日本で商業採掘し製品にしているのは一社のみ。
その店が盛岡駅ビル内の土産横丁にあった。
琥珀は宝石として値段の高い方ではない。
それでも世間から3段階下層で暮らすワシだ。
きちんとしたペンダントやネックレスなどは無理。
一番安いのが根付け(ストラップ)だった。
御土産は買った行為が喜ばれる。
買ったモノではないのだ。
その心配りを喜ぶものなんだ。
モノによってモンクを言うような相手もいる。
そういう相手とは縁を切ればいい。
ワシと付き合う本妻や愛人は理解している。
その喜ぶ笑顔を見たくて、安物買いをする。
本妻に一つ。愛人に一つ。ワシに一つ。
(愛人達は平等だが、代表として身近な一人に・・・)
本妻と愛人は同等だが、ワシはワシに贔屓する。
ワシも他のモノ達も平等だが、贔屓はする。
贔屓は個人的趣味の問題だ。
メンドウクサガリ屋のワシは身近に贔屓する。
身近なら、ワシ本人だろうが他人だろうが関係ない。
だから一番身近にいるワシ自身に贔屓する。
モンクあるか?
そういうわけで、ワシの根付けだけ少し大きい。
大きいといっても、その店ではオマケのような製品だ。
「琥珀は中に虫が入っているのが高くなります」
そうだろうなぁ・・・
8500万年前の姿を止めているのは琥珀以外に無い。
(久慈琥珀は外国琥珀よりかなり古いものなのだ)
命懸けの代償として治療費をいただく。
「氣」の力はワシの力ではない。
だが交換交流するダメージはワシの命だ。
氣功料金というが「氣」の値段ではない。
「氣」はタダなのだ。
ワシの身体と命と生活に料金が必要なのだ。
ここが他の施術師とワシの違いだ。
技術や経験や知識の施術はその人のモノだ。
その人の力と技の代償が料金だろう。
通常の施術師の料金は力と技の料金だ。
ワシは力も技も無い。
(蛇足だがイロオトコでも無く金も無い・・・)
あるのは交換交流するワシの身体と命だ。
もう一つ・・・いいかげんな性格だ。
見ず知らず相手に命を投げ出せる性格だ。
(う~m・・・単なるアホではある・・・)
ワシの命の代償だから安い・・・。
安いけれど、貴重な金だ。
クライアントにとっても貴重な金だ。
簡単にン万円やン十万円のアクセサリーに使えない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」