水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
カルテ番号 ろ・1（18）
院長の話は続いた。
「明るく、というのは他人に対してではありません。
自分が明るく、なのです。
明るく振る舞う必要はありません。
他人にどう思われようが、かまいません。
他人に明るくするのは、・・・趣味です。
笑顔も同じです。
例えば表情ができない病もあります。
それでも、自分が笑顔ならいいのです。
逆に、顔だけ笑顔の人々も沢山います。
それも・・・趣味です。
趣味は、どうでもいいのです。
道を歩くには、明るく、笑顔。
その道は、自分で歩く自分の道です。
他人に見せる為の道ではありません。
また、他人に評価を受ける為の道でもありません。
道を歩くには、明るく、笑顔、がいいでしょうね。
どんな道でも、結構いい道だと思いませんか」
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カルテ番号 ろ・1（17）
蠟山辰雄は言った。
「先生の言う意味はわかります。
そうなれればいいと思えます。
でも、私は暗い性格です。
心が暗いのに、明るく過ごすのは無理だと思うのです。
普段笑顔もほとんどないのに、かえっておかしくないですか？」
院長は言った。
「人は思い違いをします。
いろいろ勝手に判断をします。
例えば昔、太陽は地球の周りを回っていると判断していました。
そう思えるからなのですね。
人間、いや多分、生物全てで、暗い性格は存在できないのです。
生命が明るい性質だからです。
暗い生命など存在できません。
人の赤ちゃんを見てください。
暗い性格の赤ちゃんがいるでしょうか？
全ての人が、赤ちゃんだったのですよ。
もちろん、蠟山さんも例外ではありません。
性格だと思い込んでいたのは、勘違いです。
性格ではなく、後天的に作り上げたものです」
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カルテ番号 ろ・1（16）
院長は更に言った。
「見える道を歩くのは安心ですよね。
でも、見える道では変われない。
わかっている道を歩いても変わらない。
見えない道を歩こうとするから、変われる。
わからない道を歩くから変われるのだと思いますよ」
見えなくてもいい。
わからなくてもいい。
むしろ、見えない、わからないから進める。
そうか。
今までは道を歩いていたけれど、進んでいたわけじゃない。
だから、つまらない人生だと思っていたのだ。
蠟山辰雄は一つ納得できた。
「先生、見えない道を歩くのは不安です。
何かコツみたいなものはありますか？」
「道が見えなければ、自分が明るくなればいいのです。
明るく、笑顔が多ければ、不安は小さくなるものです。
同じ時間を歩くなら、笑顔が多い方が愉しいでしょ。
日常生活は、小さな工夫で愉しめるものです」
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カルテ番号 ろ・1（15）
蠟山辰雄は不思議な体験を普通に認める院長を改めて見た。
この院長は様々な不思議体験をしているのかもしれない。
受け止め方が自然なのだ。
ならば、この先の方向も示してくれるかもしれない。
これから先、どう生きていけばいいのか、どうしてもわからない。
今までとは違う生き方とは、どういう生き方かわからない。
「先生、私の生き方をどう変えればいいのでしょうか？」
院長は優しく笑った。
「蠟山さん、もう変わっているじゃないですか？
今日の体験で、もう変わってしまったのですよ。
具体的なイメージがつかないのでしょうが、それは気にしなくてもいいですよ。
こういった大きな体験は、その後が自然と歩けるものです。
今までの道とは違うから、まだ道が見えないだけです。
見えなくても、道の上にはいます。
そして、そのまま歩く事もできます。
先など本当は誰にもわからない。
見えても、見えなくても、同じなのです。
大丈夫ですよ、もう変わってしまっていますから」
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カルテ番号 ろ・1（14）
蠟山辰雄は院長と向かい合って、今の状態から話し始めた。
そして、家庭からも社会からも離れている自分を正直に話した。
そうなる理由は自分にあるとも話した。
過去に遡って、自分の不誠実な心をさらけ出した。
話しているうちに、不思議な感覚が生まれてきた。
自分の事なのに、他人事のような気持ちだった。
それまでの蠟山辰雄ならば、自分を責めた。
そして悔いた。
それが、責める気持ちも悔いる気持ちも湧かない。
冷静に事実を話しているだけだった。
そして今日の出来事を話した。
崖から落ちる時に思い浮かべた事。
「本当は１秒くらいだと思うのですよ。
それが、とても長い間、考えて、思って、決心できたのです。
とても不思議な体験でした。
こんな事って、あるのでしょうか？」
院長は少し微笑んで言った。
「そういう事も、あるでしょうねぇ」
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カルテ番号 ろ・1（13）
少し頭がぼ～としている。
院長はそんな蠟山辰雄に言った。
「気功の後、眠かったり、だるかったりします。
これは身体がまだ身体を整えようとしているからです。
一応、約束の１時間が経ちました」
そう言われても、頭が働かない。
「あの～、もう1時間いいですか？
今度は相談事で話を聞いて欲しいのですが」
「もちろん、かまいません」
そしてマットからテーブルに移った。
蠟山辰雄はそう言ってしまってから、不思議な気持ちになった。
相談事などしたいと思っていたわけではない。
なのに、何故そんな事を言ったのだろう。
自分であって、自分でない自分がいる。
今までの蠟山辰雄でない、自分がいる。
そして、その自分の方が素直なようだと思った。
思えば、ここに飛び込んだのも、もう一人の自分だったと思える。
もしかしたら、本当の自分が、やっと出てきたのかもしれない。
少し、気持ちがドキドキと喜んでいるような気もする。
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カルテ番号 ろ・1（12）
簡単な記入事項を書いて、マットにうつぶせになった。
腰と背中を打ったということで診ているのだろう。
そっと触っている、くらいな感じだった。
「痛い所があったら教えて下さい」
院長はそう言ったが、触られて痛い箇所はない。
むしろ、触られていると気持ちいい。
極簡単に一通り触っただけだった。
「はい、上向きで結構です。
私の感じでは打ち身による異常はありません。
内臓も異常は感じられませんでした」
院長はそう言ったが、内臓などいつ診たのだろう。
そして、頭部に移動した。
やはり、そっと頭に指を乗せた。
頭を触られて、これほど気持ちいいとは知らなかった。
そう思った時には、意識が無くなっていた。
眠ってしまったのだ。
その間、３０秒も経たなかったろう。
院長に軽く揺り動かされて目が覚めたのは、１時間過ぎていた。
夢も何もみない、あっというまの１時間だった。
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カルテ番号 ろ・1（11）
蠟山辰雄は病院で検査するほどではないと思っている。
痛みといっても骨やその他なら、もっと痛いだろう。
それに頭は打たなかった。
「それで結構です。
実は気功って初めてで、よくわからないのです」
院長は言った。
「わからないのに、来られたのはどうしてですか？」
訊かれて、蠟山辰雄は考えた。
どうしてだろう？
以前から興味があったわけではない。
むしろ、気功などは怪しげだと思っていた。
今でも信じているわけではない。
なのに・・・どうして来たのだろう？
そんな様子を見て、院長は言った。
「わからない事を、解明するのが目的ではありません。
わからなくていいのですよ。
わからない事の中にいるという事実を認識して欲しいだけです。
何故だかわからない。
そんな事は、この世に沢山あります。
深く見ようとすると、ほとんどがわからない事の中にいると気づくでしょう」
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カルテ番号 ろ・1（10）
意味もなく、必要も無い所には行かない。
そういう生き方だった。
ところが、今回は違った。
心が騒いでいるままだ。
何かを始めなければ、今までと変わらない。
そのまま駐車場に車を入れた。
そうだ。
腰を打った。
背中も打った。
だから診てもらうのだ。
治療が必要かもしれないから、診てもらう。
そういう言い訳を考えながら、玄関を開けた。
「ごめん下さい、診察、お願いできますか？」
「私は気功師ですが、その立場からの診察でよければどうぞ」
そのまま上がって、自己紹介をした。
今日、崖から落ちて腰と背中を打った事を話した。
院長は黙って聞いていたが、じっと蠟山辰雄を見ていた。
「大きな痛みがあるようならば、病院で検査する事をお薦めします。
大丈夫なら、私なりの診方になりますが、よろしいでしょうか？」
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カルテ番号 ろ・1（9）
考えても分からない。
65年間、人生を自分で作るなんて考えなかった。
自分の性格では、流されて生きていくだけだと思っていた。
生まれたから生きていく。
社会があるから、適当な就職をして生活する。
結婚をし、子供を作り、家庭を持つものだから、そうした。
そういうものだと思い込んで生きてきた。
死というものを身近に感じた。
体験したといってもいい。
そして、生きる、ということを考え始めた。
温泉を出て、山の観測小屋に戻る気はなかった。
とはいえ、家に戻る気も起きなかった。
まだ家の陰鬱な雰囲気を払拭する自信はない。
車を適当に運転していた。
蠟山辰雄の今までなら、無駄な運転などしない。
どうしたらいいか・・・
ふと看板が目についた。
こんなところに、こんなものが・・・
それが、気功の治療院だった。
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