いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

スペインの本屋II; 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』には柿の葉寿司の作り方が詳細に書いてあるんょ。

2011年10月11日 20時11分17秒 | 欧州紀行、事情

スペインの本屋」に続く第二弾; スペインの本屋II。右の1Q84はいうまでもなく、村上春樹。左は、谷崎潤一郎であることはわかる。表題を調べたら、陰翳礼讃だった。スペイン語人はどういうつもりで「陰翳礼讃」を読むのだろうか?ちなみに、このスペイン語表題El elogio de la sombraをネットで翻訳したら、闇の賛美、となった。wao!

もちろん日本語で、改めて読むと、ヨタとグチの満載だ。陰翳とは東洋の美意識を象徴するものであると谷崎は主張し、西洋文明との差別化、もっといえば西洋文明の克服を図ろうとしたいとの意図らしい。でもその意図の実現も論理的には破綻しそうであり、最後に柿の葉ずしに託し、願いを述べる。

■谷崎の考えで面白いのが、「国民科学」を想定すること。谷崎は言う;

たとえば、もしわれわれがわれわれ独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自ら別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工芸品でも、もっとわれわれの国民性に合致するようなものが生まれてはいなかっただろうか。いや、恐らくは、物理学そのもの、化学そのものの原理さえも、西洋人の見方とは違った見方をし、光線とか、電気とか、原子とかの本質や性能についても、今われわれが教えられているようなものとは、異なった姿を露呈していたかも知れないと思われる。

おもしろい。谷崎は、日本も西洋と接触せずに時間さえ経てば、科学が自生した可能性とその技術的発展があったはずだ考えているのだ。世界のどこでも科学が自発成長することを考えている。深い次元での科学の普遍性を、無意識にでも、想定している。

一方、「国民科学」=民族科学。民族ごとの科学。上記普遍性と矛盾しない。

民族ごとの科学を目指した例。ドイツ物理学/ゲルマン物理学。第三帝国下で。谷崎の「陰翳礼讃」は昭和8年に発表されている。対米英戦の8年前だ。

■この谷崎の「陰翳礼讃」において、「われわれ」とは必ずしも日本人だけではない。中国人を含む「東洋人」を暗に指し示すらしい。つまり、その美意識において、中国人を「礼賛」している。たとえば谷崎は言う;

近来、支那料理の食器は一般に錫製のものが使われているが、恐らく支那人はあれが古色を帯びて来るのを愛するのであろう。新しい時はアルミニュームに似た、あまり感じのいいものではないが、支那人が使うとああ云う風に時代をつけ、雅味のあるものにしてしまわなければ承知しない。

■「陰翳礼讃」の最後は悲しい。劣等の文学による補償の宣言だ。

でも、われわれの皮膚の色が変わらない限り、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこう云うことを書いた趣意は、何等かの方面、たとえば文学藝術にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。

「損」とはっきりいっている。そしてその損を「陰翳」を象徴とする文学藝術で補うのだ!と言っている。

何なんだ!「陰翳」。

さて、柿の葉し。昭和8年当時、柿の葉しは未だ吉野の山奥でのみ食されていた、巷の人にはなじみのない食べ物だったと谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読むとわかる。魚がとれない吉野の山奥の人が、新巻鮭、たぶんとことん塩がしみ込んだ鮭と想像できるが、を食べる方法のひとつなのだ。つまり、新鮮な魚を自由に食べることができない「」を、柿の葉しは「」っているのだ。谷崎は言っている;

鮭の脂と塩気とがいい塩梅に飯に滲み込んで、鮭は却って生身のように柔らかくなっている工合が何とも云えない。 (⇒Google

 


そして、8年後;


愚記事;何なれや心おごれる老大の耄碌国を撃ちてしやまむ

やはり、これは「損」の"補償"をうまく"文学藝術"でできなかった結果なのだろうか?

 



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