生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信717 ・「風のままに去りぬ」――政治家の言葉

2010-11-23 07:03:50 | 日記
おはようございます。紅葉真っ盛り。日本の四季はすばらしい。傷ついた心も癒してくれます。
生き生き箕面通信717(101123)をお届けします。

・「風のままに去りぬ」――政治家の言葉

 柳田法相が昨日、辞任しました。事態はそれで良くなったのか。ノー。むしろ、悪くなっています。

 まず、第一に柳田氏のクビと引き換えに成立をめざした補正予算のめどはつかず、「不発」に終わりました。大臣のクビを差し出しながら得るものは何もない、という拙劣な政治手法です。もちろん、大臣のクビと引き換えに法案を通すという手法自体が、あってはならないことです。それでも百歩ゆずって、「国民の生活に直結する補正予算を成立するためにやむを得ない非常の策」なら、それなりの目途がなければなければないはずです。一連の動きの結果、国会のあり方について悪い前例を残しただけになってしまいました。

 第二に、「政治家の言葉の軽さ」がますます加速していることです。そもそも「法務大臣なんて二つ言葉を知っていれば務まる」から始まった「言葉の軽さ」という”コント”。「謝罪します。今後は真摯に対応します」ということを、これまた軽々と言ってのける羽毛のような軽さ。菅という首相を務めているらしい人間は「反省しているから辞める必要はない」といった翌朝には、官邸に呼びつけ辞任を迫る。一方、「いま留任宣言してきちゃった」とおどけた当の本人が、官邸に呼びつけられてクビになる。この一種の”コント”から浮かび上がってくるのは、国民そっちのけの政権の延命だけという魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもの実態です。

 政治は「言葉がいのち」です。「信なくば立たず」「綸言汗のごとし」ともいわれます。先賢は「信頼という誠がなければ政治は安定しない」といわれました。軍と食料と信頼の三つから捨てていくものを問われ、まず軍を、次に食料を(「人は必ず死ぬ」といいいました)、そして「信」だけは捨てられないと説きました。
「信」は人が言うという言葉からの成り立ちです。信を基とする「誠」は言うことが成るという成り立ち。

 「綸言汗のごとし」、貴人がいったん言葉として発したことは取り消せない。ところがすぐ「ごめんなさい」で済ませる。菅という首相を務めているらしい人間も、仙石という人も、蓮舫という人気にあると鼻高々らしい俗物も、「謝罪します」「謝ります」「取り消します」のオンパレード。

 菅という人は、所信表明で「有言実行内閣」といい、「熟議」の政治を掲げました。どこが「有言実行」で、どこが「熟議」なのでしょうか。

 アメリカには、「日米合意を実行します」と約束しながら、辺野古への移設がほとんど不可能となってきていても、ただ「辺野古へ」を繰り返す。沖縄の地元の人と基地問題で話をしたこともなく、それで「熟議」なのでしょうか。

 菅という人から、「国民のためにこれをしたい」ということが伝わってきたことがあるでしょうか。大方の人が諦めて、苦笑いのままという状態が続いています。

 今の民主党の主流派からも伝わってきません。下部には山のように課題が意識されているのですが、それをきちんと組み上げて進めるリーダーシップが欠如しています。

 来年度予算編成を中心に、年内あるいは年初からの通常国会で大きな動きがありそうな情勢になってきました。「言葉が軽い菅政権」の命運は尽きかけています。「風とともに」ではなく、もっとしょうもない姿、風に吹かれるチリのように、「風のままに」去っていく「ない閣」のようです。