6月16日(土)雨
残念ながら今日のゴルフは中止になりました。暖かくなったとはいえ一日中雨とわかってのゴルフは若い時ならともかく、みんな年配なので当然の結果でした。一応雨の中でやる覚悟を決めて家を出ましたが、途中で電話がかかってきて相談されたので、即座に中止に賛同してしまいました。キャンセル料は発生しますが、一日中の雨の中でゴルフをしたところで楽しくないし風邪でもひいたら大変ですからよかったと思います。
今週末は明日も雨のようですから久しぶりにのんびり過ごします。それではまた。
6月14日(木)曇時々晴
こんばんわ。明日は飲み会でブログはお休みですが、明日からは梅雨が本格化の気配です。明後日はゴルフだと言うのに雨になりそうです。今年は中々良いコンディションでゴルフができません。従って良いスコアも中々難しそうです。
ところで今年のNHKの大河ドラマは平清盛ですが、視聴率があがらずまったくダメなドラマのようです。そこで平家を代表する女性と言えば悲劇のヒロイン、建礼門院平徳子と言うことになるでしょう。平家が栄えた前半生は華やかな宮廷生活を送り、父清盛の意思で徳子は15歳で高倉天皇の女御となり、翌年は中宮となります。と言っても高倉天皇は11歳ですから子供ができるのは7年後でした。ここまでは清盛の描いた戦略通りでしたが、「奢れる平氏は久しからず」の言葉のように清盛と後白河法皇との対立が深まるにつれて、平氏一門は衰退していきます。徳子25歳の時高倉天皇は死んで未亡人となり、清盛も不思議な熱病で亡くなり、諸国では源氏が一斉に蜂起していました。かくて平氏一門は追われるように西に落ちて行きます。建礼門院も幼い息子の安徳天皇を連れて屋島、一の谷、そして最後の壇ノ浦で平氏一族は女も子供も西の海に沈み果てて滅亡することになるのです。清盛の妻で建礼門院の母である時子が幼い孫(安徳天皇)を抱いて海に飛び込んだのは誰もが知っていることでしょう。むろん建礼門院も母と息子のあとを追って海に飛び込むのですが、幸か不幸か水に漂う彼女の長い黒髪が源氏の兵士の熊手の先に引っかかり、彼女は舟に引き上げられ、そのまま京都に送られることになったのです。すでに父も母も、夫も息子も奪われた28歳の建礼門院は生きていても何の望みもない悲劇のヒロインでありました。彼女は剃髪して真如覚と号し京都の北の草深い大原の寂光院に閉じこもり、ひたすら念仏三昧の生活を送ることになります。彼女の後半生はまさに悲劇のヒロインそのものです。だから京都大原の寂光院のたたずまいは憂いを帯びているような気がしてなりません。かつての父の敵であった後白河法皇が寂光院で淋しく暮らしていた建礼門院を訪れる話はよく知られていますが、はたして建礼門院はどんな気持ちで接したのか我々にはわからない話であります。彼女が美人だったのかどうかもよくわかりませんが悲劇のヒロインと言うものは誰もがきっと美人だったと思うものかもしれません。
6月12日(火)曇のち雨
いよいよ本格的な梅雨に入ってきたようです。この機会に自転車での通勤を中断して、地下鉄の駅まで歩いてみようと思います。歩数計で計測してみたところ4000歩ぐらい増える結果になりました。少し通勤時間がかかりますが、しばらく続けてみて減量にどの程度効果があるか調べてみることにします。ちなみに自転車通勤での歩数では全然効果はなかったので、今度は少しは効果が出ることを期待しています。それでもダメなら更に歩数を増やすことになるかもしれません。
さて、昨日はサド侯爵夫人のルネ・ペラジーの話でしたが、今日はワンダ・リューメリンの話をすることにします。サドがあればマゾがあると言うことで、マゾヒズムの元祖レオポルド・フォン・ザッヘル・マゾッホと奇妙な契約結婚をしたワンダ・リューメリン(本名はオーロラ・リューメリンと言う)と言う女性の話である。時は19世紀末のオーストリアである。マゾッホも貴族で警察署長の息子として、恵まれた環境の中で育ち、20歳でグラーツ大学の歴史学講師になり、その傍らで小説を書いていました。この大学講師の書く小説は、きまって驕慢な女とその女に屈従することを喜ぶ男がでてくるのです。いわゆるマゾヒズム小説なのである。こんな小説でマゾッホはたちまち流行作家になるのです。もっとも有名な小説は「毛皮を着たヴィーナス」と言う小説だそうですが、この小説では残酷な美しい女ワンダが、彼女の崇拝者である男の前に素肌の上に毛皮のコートを着て鞭を持って出て来るのです。そしてどうするかは御想像にまかせますが、とにかく多くの人に読まれるようになるわけです。そしてマゾッホの前に不思議な女が現れました。彼女はワンダ・リューメリンと名乗り、マゾッホの小説の愛読者であり、洋裁学校に通う娘でした。彼女は27歳、まだ未婚でしたが、結婚経験者のように振る舞い、マゾヒストの彼に喜ばれるような態度で接し、ある契約を交わして夫婦となりました。つまりワンダが絶対権力のある女主人で、マゾッホは彼女の命令を何でも聞く卑しい奴隷になると言う小説の筋書き通りの契約を結ぶのです。この奇妙な関係が10年も続いたと言うから驚きます。マゾッホはほんとうにマゾだったのだろうし、ワンダも負けず劣らずのサドだったと言うことになります。
やがて10年後二人は別れ、ワンダは別の男といっしょになり、マゾッホも若い女性と再婚します。その後のことは何も記録がないのでよくわかりません。ただワンダと言う女性は生まれつきのサドだったのか、それともサディストの役目を演じていたのか、演じている内にサディストになってしまったのかと言うことは永遠の謎のようです。
昨日、今日とサド・マゾの元祖となった貴族と結婚した女の話をしてみました。ヨーロッパにはいろいろ伝えられている女性の話は尽きません。レスビアンの元祖サッフォー、冷血女のサロメ、稀代の女毒殺魔ド・ブランヴィリエ夫人等々。日本にも数奇な人生を歩んだ細川ガラシャ夫人、建礼門院平徳子など話のタネになる女性はたくさんおります。またいつかこれらの人の話もしてみたいものです。それではまた。
6月11日(月)曇
蒸し暑くなってきました。これからうっとうしい梅雨になるのかと思うといやになってしまいます。アウトドアの趣味しか持たない自分としては一番ストレスがたまる時期になってきました。
ところで今日は何も書く材料がないので、ルネ・ペラジーと言う女性の話をしてみましょう。時は18世紀、フランスのパリであります。ルネ・ペラジーは変わった趣味の男と結婚したばかりに、不思議な運命に弄ばされて苦労した女性と言えるでしょう。この変わった趣味の男とはサディズムの元祖、サド侯爵でありますから、乞食女を鞭で打ったり、娼婦を集めて乱交パーティを開いたり、放蕩の限りをつくして、とうとうバスティーユの牢獄にぶちこまれてしまいます。にもかかわらず、サド侯爵夫人ルネ・ペラジーの夫に対する態度は一貫して忠実そのものでした。牢獄でつらい思いをしているサド侯爵のためにせっせと食料品、衣類、本などを差し入れに行ってました。獄中生活の不自由さにいらいらしていたサド侯爵は、ときに面会に来た夫人を口汚く罵ったり暴力をふるったりしました。そのため面会禁止になったこともありました。面会禁止の時には夫人は夫を安心させてやるためにやさしい手紙を書くのですが、これがかえって侯爵の怒りや嫉妬を招くのです。たとえば夫人が「私はとても肥えました。豚のようになってしまうのかと心配です。」と言う言葉があると、夫人が恋人を作って妊娠しお腹がふくらんだのだと考え、逆上してわめきちらします。こんな調子でわがままな夫に仕える従順でやさしいルネ・ペラジーという女性を見ていると何か妙な気がしてきます。ほんとうに従順で無垢なのか、マゾなのかよくわかりませんが、いずれにしてもお互いが分かり合った上で一種の愛情の確かめ合いのようなことかもしれません。ところが不思議なことにフランス革命が起こってルイ王朝が滅ぶと、サド侯爵はやっと自由の身になってバスティーユの牢獄から出て来るのですが、あれだけ従順だった夫人はさっさと修道院に閉じこもってしまいます。夫のサド侯爵が訪ねて行っても会おうとしなかったそうです。さてこの女心わかりますか?男にはわかりませんよね。結局牢獄に入っている侯爵をほったらかしにすることは妻の意地としてできなかったのかもしれません。いずれにしてもこう言った不思議な心のあやの解釈は小説家には格好の材料となりそうです。
ここまでです。またいつか別の歴史上の女性の話をすることとしましょう。
6月10日(日)晴
今日はマリーナのキス釣り大会、朝5時に起きて着替えをしてとにかくマリーナへ。1ヶ月ぶりのマリーナなので、出航準備手間取りましたが予定通り7時に出航しました。天気は快晴ですが朝から風が強くて、とても釣りをするコンディションではありませんでした。佐久島の島影で釣ることにしましたが、全然キスは釣れず、釣れるのはトラギス、イイダコ、シャコ、小サバぐらいでどうにもなりませんでした。しかたなく極力島影に近く以前釣れたことのある場所に船を進めアンカリング。残り1時間しかないのにまだ一匹も釣れない状態でしたが、なんとかキスが釣れ出しエントリー条件の5匹以上は釣れました。ただ小さなキスばかりでとても勝負にはならないとは思っていましたが、大の男が7人もいて釣れたキスは12匹程度と残念な結果になってしまいました。ただカレイが3匹も釣れたのはレイアにとって初めての経験でした。今回は風が強くて島影の岸に近い所が有利なのですが、ヨットではあまり岸に近づくことができないことと、ヨットでは佐久島周辺までしか行けない点で釣り船のメンバーには勝てるはずもなく、最下位と言う不名誉な記録を作ってしまいました。
マリーナのキス釣り大会は毎年参加しているレイアの行事ですが、以前は釣り船の部とヨットの部にわかれていたのですが3年ぐらい前から合同の大会となり、遠くまで行ける釣り船のチームが上位になるためヨットで出場するチームが極端に少なくなっているようです。多分ヨットをやる人達はレースの方が楽しいのだと思います。ただロートルばかりのレイアグループではレースも大変なので最近はもっぱら釣り大会に出場しているのですが、こちらもそろそろ年貢の納め時なのかもしれません。毎年同じチームが上位を独占するようになって正直楽しさも半減しているので、独自でのんびり楽しむ方が良いのかもしれません。
とにかく疲れた上に最下位はちょっとショックです。実は僕自身1匹しか釣れなかったので、大会とは関係なくもう一度リベンジしたいものです。
6月9日(雨のち曇)
今日は大変な一日になってしまいました。雨があがってから駅に自転車を取りに行ったり、本屋に出かけたり、溜まったVTRを見たり、明日のキス釣り大会の準備の買い出しに行ったり、体調不十分な状態で良く動きました。明日はマリーナのキス釣り大会にエントリーしているので、早朝(5時起き)から忙しくなるので、体調を整える意味でも、もう休むつもりです。結果は明日のお楽しみ!!
6月8日(金)晴のち雨
昨日6月8日の出来事を土曜の朝に書いています。昨日は僕の好きな居酒屋DUOで礼文島に2ヶ月あまり行くことになったウォーキング仲間のMさんの壮行会と言うことで若い女性3人と高年のおじさん2人の飲み会でした。7月末に御嶽山に登ろうと言うことになっているメンバーなのですが、僕だけがあまり自信がないため麓で待ってると言っているのですがメンバーのKさんがいっしょに登ろうと熱心に誘ってくれます。ありがたいことですが、そのためには体重を5Kgぐらい落とさないと迷惑をかけそうです。と言うことでちょっと高価な歩数計を購入しました。毎日の消費カロリーを見ながら食事をコントロールするつもりです。そんな中で昨日3人からサプライズの誕生祝いプレゼントをいただきました。なんと杖です。まだ杖を突くほどではないのですが、それは御嶽山登山用なのだそうです。どうも杖を突きながら山に登ることになりそうです。写真はプレゼントでいただいた杖です。まぁ10年後にはお世話になっているかもしれません。
一昨日、昨日とサプライズで誕生祝いをしていただけることはうれしいものです。まぁ何もないおじさんだけど楽しく食べたり、飲んだりしてくれる若い仲間がいることに感謝するだけです。今回の仲間のミポちゃんは秋には結婚することが決まったそうです。よかった。おめでとう。でもレイアは寂しくなるかもしれません。
6月7日(木)晴
今日は若い子たちにランチに誘われていたので、いつものランチと思っていました。ところがイタリアンを食べ終わってデザートが出て来てびっくりしてしまいました。大きな皿の縁にチョコレートで書かれた文字と皿の上にはローソクが1本乗ったデザートなのですから。そう言えば少し前に誕生日だったのですが、もうすっかり忘れていたのでびっくりです。年はとってもうれしいものです。僕は彼女達の誕生日も知らないと言うのに。とりあえず買い変えたばかりのスマホで写真を撮っておきました。
ちょっと照れてしまいますが、イタリア語で「誕生日おめでとう」と言う意味だそうです。お店の店長さんにみんなで写真を撮ってもらいましたが、それは非公開です。
こんなことをしてもらえるのはありがたいことです。(単純!)今更どうもないですが、ちょっとヨロッです。まぁ人生生きていればこそですね。
それではまた。
6月6日(水)晴
今日は金星が太陽の前を通過する日でした。昼に点のような金星を見ることができましたが、5月の日食のような感動はありませんでした。でも105年後まで見ることのできない光景だと言われると、見ることができて良かったと思いました。同僚からいただいた日食グラスが二度も役立つなんてありがたいことです。
ところで今日新しいスマートホンに買い変えました。やっと使えるようになったスマホですが、またいろいろ覚えなくてはなりません。60歳を超えてスマホを使いこなすのは結構大変です。若い人に教わりながら、とりあえずなんとかなりそうですが・・・。ただ自分でマニュアルを読むのが億劫になって困ります。ほんとうは時間をかけてじっくり読めば良いのでしょうけど、中々手が付かなくなってきたのは老化なのでしょうか?
現在「女のエピソード」と言う澁澤龍彦の本を読んでいます。歴史に残る美女や悪女や烈女にまつわるエピソードですが、大抵最後が悲劇的です。悲劇的だから語り継がれているのかもしれません。いずれ書くことがない日にでも紹介しましょう。それでは。
6月5日(火)曇
こんばんわです。一昨日はマリーナのキス釣り大会が延期となったため、急きょ俳句の会に参加することにしました。いつもの即席句ですが、馬群に沈み誰からも良いと言ってもらえないとちょっとさびしい感じです。今回は選ぶのにも苦労したので、まぁみなさんお上手と言うことです。いつも常連のK本さんも馬群に沈み今回はN宮先生とDUOの二人が際立っていました。お互いに影響しあい句が洗練されてくるような気がしました。残念ながら自分はいつも我が道を行く感じなのであまり進歩がなさそうです。
そして昨日は仕事仲間と桑名のはまぐり料理を食べに行ってきました。毎年この時期になると桑名に出かけはまぐりを食べるのですが、ほんとうにおいしいと思います。もっとも値段も一流なので年に一度の贅沢です。桑名のはまぐりは大和蛤と言い、汽水域でしか取れないのだそうです。毎年おじゃまする日の出さんは七里の渡しのすぐ傍にある老舗の料亭ですでに7月までは予約で埋まっているそうです。蛤の産卵時期が8月と言うことで産卵前の蛤がプクプクして一番おいしいそうです。
ところで現在「働かないアリに意義がある」と言う本を読み終わったところです。アリのコロニ―は女王アリが卵を生み、働きアリがみんな同じように働き物と思っていましたが、働きアリにも個性があってよく働くアリもいれば働かないアリもいるようです。実は全部がよく働くアリばかりだと短期的には効率が良いのですが長い目で見るとコロニーが長続きせずに滅んでしまいます。実は働かないアリは怠けものではなく、コロニーの状態に応じて働き出すそうです。これを反応閾値と言ってそれぞれのアリが働き出す閾値が違うそうです。餌が不足してくれば働かないアリも働き出すし、手が足りない大きなエサには応援に出かけるようです。働かないアリがいることによってコロニ―全体がいつも調和がとれているようです。翻って同じ社会性の動物である人間はどうなのでしょうか?企業が社員を全員働きづめにしたら短期的には効率があがりますが、いずれは滅んでしまいます。老子は無用の用と言いましたが、全体として調和がとれるような国、企業等でなければ滅亡してしまうと言うことなのかもしれません。アリは何億年の進化の中で自分達の種を存続させる方法として、そのようなコロニーを形成してきたのかと思うと、我々にも考えさせることがあるように感じました。そう言えば水清くして魚住まずと言う言葉も長い歴史の中で人間が存続して行くための本能的な直感なのかもしれません。
それではまた。