十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

世界観(どんな家に住んでいるか)

2016年04月29日 | 宇宙
佛教 :自家
自己が造った世界の真中に主人として住んでいる
一神教:借家
神が造った世界の中に住まわせてもらっている
神と人間は大家と店子の関係
罪人であり罰として労働させられているのだから刑務所というのが合っているかも知れない
神道 :共有住宅
神も人間も自然も一つの世界の中で共存共生している
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闘病記 風呂3

2016年04月27日 | 生活
今日は3回目の風呂の日である。
10時半頃、女性が2人、ストレッチャーを引いてやって来た。2人とも20歳代と見受けた。一人は20歳前半、もう一人はもう少し歳上といったところだ。

若い方は志田未来と似ていて可愛い感じだし、年上の方も面長の美形の女性方だった。

スッポンポンで若い女性に全身を洗ってもらうのは何となく気はずかしいが、仕方がない。まな板の鯉ならぬ、ストレッチャーの上の痩せ男、お任せするしか仕方がない。

頭の天辺から足の先まで、ジャブジャブときれいに洗ってもらった。

サッパリするのはいいのだが、ヤッパリ自分のペースでゆっくり湯に浸かりたいものである。

後刻、彼女らに出会ったが、照れくさい。参ったね。
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天地創造

2016年04月25日 | 佛教
一神教では神が天地を創造したという。
天と地のような広大ものが、人間のような複雑なものが、どうしてできたのか。自然にそんなものができあがるはずがない。超越的な力を持ったものが造り上げたに違いない。
その力の元、その力の持ち主を人格化したものを神としたのである。

そのような力を考えるのはよい。そのような力を信仰するのも悪くはない。

一神教の良くないところは、その力を人格化し人格神としたところである。

あまりにも人間くさくて、人間の持つ性格、悪徳も一杯有している。妬み、怒り、従う者と従わない者へ扱いの差が酷過ぎ等。

自分が造ったものなら、そのことに責任を持つというのが全うな人間だし、神なら尚更というものである。

神に背くようなどうしようもない出来損ないの人間こそ救済の対象としなければならないはずである。それだって神が造ったのではないのか。神なら救済できるはず、全知全能なのだから。

今、世界中を騒がせテロを起こしている連中は、神、神と言いつつ、神の裁きを信じず神の代わりをしようとする。これなんか神を冒涜する行為と言わなければならないだろう。 日本の軍歌に「天に代わりて不義を討つ」なんて歌詞があったが、こういう不遜な精神を懐いたから戦争に負けたのだと言えるのだ。

さて、佛教では天地創造ということはいわないが、佛教としての天地創造を考えてみたい。

天地とは前から述べているように十方世界のことである。十方世界は自分が生まれて来ることによって展開する世界である。生まれて来なくても世界は存在するという主張もあるだろうが、たとえ、世界があってもそこに自分がいなければ何の意味もない。いや、意味がないということすらないのである。

生物にとっては「生命があって、その周りに独自の世界が展開する」、つまり、それぞれが世界を持っているということなのである。何もの、何ごとも「命あっての物種」である。

そこでどのように天地創造するかということであるが、外界からその時その場の状況を五感により情報として取り入れ、頭の中にそのイメージを貼り付け、イメージの世界を作り上げて行くことなのである。

具体的な例として新生児からの発達過程を考えてみると分かり易い。誕生した時、五感のうち目以外はちゃんと働いているようで、目の視力は0.1で、20cmくらいまでならやっと見える程度らしい。数ヶ月経つと0.6くらいの視力を得る。

赤ちゃんの初めの世界には、おっぱいとお母さんの顔くらい、後はぼんやりとしたものだが、段々と認識できるものが増えてくる。世界が広がってくるのである。やがて、教えられた言葉と実物とが結びつき、物の区切りがはっきりしてくる。物を知り言葉を覚えることにより、世界が広がると同時に明確なものとなっていく。

これが佛教的天地創造である。生まれてからこの方、我々は時々刻々天地創造を行っているのであり、その世界の中心で生きているのである。



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闘病記 携帯電話、タブレット

2016年04月24日 | 生活
入院時の注意書きには、携帯電話は使用禁止、PC、タブレット、アイパッドは持込み禁止となっている。

外との連絡は公衆電話で書いてあるが、寝たきりで身動き取れない中で家族等にいっぱい連絡しなければならないことが生じる。どうしても使わざるを得ないことも多い。母親も入院となるとその機会余計に増える。

相部屋の人も皆携帯電話を持ち、大っぴらに使っている。マナーモードにせずに着信音をそのまま鳴らす人が多い。

病室には電波が障害を起こすような機器もなく、他の人も使っていてご互い様だから、遠慮しつつも携帯電話を使用している。相部屋の人は何にも言わないし、看護師も使用を見かけても何にも言わない。

携帯電話は認知症の老人以外皆持ち込んでいるようである。

我輩の場合、他に7インチのタブレットを持ち込んでいる。このブログもそのタブレットからの発信である。

ガラケー、タブレット、WiFi、電気カミソリの充電を看護師に隠れてやっている毎日である。
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闘病記 ベッド変更

2016年04月23日 | 生活
昨日、ブログの記事を投稿してから、考え直して電動ベッドに変えてくれるよう申し入れておいた。
空きがあったら回すように言っておくと、話した看護婦は返事をくれた。

今朝になって、向かい側の人と話をしていたら、来週に退院するという。その時には何とかしてもらえると、勝手に思い込んでいたら、思う間もなくベッドがあったからベッドを替えてくれると看護婦がやってきた。

一緒にきた助手と2人でベッドを入れ替えてくれた。遠慮せず言っといてよかった。逆流性食道炎で薬も処方されているのだから聞いた以上放っとけなかったのであろう。

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闘病記 リハビリ病棟 逆流性食道炎

2016年04月22日 | 生活
昨日は午後、レントゲン検査で写真を5枚撮った。

今日は10:30にリハビリ病棟へ移った。案内の看護婦が真ん中でいいかと尋ねるので構わないと答えたが、部屋に着くと窓側空いていたのでそちらにしてもらった。

前のと同じ位置が取れたのでよかったと思ったがベッドが電動ではない。逆流性食道炎という持病があるので横になった時は傾斜をつけた方がよいのだが・・・。

負傷する前は食後ずっと体を起こしていたのだが、負傷後家にいる時は座布団で傾斜をつけるようにした。

入院したら腰に負担がかかるから傾斜をつけたら駄目と言われてしまった。二律背反、どちらを取るか、まずは腰から治すしかない。

1週間程した時、30度の傾斜までならよいということになった。それまでも別に食道が痛むということがなかった。
胃酸を抑える薬を飲んでいたからかもしれない。

これからはずっとここに居なければならないし、注意を払って具合が悪くなるなら替えてもらわなくてはならないと思う。

案内の看護婦がいうのに、相部屋となる3人は物静かだが神経質、そのつもりでと、変なことをいう。以前何かトラブルがあったのかも知れない。

確かに2人はずっーとカーテンを引いたままである。

午後、主治医が回診に来て良くなって来ている旨告げてくれた。

リハビリは日曜日のみ1回、後は午前と午後の2回となった。

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闘病記 認知症

2016年04月21日 | 生活
入院中の患者にとって、療養環境も大切だ。
おなら狂騒曲を奏でるくらいならお互い様で許容範囲だし、大便臭もその延長線にある。

困ったのは認知症の患者である。母親も認知症で、施設でもいっぱい出会って来たし、それなりに理解しているつもりだが、近くで寝食を共にするとなるとやはりストレスがかかってくる。

前に書いたHさんに続いて、1週間ほど前に廊下を挟んだ向かいの個室に入院してきた老人がいた。とにかく大声で泣きわく。わー、あー、うー、イタイとか、他に何と書いていいか分からない声を出す。イタイくらいしか意味が分からない。

こりゃ、ストレスだと思いつつ、戸口の被害のきつい人が何にも言わないし、こちらも動けず、外の様子もよく分からないので、数日やり過ごした。

歩行器で歩けるようになって、その部屋を見ると声だけで男性と思っていたのが女性だった。Tさん。どこが悪いのか知らないが声だけは元気一杯だ。
半分サイズの扉が開いていて大声が廊下に拡散。
「おいおい、なぜ扉を閉めないの」頭に来て看護師に苦情を言うと「患者さんの様子がすぐ分るように開けている」という。「夜昼構わず喚かれてはこっちが適わん。閉めてくれんと」。こんなやり取りをして扉を閉めてもらった。

戸口のKさんは自室の部屋の入口を閉めて声を防ごうとしていたが、ガラリがあって遮音効果が乏しい。Kさんも怒っているのに言わないでいたのである。

次の日も夕飯時に大声を出してきたので、ナースコールで連絡、扉を閉めてもらった。前日こちらが頼んだことが全然他のスタッフに周知されていない。これでは駄目だ。

それで夜巡回に来た看護師に周知を図るように頼んでおいたが、どこまで行き渡るか?マークが付く。
案の定今日の日中も扉が空きっぱなしになっている。

さて、3人目は昨日入院してきたYさん。
熱を出して肺炎を起こしているらしい。言語が不明瞭で言葉によってはスタッフが何度聞き直しても聞き取り不能。
点滴しているのにじっとしておられず動いて点滴が外れたり自分で抜いてしまったりもした。
結局、Hさんと同じく認知症の患者ばかり集めた病室に転室ということになった。

患者が悪いわけではなく、それぐるみが病気なのだから。病院側の対応がまずいようだ。どこかの部屋へ試しに入れてみてまずけりゃ変えるというのは如何なものか。事前に患者の状態を見極め、部屋割りをするべきだろう。

また、Tさんの例のように特異なケースにはその人だけに注意を向けるのではなく周囲にも気を配るべきだと思う。
扉を閉める、事情を言って了解を求めることなんかあって然るべきだと思うのである。








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闘病記 風呂2

2016年04月20日 | 生活
今日はリハビリ担当者が休暇で、訓練も揉みほぐしもなしで自分で自律的に動くしかない。
なんて思っていたら、入浴日だという連絡がきた。さっぱりするのはいいのだが、他人様に何から何まで見られ触られるというのは大いに抵抗を感じるところである。

「お風呂ですよ」と、声がかかったので見ると、女性の研修生だった。「おいおい、見学付きかよ」、後ろを見ると他の2人も。

女性ばかり洗いの担当が今日はこの前より一人増えて3人 (20代、30代、60代といったところ) 、ギヤラリーが3人、に囲まれ、ストレッチャーに乗せられて風呂場へ連行される。

風呂場で脱衣婆のするが如く着衣を剥がされスッポンポンに。女研修生が「恥ずかしかったら目を瞑っています」という。棒も玉もSサイズの我輩としては「カナワンナ」なと思いつつ「構わんよ」と強がりを言った。言ってしまうと度胸が据わる。

後はシャワーでジャブジャブ、女性方に弄ばれて、一丁上がり。
サッパリした~!!
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闘病記 歩行器

2016年04月19日 | 生活
昨日から歩行器で歩行訓練をするようになった。
まず、リハビリ室で歩行器の使い方を教わり、50m程の廊下を2往復した。痛みが出ることもなく歩けたので、便所へ一人で行けるということで、そこで実際に障害者用便所に入って動作を練習、OK。

リハビリ終了後、母のところへ様子見にいくと、前日と変わりなくこのまま落ち着いてくれればと喜ばしいのだが・・・。

部屋に戻ってから、しばらくしてから一人で便所へ行き小便を出す。うまく行ったのでこれから随分楽になると、思ったが実際は尿瓶の方がずっと楽だ。

この日は無理せずこれ一回だけ。ここでおむつも取れてさっぱりした。

この病院では病衣等の入院用品は持込みとリースがあり、多くの人はリースを利用している。リースだけなら¥400、それにおむつを利用すると、大だけなら¥700、大小ともに使うと¥1000のセット料金となっている。

これでおむつ代が減って少し助かりだ。

今日は大便を便所でしてきた。おむつの中へするのと大違い。さっぱりした。気持ちがいい。

ついでに書いておくと、大便もおむつを使わず、便器で取る手もあるが、する前に看護師を呼ばなければならないがすぐ対応してくれるかどうか分からないし、下痢の時などうまく行かない恐れもある。それで鬱陶しいがおむつを利用した。


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闘病記 放屁

2016年04月18日 | 生活
入院して半月過ぎたところ。
部屋は5人部屋で、我輩が入った時は4人目だった。
その後、6人の人が入れ替わり10人が相部屋となった。

一番若い人で66歳、つまり、妙齢のおじいちゃんばかりだ。看護師に「おじいちゃん」と言われても仕方がないとも言えるが、孫でもない他人に「おじいちゃん」と言われたくない気持ちもある。

相部屋の方々がおじいちゃんである証拠を見つけた。自分も含め例外なく時ところを構わず、ガスをぶっ放すところである。

澤木老師が言うように「屁の貸し借りはできない」のだから、自分の屁は自分でしなければならないが、それにしても遠慮がない。

数を数えたわけではないが、我輩もけっこう出ているのに気がつく。

屁に含まれるメタンガスは温室効果が炭酸ガスの25倍、羊や牛のような反芻動物のゲップが問題となっているくらいだが、音、臭のみならず公害を撒き散らしているようだ。

ブリッ♪♪
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時空を超えて「人間にとって神とは何か」2

2016年04月16日 | 科学
タイトルに釣られて、モーガン・フリーマンの司会する番組の紹介をしましたが、期待はずれでした。
宗教的な体験は、皆、頭の働きに過ぎないことを実験的に一部のサンプルを示したに留まるものだった。

たとえ、それだけしかやっていなくても、結論は神は人間の頭の産物というのなら話は分かるが、神の存在を否定も肯定もしない曖昧なものとなってしまった。

2,3言っていたことを挙げてみると、
1 本質主義
* 目に見えないものを信じること。そのものに見られていると感じるとズルができなくなる。
*感じるものに形を与えようとする。
2 体外離脱
癲癇患者を調べ、脳の部位の一つTPJの異常により位置情報が狂って自覚する位置と実際の位置が違ってしまう。
3 脳は意味を求める
貧しい人が宗教に意味を求めることが多い
4 人間は抽象的なことを考えることができる。チンパンジーにはできない。
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闘病記 風呂

2016年04月16日 | 生活
熊本、大分及びその周辺地域で地震被害に遭われている方々に改めて御見舞申し上げます。
何かと大変でしょうがめげずに頑張ってください。

さて、かかる中でのマイブログですが、どうでもいいような話を書き散らします。

15日に風呂に入れてもらったのを書き忘れたので、そのことをちょっと書いて記録に留めたい。

先週にも風呂だと言われて、ストレッチャーでザブンと湯船に入るのかと思ったりしたが、実際はベッド上で清拭だった。身体を拭き、陰部も洗浄をしてくれるのだが、何となく気はずかしい。若い女性だと余計困る。

15日は、いよいよ風呂場での洗浄である。看護助手のオバチャンにスッポンポンでストレッチャーに乗せられて、風呂場に着くと若い男性の看護助手が待っていた。二人がかりでシャワーをかけ全身を洗ってくれた。

事故以来1月近く入浴していなかったので、久しぶりにサッパリさせてもらった。

1回の入浴で垢がきれいに落ちるはずもなく、足は粉が噴いたようになっている。

昨日、21日(木)までで点滴治療は終わり、翌22日にリハビリ病棟に移ることになるとの連絡を受けた。経過は順調のようだ。
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闘病記 コルセット

2016年04月15日 | 生活
一昨日、コルセットが出来上がって早速装着した。腰部が安定して動き易くなったのはやはりコルセットの効果なのだろう。しかし、シャツ、パジャマ上から装着しているにもかかわらず前胸部の上のところで接触が強く痛くてたまらない。

タオルを二つ折りにして胸当てとして使用している。

早速、リハビリが始まり、ベッド上での起き上がり、車椅子への移乗、平行棒の手すりを掴まっての歩行、と最初の試みは痛みもなく終了。ただ、左腰筋に若干の違和感が残ったが、数時間を経ずして消失した。

リハビリが終わった後、部屋に戻る途中で母の部屋を訪ねた。顔を会わすのは3月21日以来である。4月1日は母の意識は飛んでいたから、会ったうちには入らない。

点滴だけで来たので大分痩せた印象だし、ろれつも回っていないが何とか何とか命を取り留めてくれたようでホッとした。

今日は朝食からベッド上に坐ってできるようになった。
リハビリは昨日と同じメニューを継続、来週は車椅子で便所へ行く練習らしい。
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時空を超えて「人間にとって神とは何か」

2016年04月15日 | 科学
昨日の、午後9:00過ぎに熊本地方で震度7の地震が発生し、多くの死傷者や家屋の倒損壊、インフラの損壊等多くの損害が出ているようです。
被害に遭われた方々には心より御見舞申し上げます。


さて、今朝テレビの番組表をチェックしていたら、興味のある番組を見つけたので紹介します。

Eテレ、本日15日(金) 22:00
時空を超えて「人間にとって神とは何か」
モーガン・フリーマン

神は存在するのか?それとも人間が神を作りだしたのか?
最新科学でその謎に迫る。
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闘病記 ひと騒動

2016年04月14日 | 生活
一昨日、向かい側のベッドに老齢の男性が入院してきた。このH氏は年齢が80歳を超えている。片目は視力を失いもう一方も十分ではない。人の話を聞き取る理解力も落ちている人である。

そんな人だから夜は枕頭灯をずっと点け放し、こちらは寝にくいので看護師に頼んで仕切りのカーテンを引いてもらった。

翌日、つまり、昨日の午後3時頃、医師と2人の看護師がやって来て空気を抜いてつぶれた肺を元に戻す処置をするとか言って麻酔がどうの、モニターがどうのと慌しいことになった。看護研修生3人もやってきてベッドの周りをぐるりと取り囲んだ。

萎んだ肺が空気を抜くことで元に戻る?おかしなことと思ったので、ネットで調べると自然気胸という傷病で肺に穴が空いて空気が漏れ、その空気が溜まりそれが肺を圧迫するということである。

空気を抜いてもらってH氏は随分楽になったそうである。

さて、問題は夜消灯後である。枕頭灯はつけてあるがどうもよく見えないようである。ゴソゴソとベッド上で動いて、物を落としたり、モニターのチューブを抜いてしまったりといろいろやらかしてしまった。元に戻そうとするのがかえって悪い。いつまでもゴソゴソと埒があかないのにナースコールしようとしないので、11時前に「Hさんに手助けが要りそうです」と連絡してあげた。

来たのが最古参で口うるさいことで知られた看護師さん、早速ダメ出しの連発。声が大きく、また、よく通る、廊下や他の部屋からのその声が聞こえてくる。

「おじいちゃん」「おじいちゃんなんて言うな」「80回ってたら誰でもおじいちゃんじゃないの」

このようなやり取りがいろいろあった挙句、モニターを勝手に触られたのでは医療事故に繋がる、この部屋では管理ができないと夜中に部屋替えしてしまった。どうやら個室に移ったようだ。

我輩も関わっただけ後味の悪い出来事になってしまった。
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