alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

2017年09月06日 | 私の人生
 久しぶりに号泣した。
きっと泣きたかったのだ。
いつかそんな時が来て欲しいと
心のどこかで 思っていたのかもしれない。

 女は泣いて強くなる、男は涙をこらえて強くなる・・・
昔読んだ小林よしのりの漫画にそう書かれてた。
私は自分の子供の前で何度も泣いた。
泣くたびに、その後何かを手に入れてきた。
お母さんだって美術館に行きたいと、
本気で涙を流したことがある。それが今では笑い話に思えるほどに
もうお腹いっぱいというくらい、この数年で行ってきた。
 
 でもその時点では到達したくても到底できない、
そう思っているから涙が溢れてしまうのだ。

 私は一冊本を書いた。そのきっかけとなったのは
トイレで号泣したことだった。子供を妊娠し、
よき母を目指す人たちが集う産婦人科に
遠くまで見学しにいった日の夜、私は打ちひしがれていた。
私は母になるために生まれてきたわけじゃない・・・

 私にもやるべきことはあったはずだ。
どうして母になるからといって妊娠時代のすべてを
薪割りや散歩に費やさなければならないのだろう?
子供がいないからこそできる何かを必死でやってもいいではないか?
どうせ子供が生まれてきたら 自由なんてなくなると
皆口を揃えて言うのだから。

 私はそれが怖かった。自分の人生がどうなるのだろうと思っていた。
その不安は的中し、先輩たちの助言通り
私に自由なんて存在しなかった。当時の私にできた
唯一の抵抗といえばお茶を飲むこととブログを
書くことだけだった。そして洗濯物をたたむ気力もないままに
子供をあやし、気づけば1日が終わっていた。

 セルジュ・ゲーンスブールと結婚し一世を風靡した
ジェーン・バーキンは最近のマリークレールのインタビューに
こう答えてた。「自分は年をとったなんて全然思っていないんです。
中身は若い時のまんま、でもあるとき鏡をみて愕然とする瞬間が
くるんです。そういえば母も言っていたけど、そんなことは
自分には起こらないと思っていた・・・」

 特に子供を産んだ女性はあっと言う間に時が経ち
自分でもそれ以降何を成し遂げたのかもよくわからないまま
ジェットコースターのように月日がたって、ふと正気になって
振り返れば 自分は年老いてしまっている。
目の前の仕事、目の前の子供、目の前の家事、
必死になってこなしているだけで3年も4年も経ってしまう。
そして何が残ったのだろうと自問自答してみると

 美しい思い出なんて本当に残っているのだろうか?

 上手にバランスをとれている優れた人はそうかもしれないけれど
ジェットコースターのような日々を過ごしてきた人たちには
慌ただしく、子供に小言を言いながら、わたわたと
過ごしてきた日々しか残っていないのかもしれない。

 そんな人生でいいのだろうか

 子供は自分の子供とはいえ、いうことを聞いてくれるわけでもない。
大金をかけて海外の美術館に連れて行っても つかれた
やだ もう行きたくない で、予想していたものの
10分の1もわかってくれないかもしれない。
よく自分の作品を我が子のようだという人がいるけれど
この言葉を聞くたびに、私はこの人は子供がいないんじゃないかと思ってしまう。
本当の我が子と作品は全くもって別物だ。
我が子は自分のお腹から出たとはいっても別人格で
自分と感情も感覚も物の考え方も違う。
理解しようと思ったって 本当に違うのだ。
でも作品は違う。作品は自分の考え、自分の想い、
それを自分が思うように手を加えて具現化したもので、まさに自分の分身だ。
だから私は自分の作品を作りたい。
そう、もう書くべき時なのだ。

 妊娠中にトイレで号泣した後私は強く決意した。
子供が生まれる前に本を書こう。
そして私は実際書いた。原稿をすべて提出した後
息子は予定より1ヶ月早くこの世に生まれおちてきた。
あれから9年、信じられないほどの月日があっという間に
経ってしまった。その間私は書けなかった。
何度も何度も書こうともがいた。
だけど形にならなかった。それはおそらく
子供がいるとか 時間がないとか そういう理由ではなくて
結局のところ書けなかった その一言に尽きるだろう。

 だから私はきっと心のどこかで待っていたのだ。
あの時のように号泣する日がやってくるのを
自分に何の言い訳もできないくらいに
やるしかないと思わされる日が訪れるのを

 私には夢があった
子供がいるからといってそれを諦めたいとは思わない。

 夢を諦めたくない 

 溢れる涙の中で噛み締めていた想いはそれだった。


 高校の図書館に並んだ文学選書
哲学選書に偉人伝。 世界には素晴らしい作家たちがいた。
世界に名前を残し、影響を与えた作家たち。
ボーヴォワールもサルトルも、ヘミングウェイも
今私が読んでいるジャーナリストの本もそうだろう。
日本という遠い異国で、今でも誰かが読んでいる
そんな本を書いた人たちがいた。
私が彼らの研究をしていたのは、結局本心では
彼らのようになりたいという想いがあったからなのだ。
気づけば年老いてしまった今でも その気持ちは諦められない。
だってジェーン・バーキンのように 気持ちは高校生のままなのだから。
いつか私も本を書きたい
そしてヘミングウェイの本のように
パリのシェイクスピアアンドカンパニー書店に
普通に置かれる そんな本が書けたらいい

 本当にそう思っていた。

 その夢は諦めるべきじゃない。

 死んだような顔をして生きるくらいなら 
死ぬ前にやりたいことをやったほうが
よっぽどましだ。いつ死ぬのかわからないなら
本当に死んでしまう前に きちんと書き残したほうがいい。

 私はボーヴォワールに憧れていた。
あんな風に私もカフェで議論がしたかった。
フランス語や英語を必死になって身につけたのは
いつかそんな場所が現れた時 私もそこで議論に加わりたかったからだ。
その場所はやはりパリなのだろうか
それとも実はイタリアなのか
それはまだわからないけど

 書くべき時がやってきた。
それは確かなような気がする。
9年間の集大成。辛かったこともすべて含めて
書くための経験だったのならば

 もう諦めなくてもいいように
私は前に進んでいこう
書くための時がやってきたのだ。
子育てをして郊外に住み辛い経験をした女だからこそ
書ける言葉があるはずだ。

 夢見た世界がまだ頭の中にあるのなら
今度こそ
そこを目指して進んでいこう

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