前に、型抜きのパニック状態をご覧いただきました干支の羊の3種類がとりあえず仕上がりましたので紹介させていただきます。今戸焼の土人形の中には干支の羊に関するものは最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)が生前お作りになられ一刀彫風(木彫り風)の羊と一文人形らしきもの以外、伝世品、遺跡からの出土品を見渡しても確認できません。(もしそれ以外の古い今戸の羊があったならご教示くださいませんか?)
春吉翁作の羊はお手本として家にしまってあるのですが、みつからず、仕方なく一文人形風の羊はお手本を見ながら型を起こし、それ以外は苦しい創作です。
できあがった3種類の一番目
「親子羊」。伏見人形系の産地(不詳。もしかすると下川原人形?)の人形をお手本として原型をモデリングしたもの。彩色には目を尾張屋さんの作のとおり赤い染料でつけました。背中に描いた植物は私の創作です。何だと思いますか?実は「シダ」のつもりなんです。「シダ」は日本の伝統的吉祥文様のひとつにもあり、「シダ」の繁りのたくましさを生命の豊かさとしてめでたく文様化したのではないでしょうか。なぜ羊に「シダ」なのかというと「シダ」は漢字で「羊舌」と書くのです。「なあんだ」という感じかもしれませんが、苦しいネタの結びつけ方でしょうか?「シダ」のひとつである「早蕨」文様を親羊に添えました。
2番目「一文人形風羊」
これは手元にある人形を手本に作ったものです。これは明らかに綿羊(洋羊)の姿ですね。
そして3番目の羊
これも苦しいネタ作りなんです。
お腹に見える「シダ」文様と「早蕨」文様については既に種あかししました。背中に乗っているのは何か?お菓子のつもり。「ようかん」のつもりなんです。もうおわかりだと思いますが「ようかん」は漢字で「羊羹」と書きます。もともとは中国伝来の食べ物で、羊の肉を煮て、その煮汁を固めたいわゆる「羹(あつもの)」だったのが、その後小豆を煮て固めた「蒸し羊羹」となり後に「練り羊羹」となって我が国に定着したとか、、。そんなわけで苦しいですが「羊」の文字繋がりのものを抱き合わせた「羊尽くし」のようなつもりの人形です。苦しい苦しい。ただ、江戸の遊びの中には言葉遊び的要素とか「見立て」とか「謎かけ」(○○とかけて××と解く、その心は、、△△)というものが盛んだったのは事実なので、拙いながらそういう要素を人形に盛るという心でした。
実をいうと創作しているのはこれら3点のほかにもまだ原型をモデリング中のものがあり、できれば追加したいと思っています。そんなわけで「干支の羊のご紹介 その1」というタイトルの記事にしたので「その2」もできたらご紹介できたらと思います。
※追記 これらすべての羊の肌の色ですが画像では見えにくいかもしれませんが、胡粉地の白ではなく、胡粉地の上にキラ(雲母粉)を塗ったパールの肌です。 干支の酉(鶏)づくり①→
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久しぶりに新作の写真をたくさん拝見でき、とても楽しめました。
羊羹乗せ未?、楽しいですね。辰年の有卦船や善玉悪玉もそうでしたが、苦しいネタの年こそいまどきさんの底力が発揮されるって感じですね。
一文人形風羊がかわいらしいです。
広島は昨日、大変な雪でした。東京も寒いでしょうね。くれぐれもご自愛ください。
早々にコメントいただきありがとうございます。
今年はいろいろ皆様からご支援いただいてありがたいことばかりだった代りに、作って納めることで手いっぱいだったので、今ごろ干支を作っているという状態です。その分造形的に練りあげがたりないかな、趣向としてくだらないか?など心配していましたが、うれしいご感想いただきうれしいです。本州でいったことがある最西端が倉敷なので、広島も九州も未踏なんですが、案外雪が降るのですね。お体大切になさってくださいね。