水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「風間陽水の依頼簿(カルテ)・422」

2014-12-14 18:44:04 | Weblog



カルテ番号 は・9(18)

院長の講義は続いた。
「まず、何故感覚というものがあるのか?
例えば、正義とか真実とかは、教わって知るものです。
あるいは、それまでの人生から自分で勝手に判断します。
でも、立場が違うと真逆になることが珍しくありません。
自分で判断していたのではなく、何かに当てはめていたわけです。
他の人、世間と共有しないと正義や真実と認められません」

ここで院長は少し言葉を探していた。
「争いは、双方が自分側に正しさがあると主張することで起こります。
つまり、正義も真実も一つではなく、山ほどあるわけです。
真実は一つだけだ、というのは幻想なのですね。
我こそは真実だ、と主張する宗教間の争いが、それを物語っています。
私は、真実というのはそんなに狭く小さいものではない、と思います。
全て真実、見る面や深さ、高さの違いから、他を認められないだけです。
真実が一つ、あるいは、正しさが一つと思い込むと、何も解決できないようです」

原奈緒子は自分の考えと、世間の正しさのギャップを感じていた。
だから、真実も正しさも幾つもある、ということに納得している。
「ところが感覚は自分で判断できます。
個の生命を導くものだからです。
痛さを感じれば避けようとします。
気持ち良ければ、そのまま受けようとします。
生命が判断しているのですね。
誰かから教わるものではなく、赤ちゃんの時から自分で判断できるのです」


(登場する人物・組織・その他はフィックションです)


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