十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

対馬で佛像盗難事件 韓国人窃盗団逮捕

2014年11月29日 | 佛教

しばらく、ご無沙汰しておりました。

長野県の北部で地震があったり、阿蘇山中岳が噴火したり、自然災害は相変わらす、死者が出ていないのが何よりだった。

衆議院が解散して師走選挙、選挙があると何となく世の中わ騒がしくなる、静かなのが好きな我輩としては有難くない。

さて、韓国人の窃盗団が対馬の寺から佛像を盗み出したが国外逃亡する前に警察に捕まったとニュースが24日報じられた。4人組で大般若経250巻も盗みだしていたようである。佛像は高さ11cmの小さな誕生佛で市指定の有形文化財だとのこと。

誕生佛とはお釈迦さんがお生まれになった時に、天と地を指さし「天上天下唯我独尊」と曰わったという伝説に基づく佛像で、4月8日の釈迦生誕日に日本では甘茶をかけてお祝いする佛像だが、11cmとは小さい。ままごとのような甘茶かけになりそうである。

12年にも韓国人による佛像盗難があり、犯人も捕まっているが、未だ証拠品扱いで日本に返却されていない。

対馬は朝鮮との交流が深く、朝鮮製の佛像が多くあるようで、日本によって略奪されたものが多くあるとの認識があるため。たとえ、盗品であってもその由来が明確で買収や贈与といった正当に受け渡しされた物以外盗品の疑いをかけ没収を目論む姿勢なのである。

今回の事件では韓国領事が窃盗団を支援すると話もある。官民一体の盗人行為には驚き入ってしまった。

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自己の世界ー十界互具

2014年11月09日 | 佛教

私が願いとしているところはどなたにも自己の世界を持ち、それを大事にしてもらいたいということである。最高の理想世界は佛としての浄土ということになるが、そこまでいかなくてもまあまあそこそこの世界を持ってもらえればそれでもよいと思っている。

自分の造った壊れっこない家に自分が住んでいるのだから、これほど気楽で安心なことはないのです。

何回も紹介したと思うが「行き先に我が家ありけり かたつむり」である。

さて、その世界であるが佛教では十通りあって、十界という。
ランクの低いのから順に、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、佛。このランキングは根性のランキングで根性に応じて世界が展開する。たとえば、三悪趣(貪瞋癡)で貪は餓鬼、瞋は修羅、癡は畜生、それらの極め付きが地獄ということになる。天上は有頂天という言葉があるようにいい気になっているということで、天人五衰といっていずれそれは衰微することになっている。金持が貧乏するのは貧乏人が貧乏のままよりよっぽど辛いことになる。

声聞は佛のそばで佛の教えを受けた者、縁覚は独覚ともいい自分で悟りを得たもの。そして、佛に近い菩薩、最高位は佛ということになる。
人間は我々のことと考えればいいが、上へも下へも行く可能性を持っているということである。

地獄へ堕ちるなんてよくいうが、そんなところが決まってあるわけではない。自分自身がそんな世界を造っているのだというのは毎度いうとおりである。

それで自分はどの境涯かということになるのであるが、そう簡単に十界に分類できるものではない。それぞれを併せ持っているというのが互具なのである。

平素は優しい人だが怒りだすと恐いとか、まさかあの人がという人が殺人したり、物欲は少ないが色欲が強いとか、鬼の目にも涙なんてこともある。人間とは欲望の束といった人がいたが、その配合加減がその人の人となりであり、その人となりに応じた世界がその人に展開してくるということである。

それともう一つはそういう性格を蔵していたとしても、それを思考や行動に表すか表さないかで世界が違ってくるということである。たとえば、風俗へ遊びに行くのは畜生界の展開だし、その身で坐禅するなら佛界の現成ということになるのである。

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