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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

長良川の鵜飼い(続き)

2007-05-12 | 訪問場所・調査地
(9)鵜は自然には7,8年の寿命らしいが、人間に飼われると「大切」にされて20年以上生きるようだ。(10)海鵜が鵜匠のもとにくると、3年間は鵜匠のもとで愛情たっぷり育てられ、それからベテラン鵜に混じって訓練が始まる。(11)宮内庁職員なので、年に8回ほど御漁場でとった鮎を宮内庁に送ると言う。(12)宮内庁式部職鵜匠は、現在、岐阜の6人と上流の関の2人の計8人で、他の例えば宇治川の鵜匠は「民間」で、観光協会等がサポートしているようだ。(13)毎日、鵜が捕獲する鮎は地元の料亭、ホテルに高値で買い取られ、その収入も鵜匠のもの。(14)5月11日から10月15日まで鵜飼いショーがあるが、後の期間は鵜匠が鵜の面倒をみる。餌は北海道のホッケ(白身)とのことだ。(15)舟に乗るのは鵜匠と船頭、「中乗りさん」の3人だ。(16)舟の先頭のかがり火の木は松である。(17)鵜と人間の交流はスキンシップに始まる。喉のあたりを撫でると気持ちよさそうにする。
とにかく、一度、見てくださいね。確かに日本の伝統行事に一つと分かると思う。
でも昨日の長良川川面は風も結構冷たく寒かった。

岐阜の長良川で鵜飼い初日を見ました

2007-05-11 | 訪問場所・調査地
今日は、長良川の鵜飼いの初日(解禁日)である。家政学会のエクスカーションで岐阜・長良川の「鵜飼い」に舟に乗って見学に行った。生まれて60数年、初めての経験である。鵜匠は現在6人いてみな、宮内庁式部職鵜匠で、聞くとどうも「特別職」で年収2千万円位と言う。男児の世襲となっている。今日から10月15日まで157日間ほど働く。原則休まずだが、中秋の名月は明るいので「休み」、後は水位が高かったり風が強かったりの時は「休み」らしい。鵜飼いの説明を聞いて「なあるほど」と思ったことも多い。(1)鵜飼いは1300年の歴史がある。即ち平城京より前からある伝統行事である。(2)時の権力者の庇護の下で保護されてきた。金華山の頂上の岐阜城は元々は織田信長の築城(現在のは復元)だが、信長も鵜匠を取り立てたようだ。(3)明治以降は明治23年に宮内省管轄となって現在に至っている。(4)鵜は海鵜を使っている。川鵜に比べて体も大きく、鮎を沢山飲み込めるからだ。(5)海鵜は海岸地方より購入、今は茨城県産が多いと言う。(6)鵜匠は独特の格好だが、松明の火の粉がかからないとか、水がかからないとかのため肌を覆う長袖である。(7)鵜の首が長いので、そこに鮎を飲み込ませて貯めようというのが人間の思惑、ために首と体の間を紐で適当に結んで、飲み込む鮎が鵜の胃の方に行かないようにしている。小さい魚は胃に行って食事となる。(8)鵜の食事は、鵜飼い行事が終わる21時過ぎに日1回だけだ。ために腹がすいて頑張るわけだ。(続く)

神戸ハーバーランドのMOSAICのフィッシャマンズマーケット

2006-11-04 | 訪問場所・調査地
昨日の続き、チーム・バイタリジェンスの会合の後、神戸ハーバーランドのMOSAICのフィッシャマンズマーケットで懇親会があった。この辺は久しぶりに来る。大昔の学生時代(1960年代)は、ポートタワーしか目だっていなかった。MOSAICという建物は文字通り様々な店がモザイクのように入っている。海の見える側に「フィッシャマンズマーケット」という店があり、3千円でアルコール以外の飲み物を含め食べ物バイキングで食べ放題であった。勿論アルコールも別途注文で飲んだ。大部屋で子どもを連れた家族連れも多い。これが「居酒屋?での夕食か」と思った。一昨日の「食育のフォーラム」で子ども達の「朝食抜き」の話と共に「居酒屋での夕食」が問題になっていたからだ。溶けたチョコレートを泉のように流して、それを具で受けてつけて食べる「チョコレート・ファウンテンchocolate fountain」を初めて見て試してみた。子ども達が群がっていた。懇親会では、ここから参加の人もいて全部とは喋れなかったが10人ほどと名刺交換で駄弁れた。帰りも京都の北に住むYさんと一緒に帰った。「けいはんなのまちづくりを考える会」でも何人かチーム・バイタリジェンスのメンバーがいるが、昨日は私一人の参加だった。(写真は神戸MOSAIC)

神戸ハーバーランドでチーム・バイタリジェンスの会(速報)

2006-11-03 | 訪問場所・調査地
今日、神戸のハーバーランドの神戸市産業振興センター9階会議室で、mixiコミュニティの「チーム・バイタリジェンス」の第三回ミーティングがあり、初めて参加してみた。mixiに入っている方は、ichiroに入って、コミュニティの「チーム・バイタリジェンス」に入って見て欲しい。ホームページはhttp://www.vitalligence.com/ である。由来は、元気な知力「Vitality & Intelligence」造語である。全部で現在146人の参加だが、神戸では20数人が集まった。兵庫県に住む「ゆうちゃん」さんと「早百合」さんが世話、全体の世話人の「アトム」さんと「koji」さんも来ていた。私は一寸遅れて行ったので、自己紹介が始まっていた。一人3分、過ぎると鈴が鳴り、学会より厳しい。その後5分休憩、「活動家」の5人が各10分の活動報告、「ゆうちゃんさん」「浦上さん」「サーナさん」「くろヒゲさん」「早百合さん」だ。最後に代表世話人の「アトムさん」が、シリコンヴァレーの歴史と現状、mixiの可能性、個の確立と社会変革について熱く語った。13時半から17時前まで。17時半からハーバーランドの「MOSAIC」の2階フィッシャマンズ・マーケットに席を移しての懇親会があった。

奈良・西ノ京の唐招提寺と薬師寺へ行く

2006-10-22 | 訪問場所・調査地
今日は10月22日、京都では時代祭りだな、と思いつつ、一寸京都まで行くのは、やや億劫で、家内と近場の奈良・西ノ京の唐招提寺と薬師寺に久しぶりに行くことにした。「奈良観光」サイトの10月の「歳時記」で調べると、唐招提寺では釈迦念仏会があり、その後に「鑑真に縁の国宝「金亀舎利塔」を拝観できます」と書いてある。入り口正面の「天平の甍」である金堂は修理中で見られないが、本当に久しぶりだし、一方、薬師寺では、玄奘三蔵院伽藍の大唐西域壁画殿で平山郁夫画伯の壁画が公開されている期間と分かったので、両方に行くことにした。唐招提寺と薬師寺の現在を比べて一口で言うと、「いぶし銀」と「キンキラ金」となるであろう。最初に、「いぶし銀」の唐招提寺に行った。ここには何度も来ている。東山魁夷画伯の襖絵(「山雲」「濤声」)が奥の御影堂にあり、6月頃に公開していて見に行ったこともある。御影堂の更に奥の鑑真和上の御廟には初めて行った。鬱蒼としていて人の子一人いなかった。帰りに芭蕉の句碑(若葉して御目の雫拭ばや)を見た。礼堂では釈迦念仏会が終わって「廊下」部で可愛い国宝・金亀舎利塔が置かれ我々は外から「ただ」で見ることが出来た。唐招提寺の金堂の修理が終わるのは3年後という。その時は、また来よう。
次に「キンキラ金」の薬師寺にも久しぶりに行った。私の学生時代(1960年代)の当時には、「凍れる音楽」と言われた東塔しかなかったが、その後、高田好胤師が頑張って、金堂、西塔、回廊と復元、更にそれらの白鳳伽藍にとどまらず路を隔てて玄奘三蔵院伽藍の整備もなって、一大伽藍の様相を呈してきている。これら全体を拝観するのは私も家内も初めてだった。新しい西塔には三層に連子窓が付いているのが目についた。東塔にはないからである。玄奘三蔵院は八角形で中に玄奘三蔵像が安置、舎利も安置されているようだ。額に「不東」とあるのは、長安から西域を通りインドにお経を貰いに出かけた玄奘三蔵としては、西へ西へ進んで決して東を振り返らない決意の言葉と言う。平山郁夫画伯のインドから中国への「仏教伝来」の壁画も見た。中々のものと思うが、前に見た東山魁夷画伯の唐招提寺の襖絵の構想力に圧倒されたことの印象に及ばなかった。率直に言って・・。でも、これらの「濃い経験」をこなすのは大変と思う今夕である。
(写真は、私が学生時代から親しむ「凍れる音楽」の薬師寺・東塔)
過去の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b922c3f210d9581fa83231bbb32e7f00

ロンドン、テート・モダーンからヴィクトリア・アルバート美術館    

2006-10-10 | 訪問場所・調査地
ロンドンの今年の具体的最後の報告だ。シェークスピア・グローブ座には未だ行っていなかったので行くことにする。それは去年も行ったテート・モダーン美術館の隣りにある。テンプル・チャーチやジョンソン博士の家に行った後で、地下鉄テンプルからBlackfrairsに行き、ブラックフライア橋を左岸から右岸に渡った。テームズ下流を見ると、右手、右岸に当の「テート・モダーン」美術館の高い塔(元・火力発電所の塔)が見え、左手、左岸にはセント・ポール寺院が見えている。真っ直ぐ下流には、遥かにロンドン・ブリッジが見える。とにかくパリのセーヌ川でもそうだったがロンドンではテームズ川沿いが、ある意味で都市景観の軸である。広く見通せるからである。ブラックフライア橋を渡り川沿いに「テート・モダーン」美術館に行った。昨年も来ているし時間がなかったので一寸入っただけだ。すぐ隣りのシェークスピア・グローブ座に行った。が、これも時間なく外観を見ただけである。ロンドン在住の高木さんには、是非観劇するように言われたが次回を期したい。そこからテームズ川のボートに乗り上流のMilbankまで行った。国会議事堂前も通った。ミルバンクに上がって対岸(右岸)を見ると高層建築が多く建っていて、都心から一寸上流に来るとそうなのか、と思った。テート美術館前を通り、地下鉄ピムリコ駅を探して、そこからVictoria-Albert美術館のあるサウス・ケンジントンまで行った。その駅から美術館までの地下道は長かった。後から考えると地上を行ったほうが良いのだが、初めてでわからなかった。美術館では、ここでも時間がなくレベル4の「建築」の所だけ見た感じだ。正面入り口から出たのだが、その上方にはヴィクトリア女王と夫君のアルバート公の姿が掘り込んであった。ヴィクトリア時代は、女王だった1836年から1901年で、19世紀の大半だが、イギリスの正に絶頂の時、勝利の時(Age of Victory)だった。今度来た時にはじっくり見てみたい。何だか「ロンドン報告」は、皆ちょっと「唾」をつけて「今度又」と言っているようでいまひとつかもしれない。ごめん、又次回頑張るから・・。
(一連の写真は、mixiフォトアルバムにアップ)

けいはんな記念公園、水景園散歩

2006-10-09 | 訪問場所・調査地
良い天気に誘われて家内と散歩に出た。「ごろちゃん」さんは、大阪城公園に行かれたようだが、私達は近場で「けいはんな市民」として、自動車で「京阪奈プラザ」裏の駐車場まで行き、歩いて「けいはんな記念公園」、園内の水景園へ行った。前に一二度行っている。張り切ってロン・パリを歩いた靴で行った。「京阪奈プラザ」駐車場は今日は無料開放、ラッキー!だった。国立国会図書館の前の「フィットネスクラブ」建物前を通って行った。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/afa696898e1a3a7102536770c7ffe0a2
この「フィットネスクラブ」も陶器さんの設計だ。中でベルトの上を走っている小父さん達の姿がガラス越しに見えた。こんな良い天気で気持ちよい日なのに、外を走れば良いのに、と思った。大通りは、歩道も広く、家内は「だだ広い、シャンゼリゼーのよう・・」と言うから、幅だけならそうかもしれないが内容が全然違うよ、と言っておいた。「けいはんな記念公園」は、京都府立関西文化学術研究都市記念公園が正式名称のようだ。芝生公園、広場と続く所には親子連れ、アベック等が多く遊んでいる。バドミントン、サッカーボール蹴り、キャッチボール等やっている。周りで座って休んでいる。手をつないで並んで寝ているアベックもいる。犬を連れて散歩している人もいて、「大いに使われている」感じだ。私達は奥(東)の水景園まで足を延ばした。ここは、入場料大人200円だが、何か証明書があれば60歳以上は無料と言われ、定期券を見せた。そこに年齢が書いているからだ。家内は運転免許証でOKだ。今後、こういことが増えるだろう。喜んで良いのか、どうか・・。ここは「水景園(すいけいえん)」と言う位なので、水の流れ、景色がポイントだ。元々あった永谷池から水を引いていて、落水、滝など気持ちが良いが、下の方に水が淀んでいるのは何とかならないか、と思った。観月楼とアプローチの観月橋が作られたものだが、二三日前の「中秋の名月」の時はどうだったのだろう。帰りは巨石の並ぶそばを通って戻った。樹木に名札がかかっていて、家内は「勉強になる」と言っていた。帰りの路で空を見上げると秋の雲が走っている。自動車でラジオを聞くと、昼ごろからづっと同じ北朝鮮が地下核爆発実験、というニュースをやっていた。(写真は、水景園の観月橋から観た景色)

ロンドンからカーディフへの旅

2006-10-09 | 訪問場所・調査地
旅の楽しみは三つあって、一つは準備の楽しみ、二つ目は実際の楽しみ(思わざることを含めて)そして三つ目が反芻の楽しみだ。ロン・パリから帰って一ヶ月ほど経つが未だ写真の整理、持ち帰った雑物(本や資料)の整理が終わっていない。紀行ブログも完全に終わっていない。去年の例だと案外集中していて、帰国後2週間でほぼ「終わっている」。去年は、しかし、ノルウエー20、ロンドン48コンテンツ計68コンテンツもあるが、今年はやや少ない感じで、しかも長引いている。
今回は、ウェールズのカーディフに行った話しだ。パリでもパリだけだったら面白くないとフォンテンブロウやバルビゾンに行った話を書いてきた。ロンドンでも1日日帰りで行ける所に行こうとなって今までウェールズに行ったことがないので、手始めで「首都」のカーディフに行くことにした。ロンドン在住の高木さんのアドヴァイスでは、もっと北の高原が景色も良く気持ち良いとのことだったが、やや遠いので次回の宿泊行きに残しておくことにした。ロンドンのパディントン駅9時45分発、往復切符をカードで買う、途中レディング等を通り、12時15分頃に着いた。2時間半位で、京都から金沢に「雷鳥」で行く位だ。ウェールズに入ると駅名もウェールズ語と英語で書いてあるが、ウェールズ語はさっぱり分からない。カーディフに着いて駅の売店でサンドイッチと飲み物を買って駅前のベンチで昼食とした。
都心部は狭くて歩いて回れる感じ、カーディフ城やカーディフ大学の方に歩いた。食後で目に付いた「スターバックス」に入って珈琲を飲んだ。不味い!珈琲は日本が一番だろう。カーディフ城に入りぐるりと見て回った。高い塔に登りぐるりと市中を見下ろして一つのことに気付いた。カーディフでは景観規制が余りきちんと出来ていないのでは、ということである。それは、町中でも感じた。市役所、大学と行って帰りは別の道で「モール」、フランス流のパッサージュも通って駅に戻った。16時頃の列車に乗って帰った。次回は、何泊かでウェールズに行ってみよう。
(写真は、カーディフ城からの市中の眺めの一つ)
mixiフォトアルバムに他の写真も掲載予定。

ロンドン、サマーセット・ハウス

2006-10-02 | 訪問場所・調査地

ここにあげた地図は、ロンドンのサマーセット・ハウス周辺である。テームズ川沿いの地下鉄Temple駅で降りてアプローチする。左手のチャリング・クロスからSTRAND通りを東進すると、半円形のALDWYCHに到達し、この右肩辺りにLSE(London School of Economics and Political Scienceエル・エス・イー)がある。1982年~1983年に私が研究員でいた時は、地下鉄「北部線」を通じてHolbornまで来てKINGSWAYを南下して通っていた。サマーセット・ハウスがこんなに近くにあるのに名前は聞いていたが中に入ったことはなかった。今回、ロンドン在住の高木さんの推奨で入ってみて「素晴らしい空間だ」と思った。STRANDのサマーセット・ハウスの隣りがキングス・カレッジでLSEと共に「ロンドン大学」に含まれる。更に東進するとFLEET STREETで新聞街でもある。Temple駅に最も近い辺りに先に紹介のテンプル教会地区がある。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ffec0abff982646d880b695b3f74fa38
東正面にセントポール寺院を見て、CHANCERY LANEを越えて行くと北側に前に紹介の「古いチェシャー・チーズ」パブがあり、奥まってジョンソン博士の家がある。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/70df8b96621d61f137157a191831170a
1983年頃はALDWYCHから西のCovent Gardenのパブまで昼食を食べに行っていた。この地図は、当時の私の日中散歩範囲の地図でもある。(写真は、サマーセット・ハウス中庭、ユニークな噴水が中央にある。夏は子ども達の「水浴場」となり、冬は地面を凍らせてスケート場になる)
他の写真はmixiフォトアルバムにアップ

ロンドン、テンプル教会界隈

2006-10-01 | 訪問場所・調査地
ロンドンのテンプル教会が何処にあるのか、はっきり知らなかった。『ダ・ヴィンチ・コード』のお陰でクローズアップしてきた面がある。時間があったので「野次馬根性」も一寸働き、見に行くことにした。ところが、地下鉄テンプル駅で降りて、それらしき所にアプローチするが、分かりにくい。大通りから、素直にアプローチすべき小さな路が見当たらなくて行き来して漸く「入り口」を見つけた。何か「木戸」のようになっていて大きな屋敷に入り込む感じ、中に入ると「町」になっていて中心にテンプル教会がある。流石に観光客もいる。しかし、残念なことに、そのテンプル教会は内部が改修中で入れず、テンプル騎士団の墓も見られなかった。内部を垣間見て、外観を一寸写して、退散した。(写真は、上はテンプル教会内部、改修中。下は外観、グーグル検索イメージ貼り付け)

他の写真は、mixiフォトアルバムにアップ。

ロンドン、自家用車の乗り入れ

2006-09-28 | 訪問場所・調査地
ロンドンを歩いていたら自家用車が以前より少ないのではないか、と思った。JALPACKの係りの人に質問したら「最近、ロンドンの都心(地下鉄の一区内)に自家用車で乗り入れると1日10ポンド(日本円で2400円ほど)の「入都税」が課せられるため」とのことだ。都心に入る道路の上から「入都」する自家用車のナンバーをカメラで写して直ちにその持ち主を割り出して、請求するのだと言う。一定期間内に払い込まないと更に課徴金がかかるようだ。そのために自家用車でのロンドン乗り入れをあきらめて鉄道、地下鉄、バス等の公共交通に移っているのだ。日本でも東京、大阪、名古屋辺りでやってみたらどうだろう。
そう言えば、この自家用車のチェック以外でも、ロンドンでは写されている感じがいたるところでした。爆弾テロがあったためである。幸い私達がいた9月上旬は何事もなかって良かった。

ロンドン、ジョンソン博士の家と周辺

2006-09-28 | 訪問場所・調査地
ロンドンにいる間にジョンソン博士の家と周辺に行った。地下鉄テンプルで降りて、『ダ・ヴィンチ・コード』のテンプル教会を見に行くついでに、又、高木さんから推奨された「サマーセット・ハウス」に行く延長で、都心部のセント・ポールが見える方向に歩いて行き、左手に入るとジョンソン博士の家がある。古い1666年のロンドン大火後に建てられた煉瓦造りである。壁にブループラークではないが「ジョンソン博士の家」と分かる表示があった。ジョンソン博士とは、イギリスで初めて本格的辞書を編纂した人で「ロンドンに厭きた人は人生に厭きた人だ」という名文句を言った人である。私たちは幸い未だロンドンに厭きていない。さて、中に入っていくと、受付に年配の婦人がいて、そこで入場料を払うのだが、私達の年齢を聞いて60歳以上と分かると一人3.5ポンドで普通成人より1ポンド安いようだ。私達が日本人とわかると、日本語で説明の書いた「看板風の板」を見せてくれた。3階まで上がってみた。古い家具や、昔に模した衣服なども展示してあった。もちろん、博士の編纂になる辞書も置かれていた。外に出て周りを見ると、このジョンソン博士の家と向かいの同じような家の他は取り壊されて再開発ビルが立ち上がっていた。こういうのはどうなんだろう?と一寸疑問がわいた。表通りに出てくると、古いパブがあった。1666年後に再建された古いもので「古いチェシャー・チーズ」という名のパブだ。1983年の頃にLSEのP.Levin博士と一緒に来たところで、その時、梯子酒はLadder drinkingではなくてPub-crawl(パブ・クロウル)と言う、と彼から聞いた懐かしい所だった。(写真はジョンソン博士の家の表示)
他の写真はmixiフォトアルバムにアップ

司馬遼太郎記念館訪問

2006-09-24 | 訪問場所・調査地
ロンドンの大英博物館についてブログを書いている時、閲覧室(Reading room)の書架のところで、ふと安藤忠雄さん設計の司馬遼太郎記念館展示室の書架に似ていると思った。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5501503e78e0175d3a33ea9c37151090 それで今朝、目が覚めたら結構良い天気だったので、ふと司馬遼太郎記念館に行ってみようかとの気が動いた。東大阪市で比較的近いこともある。近鉄で最寄駅まで行って歩いて10分ほどだ。住宅地の中にある。入場料500円、ボランティアとおぼしき高齢者が働いている。この記念館は、10年前に司馬遼太郎が亡くなった後に建設が決まり、住んでいた自宅の隣りに出来た。4年前に開館、つい先ごろ入館者20万人を越えたようだ。最近は年4万人ほどの入館者と言う。建築関係の学生等の訪問も多いようだ。自宅の正門から入って真正面の玄関には行かず、左手に折れて庭を通って記念館に行く。途中、自宅の書斎前を通る、書斎は当時のままの状況になっており、外から観察できる。奥に書斎、手前がサンルームになっている。休息の時、そこのソファに休んで庭を眺めたようだ。庭は雑木林風である。「部屋から見える緑は大切だ!」安藤忠雄さん設計の記念館は、鉄筋コンクリート造、平面は1/4円(クオドラント)である。地下1階、地上2階で、1階から入り、地下のホールでビデオを見て展示場を見学する。ビデオで、司馬さんは学徒出陣から終戦で復員し、「何と昭和は情けないのか。しかし、昔の日本には偉い人もいたはずだ」として歴史小説に取り組んだ。私は、ここでも「歴史的つながりの重要性」を思った。最後の仕事が、『街道を行く』だったが、これは歴史的人物が活躍した歴史的舞台装置の探求であると思う。我々の「空間の探求」に近いと思った。展示場の外に面する凹型の壁、内側の凸型の壁は地下1階から地上3階まで見上げるような書架だ。全部で2万冊収容と言う。安藤さんは設計を頼まれたとき、現場(司馬さん自宅)を訪れて圧倒的な書籍を見て、これを何とか皆に見せたいと思ってこういう一気に見せる方法をとったようだ。又、書架は一般に薄暗いが、そとからステンドグラスを通じての薄い光を入れよう、それは幾百万の人々の光だ、幾百万を表現するためステンドグラスは細かく縦横に分割した、と述べている。まあ安藤さんは、そう思ったかどうか分からないが、私は外側の壁の書架立ち上がりを見てロンドンの大英博物館書架にヒントがあるのでは、と感じた。受付の女性にそのことを話すと「そう言われる方もおられます」とのことなので、気づいたのは私が最初ではあるまい。展示室の一番奥のステンドグラス前のコーナーで見張りをしていた婦人に聞くと、高い天井の「しみ」に坂本竜馬の姿が現れたとのことだ。見上げると確かにそのようだ。私は「あの世から竜馬が覗きに来たのでは・・」と言っておいた。行きは河内小阪で降りたが帰りは八戸ノ里へと急いだ。(写真は、司馬遼太郎記念館アプローチ、内部写真撮影禁止なのでグーグル検索利用の写真)
別に外部から撮った写真はmixiフォトアルバムにアップの予定。

ロンドン、いくつかの表示

2006-09-24 | 訪問場所・調査地
私は、居住地管理の調査研究をしていて、居住地において「生活管理」の面において、生活マナーや生活ルールを住民に指示する一つの手段として「表示」のあり方も重要と思い調査研究してきている。その癖が何処に行ってもふと出るが、ロンドンでも気づいて一二の写真を撮った。一つは、テート・モダーン(美術館)にブラックフライアーズの地下鉄駅から橋を渡ってテームズ川沿いでアプローチした時、近くに居住地の壁に「静かに!」の表示があった。(写真)またポートベロ・ストリートの土曜マーケットに行った時、オクタヴィア・ヒルに因む団体の管理する団地で「ボール投げ禁止」の表示もあった。更に本格的辞書を初めて作ったジョンソン博士の家に行った時、そこは都心部とも言えるが、市街地再開発をしていて、その工事の計画、施工、管理等の責任者一覧を表示していた。市民にたいして責任を明らかにしているのである。日本より表示の仕方が進んでいるのではないだろうか。
表示3点は、mixiフォトアルバムにアップ

ロンドン、ホテルでの水節約キャンペーン

2006-09-24 | 訪問場所・調査地
私達の泊まったNovotel London Westでは「水節約キャンペーン」をやっていた。世界的水不足を、我々一人一人の節約努力で乗り越えていこう、ということだ。廊下にも部屋にも「訴え文」が展示してあった。「世界中のホテルでは毎日、シーツやタオルを洗うのに莫大な水を消費している。これが節約できれば世界の貧困な水不足な人々を助ける一助となるでしょう。もし可能ならタオルをもう一日そのまま使って良いと思われれば、レールにかけたままにして下さい。洗ってほしい場合は床かバスにおいて下さい。シーツももう一日そのままで良いと思われるなら、キャンペーンの展示物を枕の上に置いておいて下さい」というものだった。
ふと1915年段階で、パトリック・ゲデスが「水は白い石炭、都市の人口制限の重要な要素」と見抜いていたことを思い出し、私達もそのキャンペーンに協力してロンドンを過ごした。(写真は、廊下のキャンペーン展示)