十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

自動車に轢かれかける

2019年08月30日 | 生活

昨日のこと、いつもの通りサイクリングに出かけたが、途中で雨がパラパラしかけてきたので、淀川の土手道へ出ずにショートカットして一般道で帰ることにした。

2車線の歩道付きに道路である。歩道を走っていたのであるが、歩道用の信号が点滅しているのを見て、スピードを上げて渡ってしまおうとした。

ところが、横断道路の少し手前で信号が赤に変わってしまったが、車は停止中だしエイと渡ってしまおうとした。

そしたら、反対方向から進行してきた車がクラクションを鳴らして右折してきて、危うく接触しそうになった。接触して転倒したら怪我すること間違いなしのところだった。

高齢者の運転する車の事故が多発しているが、あの車が高齢者なら反応が遅くて危なかったも知れない。

無理は禁物、気をつけよう。

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雲水行脚の風景に一句

2019年08月24日 | 俳句

昨日から二十四節季の処暑に入った、暑さものピークも過ぎたよう。

雲水行脚の風景を詠んでみた。

「夏草や雲水の傘連なりて」

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墓参りに一句

2019年08月16日 | 俳句

先祖がどこにいるか。
天国、地獄、六道、浄土、墓、位牌、etc。バラバラである。

奈良時代の薬師寺の僧、行基の歌には次のようにある。

山鳥のほろほろと鳴く声聞けば 父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
                                                     
(『玉葉和歌集』巻19-2627)

結局、生き残っている者がどう考えるかである。

盆の時期、墓参りする人が多いが、どういう気なのだろうか。

「墓洗ふ何処におわず逝きし人」

こんな気持の人もいるだろうとて、一句。

墓洗ふが秋の季語。

 

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お盆考ー敬遠

2019年08月13日 | 佛教

今、お盆で墓参りに行かれる人も多いと思う。今回はお盆行事のけったいさを書いてみたい。

ところで、甲子園では高校野球の真最中でもある。
野球には敬遠というものがある。過去には高校野球で星陵高校(石川)の4番打者松井秀喜に対して明徳義塾(高知)が5打席連続で敬遠するという作戦をとって物議を醸したことがあるのを思い出した。

日本では先祖を祀る心情が強いが、やっていることは敬遠ではないかと思えてくる。

盆に1回、ご先祖が帰ってきてまた霊界に戻っていく。これだと年に一回切りのことになってしまう。
盆に墓参りもおかしい、家に戻ってきているのに、何故墓へ行くのか。

ご先祖はどこにおられるのか、位牌に魂(性根)を入れる、お墓に魂入れをする、はたまた、お浄土へ行かれているのか、それとも六道を輪廻されているのか。

何も定まらない混沌感情のまま、風習としての行事をやっている。

ご先祖を墓や仏壇に棚上げし、拝んでいる、正に敬遠である。

では、先祖はどこにおられるのか。

古代ギリシャの哲学者 キケロはこう言っている。
「死者の命は生ける者の記憶に留まる」
本師内山興正老師の言葉にも「死者の霊魂とは生き残った者の間にただよう亡き人の残映である」とある。

ご先祖は心の中のイメージとしてある存在なのだということ。

また、身体は先祖の命がDNAに込められて、それが自分の中で働いている。

つまり、自分の中で先祖は生き続けているのである。

ところが、死んだ人をバラバラにして敬遠し、たまに思い出し、拝んでいる。それも自分でやらずに他人にお経を読んでもらう、おかしな習慣がつけられたものだと思う。 

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なにわ淀川花火大会

2019年08月10日 | 俳句

天神祭の時は、花火が見えたが、淀川花火は方向が違って全然見えない。

音は風向きのせいか、結構大きく聞こえてる。

花火は見えないので、TVの中継を見ている。テレビできれいに見えるが、音は外から聞こえる音に迫力がある。

「淀川花火風が運びし音涼し」

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勇敢なミミズに一句

2019年08月08日 | 俳句

酷暑の中、淀川土手の焼けたアスファルト道へ長さ20cmほどのミミズがノコノコ出てきて道を横切ろうとしていた。

今年は少ないけれど去年はミミズの黒焼きが点々としていたので、こいつも死んでは可哀想と思って草むらに戻してやった。

翌日、周りを見てみると、ミミズの姿はない、無事だったようだ。

「命懸け焼けた道這うミミズかな」

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梅雨明けの一句

2019年08月03日 | 俳句

長い梅雨が明けて、連日の猛暑。細身の身体には暑さが応える。

「梅雨明けや雷神の城壁高く」

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平均寿命最高更新 女性87・32歳、男性81・25歳

2019年08月02日 | 生命

日本人の平均寿命が最高を更新した記事が出ていた。

https://www.sankei.com/life/news/190730/lif1907300032-n1.html

果たしてこれが結構なことなのだろうかと、考えてしまう。ボケた期間が伸びただけ。子孫に負担を増やすだけ。

私も先日、77歳になった。虚弱体質で身体も細くて神経も細い、10代に慢性腎炎で3年、薬を飲み続け、運動は禁止、とても、長生きできるとは思えなかった。若い時から後5年持つかな、と思いつつ生きてきたが、77歳まで生きてきた、ビックリである。

ここまで来たら平均寿命まで持つか、後3年と思っていたら、1年延長。目標が遠くなる。顔先に人参をつけられた馬みたいに走り続けなければならない。

しかし、これから時代は大変そう。楽に生きられそうではなくなることは明白である。

さて、話変わって。寿命も近づいていることとて、身の回りの整理を始めた。終活の一環で断捨離である。

そしたら、ダンボールの底から冊子が出てきた。引っ越しの時紛らわしていたものである。内山老師の「自分と自己」という冊子である。昭和54年、40年前のものである。20冊くらい残っていた。

読んでみると、当時の地球人口は35億人とある。現在ざっと77億人、40年で42億人増。

地球が悲鳴をあげているのがよく分かる。

これから、どうなっていくのか、よくなるとはとても思えない。そんな中、平均寿命が伸びてもねえー。

適当なところでコロリと・・・。無用な延命は御免被りたい。

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