十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

七仏通戒偈

2022年11月22日 | 佛教

 近頃、マインドフルネスや上座仏教の冥想(瞑想)をやる人が増えてきているようである。

 日本にはちゃんと仏祖正伝の坐禅があるのに、新しいものに飛びつく日本人の癖なんだろうか。

 前にも紹介したことがあるが、坐禅について内山興正老師の文章を再度転載し直してみる。

 ーーー
 『龍樹祖師いわく。坐禅はすなわち諸佛の法なり。しかも外道も亦坐禅あり。
しかりといえども外道は着味の過あり。邪見の刺あり。ゆえに諸佛菩薩の坐禅に同じからず。二乗声聞も亦坐禅あり、然りと雖も、二乗は自調の心あり。涅槃を求むるの趣あり。ゆえに諸佛菩薩の坐禅に同じからず (永平広録 巻七)』

 つまり外道の人もーーたとえばインドのヨガの人なども坐禅するし、日本の生長の家の人でも、神想観といって坐禅みたいなことをやるわけです。「然りといえども、外道は着味(じゃくみ)の過あり、邪見の刺あり」と出ていますが、何か色合いがついている。味付けがしてあり、坐禅すると健康にいいとか、頭がよくなる、とかいう。インドの人たちは、坐禅して昇天の福を得ようとか、来世は天人に生まれ変わろうというのが殆どで「ゆえに諸仏菩薩の坐禅に同じからず」といいます。

 それから又「二乗声聞も亦坐禅あり、然りと雖も、二乗は自調の心あり。涅槃を求むるの趣あり。ゆえに諸仏菩薩の坐禅に同じからず」とあります。いま南方佛教の人たちは、坐禅してだんだん煩悩を細めていって、最後にはそれを全く無にするという。これはいわゆるの「自調の心」であり、最後には煩悩を断滅してニルバーナをえようというので、そういうつもりになっています。

 ところが「諸佛菩薩の坐禅」というのは、これに反して「坐禅はまっすぐにただ坐禅する」という一事に尽きます。坐禅するーーただそれだけで、何の「つもり」ももたない。これが本当の坐禅であり、これを「只管打坐(しかんたざ)」といいます、それが道元禅です。

ーーー

 マインドフルネスは上の例からするとヨガ禅みたいものでしょう。

 とすると、我々、諸仏菩薩の坐禅をやっていくしかないと思うところである。

 ところが禅門の坊さんが瞑想を取り入れているのはどうかと思う次第である。

 勿論、仏教の範疇であることは否定しないが・・・。

 佐々木閑先生は瞑想は精神の集中だと言われている。で、その言を取り入れることにして思いついたのが、七仏通戒偈である。

 諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 これを修行のやり方として2つに分けてみた。

   諸悪莫作 衆善奉行  (瞑想  念、想、観の測量あり  思い手放し)

 自浄其意     (只管打坐  念、想、観の測量なし  頭手放し) 

 仏法としてはたとえ瞑想をやってもその集中を解く只管打坐の坐禅に落ち着かざるを得ないと私は考える。

         

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新型コロナウイルスワクチン接種(5回目)

2022年11月17日 | 生活

 今日、新型コロナウイルスワクチン接種(5回目)をかかりつけ医で受けてきた。

 従来は市の受付に初回は電話、2回目以降はインターネットで申し込んで市の体育館で接種を受けてきたが、今回はかかりつけ医で申し込みができることを知って先月予約をしておいた。

 先週、今日から実施するとの連絡があり早速申し込みをし、本日午後受けてきた。

 前回はモデルナ製のワクチンだったが、今回はファイザー社のものだった。

 ワクチンの効用について、いろいろ議論があるところであるが、それなりに効果があるだろうから、受けてきた。

 この時期、インフルエンザのワクチンも11月4日に接種いている。今年はタダだった。

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136億光年離れた銀河を発見か

2022年11月10日 | 宇宙

 11月6日のNHK番組サイエンスZEROで、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡を用いて最遠方銀河を探る研究が世界中で行われており、日本の学者が136億光年彼方の銀河を見つけたとの内容の放送がなされた。

 学者は東京大学宇宙線研究所の播金優一助教である。

 彼はその3ヶ月前に従来の望遠鏡で135億年前の銀河HD1を見つけている。

 また、その前の最遠方銀河はヒミコと名付けられる130億年前のもので、これも日本人の発見である。

 放送はNHKプラスで13日まで、NHKプラスで視聴可能であるので視聴環境にある人はご覧になることをお勧めしたい。

ウィキペディア:ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%96%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%9C%9B%E9%81%A0%E9%8F%A1

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今夜 皆既月食、天王星食同時発生

2022年11月08日 | 宇宙

 日本全国で皆既月食が見られるのは2021年5月26日以来1年半ぶり。案外間隔が短いなと思ったが、今回は惑星食の1つである天王星食も同時に見ることができるこれは珍しい。皆既月食と惑星食が同時に見られるのは1580年7月26日以来、442年ぶりだという。332年後に土星食が見られるということだが、ひょっとして核戦争があって人類が滅亡しているかも・・・。

 月の陰にに天王星が入るところは見なかったが、陰から出てくるところはテレビ画面で見たが、予測されたものだしそれほどの感慨もなかった。

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無我について

2022年11月04日 | 佛教

 私は2年半前から、駒澤大学の佐々木閑名誉教授のユーチューブ講座を視聴している。説明が一般向けに分かり易く説かれていて、いろいろ学ばせていただいて仏教に関心のある者として非常に有り難いことだと思っている。

 ただ、仏教信奉者としてもこれは認められないと、思うことがある。一例を挙げれば輪廻説である。死んだ者がそのままの続きとして再生してくるなんて信じようもない。

 輪廻思想は先生も信じていないと言われているが、講義としては阿含経に書かれているとおり輪廻を前提として話をされている。

 信じていないけれど、学問としてはお経に書かれていることを解説しなければならない、先生もジレンマを感じておられることであろうと思う。

 さて、昨日の講座は十二処に関するものだった。六根があって、六境があり、それら要素を集めたものを自分だと思っているが、その自分は錯覚である。元にである十二処は無常であり、苦であり、無我なのであるから、それが集った私というものも錯覚で無我なのであるという説明である。

 ところが私はこの説明が気に入らないのである。自分はちゃんと存在しているではないか。自分は存在しないという意味の無我はどう考えておかしい。

 バラバラしたものを先に持ってきて、それが無我だからつなぎ合わせて出来上がったものも無我と言っているのである。

 そもそも、無我なんていうのも先に思考力を持った人間が先にいて言えるのである。無我よりも自我が先である。

 十二処も五蘊も生きている人間を観察して、頭の中で分析思考したものでしかない。実際に分けることもできないが、分ければ生命は死ぬことになる、そんなものをつなぎ合わせても生き返ることはない。

 では、無我とは何か。限定できないということ、肉体も精神も常に変化しているし、それだけで存在し得ないということ。つまり、無限ということ、宇宙一杯ということである。

 生命体が存在するためには、空気、水、食べ物、着る物、寝るところがいる、それらは地球上にある、地球は太陽がなければ存在し得ない、太陽は銀河、銀河は宇宙、みんな揃って自分という存在がある。宇宙全体の力で生きているのである。

 物と物がどうして繋がっているのかというと、電磁力と重力による。電磁力と重力はその影響範囲が無限大なのである。我々、地球を介して月や太陽に繋がっているのではダイレクトに繋がっているのである。

 これが仏教で言う縁である。縁は切れない、相手を遠ざけることはできても絶対に切れないのである。

 佐々木閑名誉教授 仏教講座
https://www.youtube.com/watch?v=7hfQ9gyOS-4&t=617s

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