いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

『キリスト教の真実』、あるいは、パリでアリストテレスが痴人の愛に墜ちるまで

2012年05月27日 19時40分43秒 | 欧州紀行、事情


 『トマス・アクイナスの勝利』 (部分)[1]、ベノッツォ・ゴッツォリ Benozzo Gozzoli
1471年作、 ルーヴル美術館


 竹下節子、 『キリスト教の真実: 西洋近代をもたらした宗教思想 』(ちくま新書)  Amazon
筑摩書房の喧伝ページ⇒「本書から学ぶべきことは たくさんある。」 『ふしぎなキリスト教』共著者 橋爪大三郎氏、推奨!

竹下節子、『キリスト教の真実』について、すこしつっこみ。 この本の意図はよくわからない。ただ、世間に流布しているある種の説というのは間違いであると訴えたいのらしい。そして、その間違いの説というのを愚ブログでもさかんに流布しているものだ。つまり、耶蘇・ヨーロッパ文明はアリストテレス全集をもっていたわけではなく、別に古代ギリシア文明の「正嫡」ではないのないか?というつっこみである。そして、アラブ・ペルシアなどイスラム文明から思想哲学を継承したことを隠蔽していると指摘してきた。例えば;

この建物は、イスラム教のモスクの上にキリスト教の大聖堂を作ったもの。つまりは、この地における、キリスト教のイスラム教征服の象徴。


過去一〇〇〇年近くも西ヨーロッパから姿を消していたアリストテレスの一連の著作を再発見したことを知ったのだ。新たに発見された古代の知識は、西ヨーロッパの知の歴史上、他に例を見ない衝撃を与えた。

という説。

竹下節子さんはこういう流布された俗説を一掃したいらしい。

でも、「あー、もしもし」と指摘する「エビデンス」があると、おいらは思う。
(ちなみに、エビデンスとはこの本『キリスト教の真実』で不自然に出現する"キーターム"である)

たとえば、竹下さんはいう;

前述したように、古代ギリシャ・ローマに蓄積されていた合理性を重んじる知性を、ローマ帝国の版図に広まったキリスト教が継承し、大規模な図書館を各地につくってきた。「キリスト教世界で失われたアリストテレスをアラビア語の翻訳のおかげで発見した」という「近代西洋史観」は明らかに誤っている。
 五五五年に設立されたヴィヴァリウム図書館には、アウグスティヌスの神学書と共にプラトンやアリストテレスの著作があった。プトレマイオスも収められていた。 (『キリスト教の真実』、p104-105)

間違いというより、不正確、あるいは意味をなさない記述である。プラトンやアリストテレスの著作があったが問題ではなく、アリストテレスのどの著作があり、そのあった著作がどれだけヨーロッパの神学者に影響を与えたかである。

現在アリストテレス全集と纏められている著作群において、12世紀以前にヨーロッパ人、つまりはラテン語人が知っていたアリストテレスの著作群は、『範疇論』、『命題論』(ボエティウス[480-524]がギリシア語からラテン語に訳した)。これらのラテン語翻訳に基づいて、ラテン語圏の神学者は活動したはずだ。一方、ヴェネティアのヤコブはアリストテレスの著作群のうち、『分析論』、『トピカ』、『詭弁論駁論』をギリシア語からラテン語に訳した。 ([2]ネタ元、「一 スコラ学における「アリストテレス文献」の翻訳の状況」、"4 スコラ哲学の意味"、山本耕平、新・岩波講座 哲学14、1985年)

だから、12世紀以前にヨーロッパ人、つまりはラテン語人はアリストテレスの全著作を知っていたわけではないのだ。竹下さんも五五五年に設立されたヴィヴァリウム図書館にというなら、どんな著作があったか調べて書いておけばよかったのだ。数行で済む。新書の制約などいうものはない。かように、この本はすべてにわたっておおざっぱである。 筑摩書房の真実!

やはり、のちラテン語に訳されたアリストテレスの著作群の一部はアラビア語から翻訳されたのだ。『自然学』、『天地論』、『気象論』など。そして、アヴェロエスの『二コマコス倫理学』、『修辞学』、『詩学』の註釈書もアラビア語からラテン語に翻訳した[2]。

「キリスト教世界で失われたアリストテレスをアラビア語の翻訳のおかげで発見した」というのは、あながち間違ってはいない。

ただし、おいらもわからないのだが、そもそもローマ時代のキリスト教(ローマンカトリックの世界)にアリストテレスのギリシア語の全著作がすべてラテン語に訳されたわけではなさそうだ。そうであるならば、キリスト教世界で失われたという言い方そのものが論理的になりたたない。

やはり、ローマンカトリックの神学者など知識人は12世紀以降初めて、アリストテレスの全貌を知ったのだ。

したがって、竹下節子、『キリスト教の真実』はおかしい。

▼トマス・アクイナスについての視点で考えてみよう。

もし、アリストテレスがキリスト教世界で読み継がれ註釈され続けてきたとするならば、13世紀になって突如として、トマス・アクイナスのような現在でもローマンアトリックの歴史に残る第一の神学者が現れるはずがない。トマス・アクイナスの出現は、アリストテレスの全著作のラテン語世界への流入の結果なのだ。アラビア語⇒ラテン語の翻訳センターがトレド

そして、ラテン語人がアリストテレスを読解するためには、先駆のアラブ哲学者アヴェロエスなどの註釈書が必要だったのだ。でも、その後ローマンカトリックの神学はこのアリストテレスのアラブ経由の受容を「闘争」と考えたらしい。勝ち負けの話にした。それが、上記の『トマス・アクイナスの勝利』 だ。 トマス・アクイナスの前で倒れこんでいるのが、「打ち倒された東方賢者、アヴェロエス」ということらしい。


 -「打ち倒された東方賢者」、 『トマス・アクイナスの勝利』 (部分)―
     (尚武 [勝負] にこだわる耶蘇をよく表している。) キリスト教の真実 !

ただし、ラテン語人がアリストテレスの全著作をラテン語に訳したのは確かに12世紀以降であるが、すべてがアラビア語からの翻訳ではないらしい。上記トレドとは別にシシリーにおいて、アリストテレスの著作群のうち、『自然学』、『生成消滅論』、『霊魂論』、『形而上学』、『二コマコス倫理学』などが、ギリシア語⇒ラテン語へと翻訳された。12世紀以降。

参考アリストテレス文献のギリシア語原典からのラテン語への翻訳はロバート・グロステスト(Robert Grosseteste, 1175-1253)とメルベケのギヨーム(Guillaume de Moerbeke, 1215?-1286)によって完成された。[2]

とある。木田元のいう、”トマス・アクィナスはフランドル出身のムールベーケのギヨームという友人のつくったラテン語訳でアリストテレスを読んでいるんですね。ギリシア語の原文は読んでいません”のムールベーケのギヨームだ。

これを読むと、トマス・アクイナスのアリストテレス読解はムールベーケのギヨームのギリシア語⇒ラテン語翻訳に依存しているととれる。

ただし、もし、トマス・アクイナスのアリストテレス読解にトレドルート、つまりアラビア語⇒ラテン語の翻訳が関係なくとも、"「キリスト教世界」がずっとアリストテレスを失わず保持していた"という見解は成り立たない。なぜなら、ムールベーケのギヨームのギリシア語原典の写本は12世紀以降にラテン語圏に入ってきたものだから。

▼この12世紀のアラブ経由のアリストテレス著作群のヨーロッパへの流入で、神学と教会には軋轢があり、その原因はアリストテレスの哲学だったらしい。アリストテレスの思想の影響で自然や論理を無視できないと悟った神学者と教会の軋轢。特にパリ大学。

しばしば、大学におけるアリストテレスの講義が禁止された。教会によるアリストテレス思想の排除。

▼ そして、痴人の愛

でもそんなアリストテレスもこうなっちゃうのだ。女性によるアリストテレス馴育。


ハンス・バルドゥング、『フュリスとアリストテレス』、ルーヴル
1503年作。

それにしてもこれが谷崎の元ネタなんだべか?

彼は、限りなく美しさがましてゆくナオミの肉体の、奴隷として生きていく。

今夜のまとめ⇒ 哲学は神学の婢である!

谷崎・『痴人の愛』とは、アリストテレスへの註釈(オマージュ)だったのだ。

アヴェロエスも真っ青だ。

恐るべし、谷崎!

 


[1]


 『トマス・アクイナスの勝利』 (全体)、ルーヴル

[2] 「一 スコラ学における「アリストテレス文献」の翻訳の状況」、"4 スコラ哲学の意味"、山本耕平、新・岩波講座 哲学14、1985年