おはようございます。
生き生き箕面通信1170(120221)をお届けします。
・「原発ゼロ社会」へ大きな一歩
関西電力の稼働していた原子力発電所最後の1基が昨日2月
20日深夜に停止しました。関西では全原発の停止状態が現出
され、「原発ゼロ社会」へ現実の一歩を踏み出したわけです。
当面の問題は、今年の夏も「原発ゼロ」のまま乗り切る努力を
するかどうかです。関電はすでに大飯原発3、4号基の再稼働
へあの手この手で画策しています。
本日の大手紙は、明確な方針を持った紙面は作れず、中途半端
な紙面でした。例えば、朝日新聞は一面トップで、「西日本原発ゼロ
関電全基停止33年ぶり」を見出しにして、事実を伝えただけ。
あとは3面で「(原発の)再開どうなる」、7面で関電社長の一問一答、
37面で地元知事らの反応、を並べました。読売新聞も、似たり寄っ
たりの紙面構成でした。
朝日、読売の両紙に決定的に欠けていたのは、「原発ゼロ社会
をどのようにして創っていくか」という前向きの視点がスポッと抜け
落ちていたことです。関電管内で「原発ゼロ」が現実になったので
すから、ではこれをどう継続させ、原発ゼロでもやっていける社会
を築いていくか、そこが今最も大事な視点のはずです。ところが、
そこを見事にはずしましたから、中途半端な紙面にならざるを得
ませんでした。
世論調査では、「原発を次第に減らしていき、将来は『脱原発』を
実現する」という結果が出ています。つまり、原発ゼロの社会的
合意はできていると言えます。それなら、関電管内でいま起こって
いることは、格好の「壮大な先駆け」と見ることができます。そして、
これを助長する紙面を作ることこそがジャーナリズムの責務のはず
なのです。
ところが現実の紙面は、「原発が稼働しないと、工場を安定して動か
せないかもしれず、『危機だ』」と、むやみに危機意識をあおる紙面に
なりました。つまり、経済的な目先の利益を追求する視点だけです。
原発を動かし続けることが、子々孫々にどれだけ大きな「負の遺産」
を押し付けることになるか、この観点に配慮した紙面はちらっともお目
にかかることができませんでした。
福島県双葉町は、全町6400人が退避させられ、今も戻ることができ
ません。「私たちは日本国民ですか。捨てられたのですか。憲法で守ら
れていますか」と、双葉町の井戸川克隆町長は悲痛な叫びをあげて
います。「原発を動かしたい人たちには、双葉町に住んでいただきた
い」という思いのはずです。朝日や読売のジャーナリストを自負する人
たちも、双葉町に住んでみるといい。
第一、関電の大飯原発にある使用済み核燃料プールには、危険な
使用済み核燃料がいっぱいです。堅牢な原子炉に収まっているわけ
ではありません。防備は極めて脆弱です。危険は放置したまま、「スト
レステストは妥当です。原発は安全です」と、性懲りもなく繰り返す愚。
今を生きる私たちが、今の便利のためだけに原発からの電気を使い、
そこから出てくる厄介な高レベル放射能の使用済み核燃料の後始末は
「子ども達よ、頼んだぜ」では、バチがあたります。この夏は暑くてもクー
ラーは我慢しましょう。工場が動かせないなら、そして経済が活性化し
なくても、「それでも何んとかやっていける社会」をめざして、私たち自身
が変わりましょう。
間もなく、「フクシマ」から1年。私たち自身が変わることが、「フクシマ」
から学ぶ最大の教訓のはずです。