諸兄は何を信じて生きておられるか。あれから、お考えになられましたか。
私の答えは一度前にも書いたと思いますが、
今、自分が絶対的に確信することは何かということである。それは自分が今生きているということである。それは明日太陽が昇るより確かなことなのである。太陽が昇ることを疑う人は誰もいない、誰しも絶対的に確信することのように思えるが、これはそうではない。何となれば自分が存在しなければ自分にとって太陽が昇るとは言えないし、時間も場所も不明なら確かめようもないのである。
自分が今生きているということは、今誰しも確信できることである。まともな人間なら俺は死んでいるなんてことはありえない。
今生きているということは、五感が働いていることである。五感が働いて生きていること実感できる。そして自分の周りの世界の認識する。認識するからあらゆるものが存在するのである。認識しないことは自分にとっては存在することにならない。
自分がいて自分の世界がある。この確信が自信というべきものである。
「自己の拠り所は自己のみなり」(法句経)です。
自分がいて自分の世界がある。このことを日本臨済宗の開祖栄西禅師のこう述べておられる。
「天地、我を待って覆載(ふうさい)し、日月我を待って運行し、四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。大いなるかな心や」
覆載:天が覆い、地が載せる 四時:春夏秋冬 心:いのち
内山老師の自己生命図を再掲すると以下のとおり。