半々の考え、言葉と言えば「半知半解」のように中途半端というイメージもあるが、「半信半疑」のように学問的態度としてまっとうなものもある。福沢諭吉が言ったという「半学半遊」も好きな言葉だ。私は、昔から生活や空間のことを考えてきて、きちんと割り切れずに「半々で考えたほうが良い」と思うことが随分あったと思う。良く言われるのは「日本の縁側は内でもないし外でもない」ということがある、濡れ縁などを考えると正にそうだ。これは「半内半外」ではないか。同じように「半公半私」の空間もあるだろう。時間の面で言って私の創った造語に「半顧半望(はんこ・はんぼう)」というのがある。半分は過去を反芻して顧み、半分は将来を展望するという態度である。空間のことを考える時に、時間的に伸縮する歴史ー地球史、生物史、人類史、古代、中世、近世、近代、現代、家族史、世代史、自分史等ーを良く組み込むことが要諦、と最近考えている。言わば「半空半時」である。
最新の画像[もっと見る]
- カリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟) 10年前
- 最近、時々『文藝春秋』を読む 11年前
- 縦長四角形と横長四角形 12年前
- 「梅ちゃん先生」見る楽しみージオラマー 12年前
- 天草の洋(なだ)に泊(はく)す 頼 山陽 13年前
- 深井純一さんの思い出 13年前
- イエロストーン公園のコヨーテとオオカミに思う 13年前
- ル・コルビュジェツアー企画案 13年前
- ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-5地中海カップ・マルタン小屋 13年前
- ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-4ロンシャン礼拝堂ほか 13年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます