時間表示で走っていたので気づくのが遅れたがはっと気がついて距離計表示にしたら1396Km、ちょっと気づきが遅かったら12000Kmに達したのに気づかないところだった。(前のサイクルメーターで10600Km走行済み)

 12000Kmと言えば地球円周のちょうど3割になるが、11月15日で11000Kmだから1000Kmに5ヶ月要した、どうもペースが落ちすぎたようだ。

 12000Km達成地点はちょうど毛馬の与謝蕪村の生誕地の句碑のあるところである。
 句は「春風や提長うして家遠し」である。

 桜は落花盛んで既に葉が出ているものが多くなっていたが、葉桜もまた山桜の風情があってなかなかよいものである。
  山桜を見ればやはり次の歌を思い出す。日本人だなあという感慨を深くする。
 「敷島の 大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

 

  さて、例によってコスト計算。今回は支出が4000円(JCAの年会費)、総合計 121000円。
 1Km当たり10.1円、1時間あたりの走行距離を15Kmとして、1時間あたり152円である。

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戒名をめぐる因縁話

2012年04月09日 | 佛教

 得度受戒し摂身一法居士という戒名を受けたが、これを分解すると摂身は道号、一法が戒名、居士は位号というものであって、全体を総称しても戒名と言っている。

 一法は耕法老師の一字を貰ってつけられたが、字を見て「あっ」と驚いた。祖父の法名と同じだったのである。実家は浄土宗、私が受けた戒名は曹洞宗、それが一致しているのである。

 また、その後過去帳を見ていたら高祖父が興道とあり、これは澤木興道老師と同じ。

 さらに、12年前に父が亡くなったがこの時の戒名が光照、これは先に春の詩で紹介した村上光照老師と同じという具合で、近いところで3名の戒名が一致しており何となく不思議な因縁を感じてしまう。

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得度式

2012年04月08日 | 佛教

 今日は灌佛会、特別に行事めいたことはしなかったが「南無釈迦牟尼佛」の念佛を十念した。今時の軽薄日本人はやれクリスマスだ、バレンタインデー、カーニバル、ハロウィンだとかキリスト教徒でもないのにはしゃいでいるが佛教行事を大事にしてもらいたいものである。どうも葬式と結びついたところの陰気さが問題なのだろう。

 さて、4月8日になると私には昭和48年の結婚式と昭和56年の得度式が思い出される。結婚式は当日佛滅で親が反対したがお釈迦さんの誕生日だからという理屈で押し切った。

 得度式は人生の師である内山興正老師の系譜に繋がりたいという願いから、老師にお願いして老師の仲介で法嗣渡部耕法老師にしていただくことになった。安泰寺で大地さんという出家得度する人と一緒に在家で得度していただいた。

 得度式は次に式次第で行われるが若干の違いがあるようである。大地さんには出家用の沙弥戒というのが授けられたが、それに私は「よく持つ(たもつ)」と言ってしまった。失敗だったが後でやっと気がついたのである。
http://www.sotozen-net.or.jp/ceremony/special/tokudoshiki

 まあ、式は得度式だったが在家の私にとってはその一部を簡略化した授戒会が同じ中で行われたというべきなのであろう。
http://www.sotozen-net.or.jp/ceremony/special/jukaie

 16条の戒律を受け、戒名を付けてもらい。血脈(けちみゃく)と五条衣を戴いた。

 戒名は最初「しょうしんいっぽうこじ」と呼ばれた時はどう書くのか頭をひねったが攝身一法居士という字になっていた。
 血脈は系図のことだが掛け軸のサイズの紙に木版で釈迦牟尼佛から順に歴代の祖師の名前が書かれ、お終いは内山老師の道融興正ー盡心耕法ー攝身一法居士、そこから釈迦牟尼佛に線が引かれている戻って円環を呈しているものである。
 五条衣は別名絡子(らくす)といいよだれ掛け風の袈裟である。

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追善供養

2012年04月07日 | 佛教

 今日、12年前の4月5日に亡くなった父親の13回忌法要を浄土宗の菩提寺で行った。だいたい回忌法要は命日以外の日にする場合は前倒しにするのが通例である。

 なぜ、前倒しにする必要があるのだろうか。それは浄土真宗以外は追善供養という形で行われるからである。

 それで追善供養とはこの世で生きている者が善根を積みそれを亡者に回向する、それによって亡者の点数をアップし良い所へ生まれ変わってもらおうというものである。

 もともとインドで考えられた中有という考え方に佛教が中国へ伝えられた時に儒教や道教と習合して十王経が作られた。この十王経は中国産なので偽経(ぎきょう)いわれるものなのであるが、それに基づいて法事が行われるようになった。

 初七日から満中陰までの7日と、100か日、1周忌、3回忌までの10回に十王が割り当てられそれぞれの日にちに冥土の裁判が行われる。49日までに皆生前の行状に応じた世界に行くことになるのだが、100か日、1周忌、3回忌はいわば再審である。その時に追善によって善根点がアッブしておればその裁判によって良いところへ移動できるというのである。

 つまり、裁判の日つまり命日までに善根の点数をアップしておかなければ次回回しになってしまうから前倒しにしなければならないという理屈なのである。

 ところが浄土真宗の宗旨は阿弥陀佛の本願により「臨終即往生」という宗旨である。そうすると行くべきところへすぐ行くわけだから追善など必要ない。法事は行われるが追善の意味ではないというのである。

 そもそも追善なんてものが可能なのかどうか。どうみても馬鹿げた話である。なにせ偽経に基づいたものなのである。それをできる法力を持った坊さんがどこにいるというのだろう。

 親父の場合は13回忌だが、13回忌は十王経にも該当しない。7回忌、13回忌、33回忌は日本で江戸時代にどこかの坊さんがお布施稼ぎに始めて皆が真似して始まったものである。佛教でも何でもないのである。

 だから、法要はあえて2日遅れの日付で実施した。「なぜ、後ろでするねん」と怪訝な顔をする者がいたが、「親父は極楽往生済や」という浄土真宗の理屈でやったのである。

十王 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B
十三佛 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F

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