生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信714 ・「平和国家・日本」というブランドを大切に

2010-11-20 06:58:49 | 日記
おはようございます。広島出身の萩原麻未さん(23)がジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で日本人初の優勝という快挙を成しとげました。「演奏中はとにかく気持ちを込めて弾いた」そうで、日本人の感性が届いたといえます。日本の文化力に対する世界からの評価にもつながるのではないでしょうか。
生き生き箕面通信714(101120)をお届けします。

・「平和国家・日本」というブランドを大切に

 「21世紀を日本はどのように生き延びていくのか」というところから見てみると、いまだに迷走を続けている印象をぬぐいきれません。21世紀に入って10年経ったにもかかわらず、まだ確たる方向性で大方の合意ができているとはいえません。

 世界を見渡すと、中国が台頭してきました。ロシアも復活しつつあります。インド、ブラジル、インドネシアなど新しいメンバーも力をつけてきています。一方、冷戦崩壊後、唯一のスーパーパワーの地位を得たはずのアメリカは、イラク、アフガンでの戦争に莫大な戦費を費したあげく疲弊してきました。つまり、世界は新しい秩序を模索する過渡期に入ったといえます。新しい秩序が形成されるまで、流動的な状況が続く見通しです。

 そこで問題は、「新しい秩序」とは何か。人類が大きな厄災を避け、破滅を免れる秩序形成は可能か、です。

 ただひとつ、明確なことがあります。「『平和』を維持する以外にない」というごく当たり前の事実です。武力や戦争で平和はつくれません。

 しかし、現実をみると、アメリカはアフガンでの武力行使を強め、テロの温床を破壊すると意気込んでいます。その考え方は、核開発を進めるイランを排除するところまでいきます。具体的なことをいえば、イランの核開発施設は地下深くに設けられていますから、通常の破壊兵器では通用しません。となると、小型の戦術核を使用せざるを得ないという結論になります。

 アメリカの中では、これまで何度も「核の使用」が提案され、検討されてきました。古くは60年前、1950年に始まった朝鮮戦争で当時の最高司令官マッカーサーが時の大統領トルーマンに執拗に「核の使用」許可を求め、最後は解任されたことはよく知られたことです。ベトナム戦争でも検討されました。退役軍人の中には、「あのとき核を使わなかったから、われわれは負けたのだ」といっています。

 現在のオバマ大統領が「核なき世界」を提唱してノーベル平和賞を受賞しました。ところが、いまは核廃絶に対する熱は冷めつつあるように見受けられます。つい先日、広島でノーベル平和賞受賞者による国際会議が開かれました。しかし、それを機に核廃絶の新しいうねりを起こすことはできたのでしょうか。もっと国連を動かす必要を感じます。

 そして日本周辺では、尖閣、北方領土、韓国との竹島問題がホットな問題として意識されるようになりました。中国嫌い、ロシア嫌いの嫌中、嫌ロ意識が高まっています。「日本は強腰であたれ」という一見勇ましい声が幅を利かせています。来年度予算でも、尖閣周辺の防衛力強化費が盛られ、北海道に駐屯していた自衛隊の尖閣方面への移動も具体化しつつあります。

 しかし、世界は、まだ「平和国家・日本」に好意を持っています。とくに、紛争地の中東で、日本が仲裁役を積極的に果たすことが期待されています。日本のブランドは「平和国家・日本」です。このブランド力はいつの間にか自然にできたのではなく、太平洋戦争の反省から営々として努力して積み上げてきた貴重なブランドです。

 日本は、武力を持つことに力を入れるのではなく、「通商国家、文化国家、福祉国家」として立国することを世界に改めて鮮明にすべきと考えます。中国に日本の企業は数え切れないほど多く進出し、中国も日本をはじめ世界各国との貿易で国力をつけています。中国にしても、戦争はマイナスです。それは、北朝鮮でも同じ。アメリカが敵視する”ロ国家”などでも同じです。そもそもテロを生じさせているのはほかならぬアメリカ自身なのです。アメリカが撤退すれば、たちどころに平和が訪れます。本当はそれほど簡単ではありませんが。

 日本はそうした世界をめざしてあらゆる努力を傾けるべきではないでしょうか。そこにこそ日本の針路を取るべきだと強調したいのです。

 *私ごとで恐縮ですが、ぼくは本日、71歳になりました。限られた残りの時間のうちに、日本が「平和国家・日本」のブランド力を発揮し、世界に貢献する姿を見たいと切望しています。もちろん、微々たる力は尽くすつもりです。