十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

那須 雪崩事故

2017年03月28日 | 世相

昨日、那須のスキー場で高校生のための春山登山訓練で雪崩に巻き込まれて高校生7名、教員1名が死亡する痛ましい事故が発生した。

悪天候下にあったにも関わらず訓練を中止せずに強行、しかも雪崩発生時には誤った指示をしていたということが判明した。次のURL参照

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-294204/

前途ある大勢の若い命が失われるのは痛ましくて何とも言い難い。

雪とはほとんど縁のない大阪に住んでいると、雪の事故と言ってもあまり実感するところはないのであるが、安泰寺で雪の事故で2人亡くなっているのを思い出す。

初めは寺が京都から温泉町へ移ってそう期間も経っていない頃、若い修行僧が郵便局へ用達に行く途中雪崩にあって死亡。

もう1回は前住職がブルドーザーで山道の雪かきをしていた時に川に落ちて亡くなるという事故。

ここでは手を合わせるしかない。合掌。

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信仰と信心の違い

2017年03月21日 | 一法言

宗教の信者がその信ずる態度を表すのにそれが信仰であったり信心と呼んだりしている。

信仰は自分の外に尊崇する神、佛、等の対象を持ちそれを信じ仰ぐことと解する。多くの宗教、宗派がこれに該当するように思う。

一方信心はというと、そもそも佛教における信の意味は心を澄浄することをいう。佛道を修めるにはこの信が何より大切なのである。

心というのは普通はココロを意味するが、佛教の心はそれよりはむしろ生命というのが当たっているとは内山興正老師に教わったことがある。

その意味で禅佛教は信心と呼ぶに相応しい。

浄土教は信ずる心が大切という意味で信心というが、阿弥陀佛と対象を自分の外においているのだから信仰の方が合っているように思う。

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3月期親睦囲碁会で優勝

2017年03月13日 | 道楽
3月の囲碁例会がいつもの碁会所で行われた。

昨日に不参加も連絡が一人あって今日は参加者は5名。
 
一人は対戦者がいなくて待機で時間つぶし。私は運良く連続で4戦できてスムーズに対戦できた。
いつもは最後の最後のところで石が取られてギブアップということが多いのだが、今日は全体をよく見て危なそうなところには用心して手入れするようにしたら、3勝1敗。
 
1敗したのは攻められて逃げ回った挙句大きくなったところで召し捕られた。
 
今日は時間が進行が遅く、時間が足りなくなってきたので、スピードアップを図るために対局時計と途中から使用することになった。石を打った後自分側のボタンを押すと時計が止まり、相手側の時計が動き出す。次に相手が石を打ってボタンを押してこちらの時計の持ち時間が減じていく。
 
初めて使ったので要領が得なくて押し忘れることもしばしば。大分時間を損したが私はそれほど時間を使わない方なのでタイムアップで負けということはなかったが、何となく急かされるので気が気でない。
 
ところで今年の年頭を飾る囲碁界の話題は昨年3月、韓国のイ・セドル九段を相手に圧倒的な強さを見せ話題を呼んだグーグルの人口知能「AlphaGo」がさらにバージョンアップして、日中韓のプロ棋士たちと対局、60戦全勝したことだろう。
 
AlphaGoがあまりにも強いので、AlphaGoが打ち出した定石をプロが真似するのが流行りだしたらしい。
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日本の宗教が消滅の危機か

2017年03月03日 | 他教

女優 清水富美加の幸福の科学で出家という話題でTVのワイドショーなんかで何回となく取り上げられているようだが、そんなに話題性のあることなのだろうか。

幸福の科学という宗教という名にも値しないような教団になぜ惹かれるのか訳が分からない。

そもそも教団の名前がインチキである。幸福なんてものは個々人の主観の問題で、客観性を重視する科学に馴染まない。

しかし、ある意味うまいネーミングである。

今の日本人は個人的幸福を追求したがる輩ばかり、憲法第13条には幸福追求権という規定まである。
つまり幸福という言葉に弱いのである。

また、信頼できるものとして科学がある。科学に基づくとか科学的とか言われると安易に信じ込む。つまり科学という言葉に弱いのである。

欲しい幸福が科学的な方法で手に入るというように理解するのだろう。
馬鹿げている、ちょっと理性を働かせれば分かりそうなものなのだ。

実際、教義とされていることはあの世、彼らから言わすと次元の違う世界の話。あの世での幸福、そんな当てにならないものをと思うのがそう信じ込むことが今の幸福ということなのだろう。

昔、ハンドルがウルトラマンという御仁とパソコン通信の会議室でやり取りしたことがあるが、すぐ次元を変えて逃げてしまう。大川総裁は9次元世界に入ることができる、焼死した作家景山民夫はあの世で指導者になっていて忙しくしているなんて実しやかにいうのは驚いたことがある。

また以前は霊言集と称して偉人を騙り、最近では今現に生きて活躍している人の守護霊にインタビューするという内容の本出している。これって騙りという犯罪行為でないかと思う。

しかし、自民党二階幹事長やらDaigoやら誰彼なしなのは驚いた。

大川には守護霊ならぬゴーストライターが憑いているのだろう。

さて、話変わって

「日本の宗教が消滅の危機か「マイルドヤンキー現象」と「スマホ」が原因と指摘も」という記事がネット上でアップされていたので紹介しておきたい。

スマホをいじっていると幸福という人が増えてきたのだろうか。

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-493278/

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