いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

きんかんしょく の あさ に ようせつ

2012年05月23日 20時12分10秒 | 筑波山麓

― 天壽   夭折が悲しいというのはあさはかだ。老衰して死んでゆくはうが、ずつとずつと悲しい――五十年も生きのびてゐながら、なほ声明のはかなさを明すること以外になにもできなかつたのだから。― [誰の言葉だと思う? ただしの字は新字。おこたいは最下段、 ヒント::50前ですんだ三島由紀夫では、ない]


金環蝕の朝に夭折; 「中二病」臭ふんぷん。

金環蝕の朝に溶接

おとといの朝、つまりは金環日食の朝、おいらは仕事先に向けてちゃりで7:20頃出かけた。

出かけてすぐ、近所のいつもは儀礼的にあいさつするおばさんが、公共の広場で、金環日食観察用のメガネで天を仰いでいた。

おいらは、金環日食観察の準備もしていなかったので、「見えますか~!?」とか言って、ちゃりを降り、おばちゃんの金環日食観察用のメガネを 奪い 借りて、見た。見えた。まだ金環ではなかったが、4分の3位欠けていた。日食がみれたのだ。

金冠の瞬間をこの眼で見よう!という前もった決意もなかったので、これでラッキーくらいに思い、再びチャリにまたがった。

10分くらいちゃりで走る。あたりはほのかに薄暗くなっている。太陽は大きな雲の布の端っこあたり、かなり雲は薄い。

そうすると、道端の工務店の前で、家族がわいわいやっていた。

溶接面を持っているのだ。

おばあさんと息子夫婦らしき家族。おばあさんが溶接面を持ちさわいでいた。

おいらは、溶接面で太陽の日食を見るという、これはその本義に照らして、道具と目的がばっちり一致!に感動し、

全然知らない人たちなのに、入っていて、溶接面を貸してもらった。

これだ↓

まだ、金冠ステージには早い。4/5くらいか。

結局、おいらは金冠は見なかったが、溶接面で太陽の日食を見るということの方に感激し、仕事先に向かった。

「人はだれもがようせつの幸運に恵まれているわけではないんですよ」とかシオラン センセはおっしゃる。

でも、溶接面に恵まれたおいらのずんせい! ありがとう! おいらのずんせい!

そんなその日の夜、溶接面で太陽の日食を見るが話題になっていた。これらの作品を見ると、

おいらの溶接面で太陽の日食を見るのつっこみが足りなかったと反省している。

  
かわいすぎる       おばあちゃん なのにようせつとはこれいかに?
ようせつ しないでね.


― 天壽   夭折が悲しいというのはあさはかだ。老衰して死んでゆくはうが、ずつとずつと悲しい――五十年も生きのびてゐながら、なほ声明のはかなさを明すること以外になにもできなかつたのだから。― [誰の言葉だと思う? ただしの字は新字。おこたいは最下段]

福田恒存、『否定の精神』 (福田恒存評論集 第十六巻、麗澤大学出版会)

『否定の精神』って、中二病の精神で、おもしろい。

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