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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

けいはんな市民雑学大学第14回講座お誘い

2009-06-19 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今度、6月27日(土)の午後14時から2時間ほど奈良女子大学の記念館(重要文化財)の講堂で「百年ピアノ」(1909年製造、ヤマハ)を使っての生演奏と語りの「けいはんな市民雑学大学」の第14回講座が開かれる。

「市民教授」はピアニストの上田賀代子さん、大阪音大を出てドイツで大学院修了、ヨーロッパで演奏や修業、現在、生駒市で「日独ピアノ芸術学院」を主宰、多くの後進を育てておられる。http://www.nichidoku.jp/

当日のテーマは「ソナタって何?-バッハよりショパンまでー」ですよ。
参加費百円(資料代)です。是非、散歩がてらお出で下さい。
奈良女子大アクセス:http://www.nara-wu.ac.jp/accessmap.html

けいはんな市民雑学大学:http://academia.keihanna-city.com/

本格的年金生活スタート

2009-06-15 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日は何の日? 今を去る49年前、1960年6月15日は、忘れもしない「安保闘争」がピークに差し掛かっていた日で、東京では、「国会突入デモ」が敢行されて、当時、東大文学部4年生だった樺美智子さんが警察隊と衝突、亡くなったのである。

私は、1回生、右も左も分からないまま、京都でデモに参加、宇治寮に帰った後、樺さんの死を知った。何処かの部屋でベートーベンのエグモント序曲のレコードが鳴っていた。

さて、現実に戻って、今日は、私たちが本格的年金生活に入る日である。偶数月の15日が年金振込日であるためだが、6月から当該年度(来年4月まで)の年金額が変わるからだ。

午後に、近くの二つの銀行に行った。一つには老齢基礎年金(+私学共済年金少々)が振り込まれ、もう一つには国家公務員共済年金が振り込まれるようにしたためである。

住民税が、去年1年の所得に対して課せられるので、「大変」だ。介護保険は老齢基礎年金から天引き、所得税は共済年金から天引き、他に「任意継続」の健康保険(月26,000円余)なども払いこむ要がある。何と言っても住民税の額を聞いて「こりゃ大変」と思った。とにかく来年6月まで生活は「緊縮財政」である。でも、食料には気をつけ、エンゲル係数が上がっても仕方なし、と考えている。

窓口の人に聞くと、年金の日(偶数月の15日が基準)は、朝から大変、という。始業前から並んでいると言う。前に生駒駅前商店街活性化プロジェクトに取り組んでいた時、偶数月15日は「大売り出し」とのことだった。駅前に銀行支店が多いからである。

今日行った銀行では、年金を振り込まれた客には花を一鉢プレゼントしていた。

サラリーマン現役時代は、家計の実態は殆ど知らなかったが、これからは勉強していく必要があると思った。

西山夘三記念文庫第10回総会に出て

2009-06-01 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
土曜日(09年5月30日)に西山夘三記念文庫の第10回総会が「けいはんな学研都市」の「ハイタッチ・リサーチパーク」の積水ハウスにある西山夘三記念文庫で行われた。私は垂水英司さんと共に監事なので出席して監査結果を報告した。

無事、総会は終わり今年度も塩崎賢明理事長(神戸大)のもとで活動することになった。会員は300名台、スタートの400名台からじりじり減少している。若い学生・院生では「それって誰?」みたいだと言う。うーん西山先生にしてこうだから後は推して知るべしかな、と少しさみしくなった。

その後、松本 滋運営委員長(兵庫県立大)からの連絡によると、2011年3月頃からパリのポンピドーセンターで行われる国際展示「ジャパン・アーキテクト1950-2010」に西山夘三先生関連の「新しき国土建設」(『新建築』1946年3,4号)及び「日本万国博覧会会場基本計画」の模型等の展示も招待されているようだ。ヨーロッパ世界に西山夘三先生の考え方を知らせるいい機会だ。

2011年(再来年)というと折しも西山夘三・生誕百周年である。文庫でも記念行事をするが、ポンピドーセンターの企画は「ドン・ピシャリ」だなと思った。

最近、こういう世の中だから『マルクスは生きている』(不破哲三著、平凡社新書)が売れているようだ。私としても「西山夘三は生きている」と言いうる視点で「文庫資料」を活用しなければ・・・、とひそかに思った。

(写真は、ありし日の西山先生)

西山夘三記念文庫ホームページ:http://www.n-bunko.org/

奈良女子大の創立百周年パーティに行く

2009-05-16 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大学の創立百周年パーティ等で奈良ホテルに行った。

記念式典では、野口誠之学長、文部科学事務次官の銭谷眞美さん、京大総長の松本 紘さん(代読:稲葉カヨ理事補)の挨拶で、皆、2000年11月に制定した奈良女子大学の四つの理念を引用していた。これは、学長が丹羽雅子さんで、私が副学長の時に「まとめ役」としてまとめたものである。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cb8c7e6d8d30e971342ecd814e6ab7f9

多分、この理念は21世紀を通じて有効に働くと確信している。

祝賀会では、色々な人に会って駄弁った。
・和田悟朗さん(名誉教授、理学部、現在は俳人で有名)・・・俳句は理科系が得意のはず、という。理由は、俳句でいう観察、写生は文科系より理科系の態度である、とのことだ。そういえば東大の元学長の有馬朗人さんも理科系で俳人だ。

・荒井正吾さん(奈良県知事、奈良女子大学付属高校卒、東大法学部卒)・・・「けいはんな学研都市」は、京都府の山田知事が相対的に熱心のようだが、奈良県も奈良市、生駒市が含まれるのだから、是非、21世紀は熱心にやってほしい、と言っておいた。・・・そのほか大勢。

久しぶりに奈良女子大学へ行く

2009-04-15 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、新年度に入って初めて過去31年も勤めた奈良女子大学に「用事」で行った。

目的は「けいはんな市民雑学大学」の4月講座のPRと新旧学長に「けいはんな市民雑学大学」のことを知らせることだった。

道で文学部長の出田和久さんに会って挨拶した。理学部数学科(学科長)の小林 毅先生の所に行って4月は、元理学部に在籍し人間文化研究科長も勤めた藤原 昇先生の講座ですよ、とPRした。

次に私の古巣の生活環境学部住環境学科の事務室に行って4月講座のPRポスターを置いておいた。

本部に行って、先ず前学長の久米健次さんの所に行った。4月からは「学長顧問」のような役目で毎日登学の模様だ。6月の記念館でのピアノ弾き語りの「市民雑学大学」講座を紹介しておいた。「百年ピアノ」については、調律の要がある、との示唆を得た。又、最近の学生は、文化的な音楽を享受すると言うよりバイトに走るのが一般的とのことだ。うーん、そうなのか、と思ったが、少なくとも音楽関係の部やサークルにはPRしていきたい。

次に学長室に新学長の野口誠之さんを訪ねた。「けいはんな市民雑学大学」のこと、初めて話をしておいた。野口さんは、「雑学を聞くのは大好き、自らもそういう傾向があって、子供から、お父さんは雑学博士ね」と言われているらしい。将来の「けいはんな市民教授」候補だな、と思った。野口さんは、私より若干若い、私が生活環境学部長の時、彼は理学部長だった。新潟県佐渡島の出身、東北大学大学院理学研究科修了、今をときめく「素粒子論」の専攻である。奈良女子大の学長で東北大出身は初めてと思う。将来、素粒子論か関連して宇宙論の話をしてもらおうかな、と思った。

(写真は、奈良女子大学長の野口誠之さん)

奈良女・久米学長ご苦労さん

2009-02-02 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、『朝日新聞』教育・大学欄の「学長力」に奈良女子大の学長・久米健次さんが載っていた。この3月で6年の任期を終わり学長退任だ。ご苦労さんと言いたい。

久米さんは7つほど年下、今年、還暦である。鳥取市出身(鳥取西高校)、京大理学部卒、阪大大学院修了。原子核物理学専攻、京大では益川さんとの交流あったかな。

「・・・女子大は過渡的な措置で、いずれ役割を終える。一方、男女の性差こそ普遍的とすれば、いつまでも存在しうる。・・・」と述べている。私は、久米さんと同期に奈良女初代副学長を体験し、四つの理念をつくる世話をした。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cb8c7e6d8d30e971342ecd814e6ab7f9

その理念第一に「 男女共同参画社会をリードする人材の育成
 ―女性の能力発現をはかり情報発信する大学へ― 」を置いた。これは、よく見ると共学の大学の理念でもおかしくないのである。

奈良女は今年5月に創立百周年を迎える。次の百年でどう変貌するであろうか。

奈良女子大学の四つの基本理念

2009-01-15 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今年、奈良女子大学は、奈良女子高等師範学校設立から数えて100周年を迎える。

私は32歳から定年の63歳まで31年間勤めたので、百年のほぼ三分の一を過ごした勘定だ。その自分史は別に書いておく必要があるかもしれない。

先日、奈良女子大に行って、今度三月に満期(6年間)勤めて退任する久米健次学長と駄弁っていて、久米さんが「四つの基本理念をまとめたのは西村さん」と言うものだから「そういえばそうだったな」と思いだした。

その基本理念は次の如し:
 理念1 男女共同参画社会をリードする人材の育成
 ―女性の能力発現をはかり情報発信する大学へ―
 理念2 教養教育、基礎教育の充実と専門教育の高度化
 理念3 高度な基礎研究と学際研究の追究
 理念4 開かれた大学
 ―国際交流の推進と地域・社会への貢献―

丹羽雅子学長時代、久米さんと私は初代副学長を勤めていて、たまたま私が理念を作る委員会のまとめ役をやったのである。奈良女子大学時代に微力を尽くした一例である。こういう理念を国立大学で作った初めの頃であった。


孫に付き合う

2009-01-03 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、娘と孫達3人が「婿さん」の松阪の家から回ってやってきた。

孫は12歳男、6歳女、1歳男である。上二人は小六と小一、二学期の「通知簿」も持ってきた。勿論、「お年玉」狙いである。ウン、二人ともまあまあというか、期待以上で即座に「お年玉」を渡した。別に、これで釣っているわけではないが、二人とも頑張っていると褒めてやった。

末っ子の男の子は、ようやく二言三言喋りだした。妻は「バーバ」、私は「ジージ」である。この子は、上二人にもまれて元気がある。「婿さん」宅のバーバから「頭が良い」と褒められたようだ。私は必ずしもそうとは思わないが・・・。

まあ娘宅にクリスマスプレゼントで健康指向で「遠赤長いす」を送ったのだが、それは、娘と小六の孫が「冷え性」と言うからだ。「冷えは万病の元」だ。昨日、孫に『体温力』(石原結實著、PHP新書)を見せた。彼は「読書力」があって熱心に読んでいた。少しでも分かってくれれば良いと思う。拙宅にも遠赤椅子が二脚あるが、小六孫がそこに座って夕食食べていた。正解!彼に「腹巻もしたらどうか?おじいちゃんもしているよ」と「老爺心」で言っておいた。

聞くと、給食は、週のうち3回が和食、1回が麺類、パン食は1回だけだという。それは良い傾向、次は内容の検討だ。

孫たちがいる間は「付き合う」積りだったが、今日、付き合ってみて、小学生の彼らがやる新しい各種ゲームには疲れる、一二回つきあってリタイア。横で見ている。娘は未だ若くて親として付き合っている。当然だが感心だ。

でも彼らが「凧揚げしよう」というので喜んで付き合った。昔風の凧ではなく最近のはビニールでできたもの、「弱い風」「強い風」といった二つの糸の引っ掛けるところがある。これを下の小一の女の子が見つけて上手くあげることが出来た。二人とも喜んだ。近くの街区公園(昔の児童公園)で凧揚げをした。上に電線がないので好都合である。

一番下の2歳前の男の子には、ブランコ、仔馬遊具に付き合った。

やはり「ジージは古い」のである。正月の一風景である。

奈良に行く(県庁県政記者クラブ、奈良女子大学)

2008-06-17 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日は、21日(土)の14時から高の原のイオン4階「こすもすホール」で行われる「けいはんな市民雑学大学」第四回講座:「うましところよ そのみかの原ー恭仁山荘の内藤湖南先生ー」(市民教授:兎本恵宥さん)のPRに奈良県庁の「県政記者室」に行った。たまたま先月PRして頂いた『毎日新聞』の記者の方がおられたので直接手渡し再度のPRをお願いした。他の15社はPR紙を配ってもらうことにした。

帰りに奈良女子大に寄った。保健管理センターの所長室の灯りが点いていたので寄ってみた。高橋裕子教授である。先だってNHKラジオの早朝に「禁煙の話」をしておられて、たまたま聞いたので、そのことを話題にした。今は、煙草=千円賛成のキャンペーンをしておられるようだ。「千円になると、禁煙者は増えるし、税金が増えて消費税上げなくてもいいかも・・・」と言われた。私は「しかし、禁煙したら反動で飲酒量が増えて今度はアル中が増えるのでは・・・」と言うと「良く分かっていらっしゃる」と言われた。実は、アル中までいっていないが、私の場合、10年前に禁煙に成功したが節酒がなかなか進まないのである。

古巣の住環境学科の「事務室」でM.さんに挨拶して、次に現代GP「事務室」に行き、別のM.さんと一寸駄弁った。今は「生活観光」がテーマで受験雑誌の『蛍雪時代』にも載ったようだ。この文部科学省の「現代GP」(類似のもの含む)は大体3年のプロジェクト研究で、ぶつ切れの問題点がある。しかし、奈良女では次々と繋いで当たっているようだ。助教のS.さんにも久し振りに会った。彼女等は私のブログの愛読者で、今日着て行った娘に父の日に貰ったTシャツにすぐ気がついてくれた。「現代GP」で開発した生協売店でも売っていると言う「奈良のご当地アイス(奈良漬入りの最中アイスなど)」を買うのを忘れてしまった。是非、次回に。皆さんもどうぞ。

最後に学部事務のカウンターに行き、N.さんらと一寸駄弁った。BMI(Body Mass Index)が話題となった。今日は、時々の奈良散歩であった。

(写真は、植村牧場、JA奈良支店朝市組合、奈良女子大共同開発の「奈良ご当地アイスの一つ・・奈良漬入り)

奈良、奈良女子大学と私

2008-04-22 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私はまぎれもなく奈良の地の奈良女子大学に31年間勤めた。

で2005年3月に定年(63歳)で退職したのだが、その際、自分史として『奈良、奈良女子大学と私』という私家本をつくって世話になった方々や卒業生等に配った。

今日、何気なく「西村一朗」でグーグルで検索してみたら、Yahoo!オークションのサイトに私のその『奈良、奈良女子大学と私』も出されているではないか。
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f66491085

「えー」と思った。誰が出したんだ!と一瞬思う。でも「捨てる神あれば拾う神あり」であるとも思う。関心のある「拾う神」の皆様方は、他の奈良女子大学の○○年史と共に競り落としてくださいね。来年、奈良女子大学は創立百周年だから将来値が上がるかも・・・。

でも、私の冊子だけ欲しい人は、こっそり連絡下さい。送ってあげますよ。

(写真は、私の私家本『奈良、奈良女子大学と私』)

奈良女子大に行くと色々あり

2008-04-10 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
「人も歩けば情報に当たる」と昔、私が言ったかどうか忘れたが、まあそういうものである。今日、久しぶりに奈良女子大に行ってそういう経験をした。私のブログでは2月12日以来かな。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c918ea1901e975ad535681eafea2b636
最近の奈良行き記事(3月15日):http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/055e2debf74bd95a90f1649893496280

事務の係長のN.さん、課長補佐のM.さん、学科事務のM.さんに会った。ついで、佐保会館(同窓会館)に「ひな人形展」を見に行った。女高師時代に国内全国はおろか朝鮮半島や中国からも学生を通じて集められたようで、それらが1階の広間に並べられていた。4月12日から4月15日まで重要文化財の「記念館」に場所を移して展示が続くようなので、未だの人はどうぞ。佐保会(同窓会)のK.さん、W.さん、K.さんらに会った。構内でS.さん、T.さんらにも会った。I.学部長にも会った。佐保会館の前に学生の合宿施設が新築の模様。以前は低い女高師時代のものがあったのは撤去されたようだ。奈良女卒業生の建築家・石井さんの設計と言う。

図書館に行って、カード(名誉教授には配布されている)で入館し、過去の学位論文を閲覧した。

昼食に外出した。理学部を昨年退職のK.さんに会うので近況を聞くと、生活面では「料理学校(男の料理教室)に週一回行っている」とのこと、月4週として、和食、洋食、中華、ケーキと回っているとのこと、一度「お手並み拝見(いや拝食か!?)」といきたいものだ。

前に行った「まぐろ小屋」は18日まで休業の張り紙、「ははーん、マスターは前に聞いた東ヨーロッパに奥さんと出かけたんだな」と了解、鰻丼の「出雲屋」に久しぶりに行った。澄し汁、出汁巻きと鰻丼で750円、3年前と変っていない。食後、喫茶「アン・マリー」に珈琲飲みに行った、420円。

まあ、時々行くと、珍しい人や物にもぶつかる。それは、「新鮮な情報」にぶつかることでもある。

真ん中の孫の卒園、4月入学など

2008-03-19 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私達夫婦には一人娘に三人の孫がいる。名古屋に住んでいる。真ん中の孫が女の子で上下の男の子に挟まれているが、昨日、幼稚園の卒園式、母親(娘)が付き添いなので、末孫の世話が必要で、妻が名古屋に出かけた。上の孫は今度、小六で「お兄ちゃん」だ。

末孫は、もうすぐ満一歳、何でも「押す」「引く」のに凝っていて、抱っこして携帯電話などしようものなら、たちまちアチコチ押されて会話中断に追い込まれる。抱っこのために手が届く家中の蛍光灯などの紐を引っ張って消してしまう。まあ、目が離せないようだ。月末に来ると言うので私は手ぐすねひいて待っている。

で、中の女の子は無事卒園、私は電話で「おめでとう」を言った。何時もよりはにかんで「ありがとう」と小さい返事が聞こえた。4月からピカピカの一年生だ。

彼らや彼女が無事成人する位までは元気でいたいもの、と二人で話し合っている。

関連過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/d3d65e777ca81d6093c23da0ff784aaa

薬膳レストラン「あわさい」のサロン、オープン

2008-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、私が住んでいる近くにある薬膳レストラン「あわさい」のサロンのオープニング・パーティがあった。「けいはんな学研都市」の木津川市にある「ハイタッチ・リサーチ・パーク」内の積水ハウス総合住宅研究所建物の1階である。

私は、家に近いこと、同じ1階の奥に「西山卯三記念文庫」もあるので、前からこの「あわさい」を使っている。途中、経営者が、井原浩二さんに変わって薬膳料理(創作洋風)に特化して現在に至っている。井原さんとは「けいはんなのまちづくりを考える会」で一緒の他「けいはんな地域SNS」でも一緒なので昨日は招待された。井原さんは、中々のアイデアマンでNPOの「薬膳研究所」も持っており、武庫川女子大と共同研究している。「あわさい」では、地元の音楽家の演奏付きディナーの会もやっている。で、今回は、学研都市の異業種、異分野の若手経営者や行政マン、研究者達が、職場の帰りに「一杯飲みつつ駄弁る、アイデアを闘わす」ような場、サロンが必要、と立ち上げたのだ。

ウイスキーや焼酎のボトル・キープは1980円、「つまみ皿」1皿490円で、全て薬膳である。昨日は「蛍烏賊」も薬膳風に味付けしてあった。まあ、ボトルを除くと、1回500円コインが2,3個で楽しめるのでは、と思う。

今日の帰りにも寄ってみようかな。



『いい家みつけた-ロンドン借家住まい日誌-』をみつけた

2008-03-17 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
『いい家みつけた-ロンドン借家住まい日誌-』(晶文社)は、私が1986年に奈良女子大学で教授になってすぐの単著である。1982年から1983年にわたってロンドンのLSEに文部省の在外研究員でいた時の家族3人で住んだ借家(セミ・デタッチト住宅)の住み方報告である。ロンドンで、住まいに絞って経験を書いたのは私が初めてではないか。まあまあ売れて、後日、その印税で再び家族でしばらくロンドン等に行くことが出来た。


その後、絶版になった。今日、たまたまyahoo!のオークション欄をネットで見ていたら、その『いい家みつけた-ロンドン借家住まい日誌-』がオークションにかかっていることがわかった。千円からのスタートでいくらで落ちたかはわからない。
「なつかしく」思うと共に、最近の住まい、子供時代の金沢、学生時代の京都、最初の就職地・豊田辺りの『記』も早く書かねばと思った。


奈良女子大退職教員の「思い」を読む

2008-03-13 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
最近送られてきた奈良女子大学の『学園だより』(Vol.83)を見ると、この3月に6人が63歳の定年で御退職のようだ。6人すべてが理学部関係者だ。こういうことも珍しい。何時もなら、各学部の人数には若干偏りがあるとはいえ、文学部や生活環境学部の先生方も含まれているのに・・・。

ご退職は(順不同、敬称略)、森本 徹さん(数学、構造数学)、池原健二さん(化学、機能化学、理学部長)、榮永義之さん(化学、機能化学)、落合豊行さん(情報科学、数理情報学)、矢野重信さん(大学院、機能性物質科学、研究科長歴任)、古川昭雄さん(共生科学センター)である。

皆さん、懐かしい。可愛い大学なので、全教員を殆ど認識できるのが良かった。例えば、池原さん等とは生協食堂で昼食を食べながら、あるいは、大分昔のことだが夜に研究室で飲みながらの学問談義、一度、ブログにも紹介している。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/f6a5828d29d8417dccd72ca7ab24e784
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/88a3f2eb7617fe51f64bbdbd8605fb41

『学園だより』では、皆さん、奈良女での研究、教育生活は「良かった」とそれぞれの言葉で述べておられる。亡くなられた、私の先輩だった扇田 信先生が「珠玉のような大学」と言われていたのが思い出された。

皆さん、お元気で! 地域人間として、また「ネットワーク」をつくりたい。