alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

人生を変える

2016年05月18日 | 私の人生
 人生を変える、と言ったって、実際にはとても難しい。
『人生がときめく 片付けの魔法』を読んで毎年やる気になってみたって
私の部屋はリバウンドの繰り返し。本に登場するような
「一生リバウンド知らず」の部屋とは程遠く、
年末に大掃除をしようとするたびげんなりしてしまう。

 頭でわかって、それを行動に移して変えること、
それも意志力でなんとかなるのかもしれない。
もしくは大金をはたいてワークショップに参加するのも
一つの大きな変化になるのだろう。
でも意外と身体の中を先に変えてしまう、そんな手だってあるのかも。

 小麦断ち&砂糖断ちをダブルで開始し、ついでに
夕食の量も多いに減らすことを実行してからもうすぐ
1週間が経とうとしている。その間おそろしいくらいに
ウエストは細くなり、髪の毛は日々しっとりを重ね、
パサパサしてボリュームがあった髪はどこへやら。
ちょっとドライヤーをしただけで「えっ?こんなにまとまる?」
という具合になってしまった。こころなしか爪までツヤツヤしてきたように思う。
なるほど、人間きちんとした生活をしていればこんな状態だったのか・・・
昨日からは夕飯断食に挑戦し(といってもヨーグルトを食べてしまうけど)
朝起きたらずいぶんすっきりしており、目覚ましより先に起きてしまった。
最近はできるだけ駅までも歩くように心がけているけれど、
今日は帰りに歩いてみたらやたらと身体が軽くて驚いた。

 何かを断ち、数日で劇的な変化が訪れるたびに私は思う。

 今まで自分だと思っていたもの、あれは何だったんだろう・・・・

 今まで自分だと思っていたもの、あれはむくみだったのか・・・

 今までお腹だと思っていたもの、あれは水分だったのか・・・

 あれが辛い、これが辛い、その痛みから逃れるために
また何かを探し、不安から逃れるためにやたらとハーブティやら
お菓子を持ち歩き、荷物も支出も膨らむ一方。
私、何してたんだろう・・・

 人生がもしこんなに軽やかだったのならば、
つい走りたくなってしまうような身軽さならば、
人生はもっと違っただろう。

 身体が急に軽くなる、マッサージのあとそんな経験を
した人もいるかもしれない。私の場合は母乳マッサージを
してもらった後がそんな感じで、母乳育児中に美味しい何かを食べたせいで
乳腺がつまり、桶谷の先生に怒られながらも、つまった
母乳をピューっと出してもらう。その帰りの軽かったこと!
まるで羽根が生えて天にも昇れそうな心地だった。

 桶谷の先生はいつも言っていた。「おっぱいを噛むのは
子供が悪いんじゃありません。おっぱいの味がまずくなっているからです。」
そして自分の母乳を何度も舐めた私は経験でよくわかっていたはずだ。
ちょっと焼きすぎたサンマを食べた後の母乳は焦げた匂いがすることを。
母乳というのは白い血とも言われ、今でこそ子供は飲んでいないけど、
その血が私の全身をかけ巡っている。今目の前に噛んで訴える子はいない。
でも私の血は同じ状況を繰り返す。バターたっぷりの美味しいケーキを
食べた後には母乳がつまり、美味しくて涙すらでるような桃を食べた
後にも私の母乳は変化していた・・・その変化は本当にわかりやすかった。

 妊娠中も、母乳育児をしていた時も、私はけっこう辛かった。
アメリカ映画を見てその暮らしぶりに憧れたあと、帰りに立ち寄った
明治屋で私が変えるものといえば胡麻油。ひじき、それに高野豆腐?
嫌になる程子供のころからそんなものばかり食べていた。
だからこそ西洋風の食事に憧れたのに、また禁止か・・・
子供の頃の我が家は食事内容には非常に厳しく、箱入りのお菓子
(ポッキーやプリッツなど)も遠足の時しかダメ。
お祭りがあっても飲食禁止。もちろん炭酸飲料はダメ。
お正月のかまぼこは、いとこがピンクのかまぼこを食べていても
我が家の子供は厳しく禁止。普段のおやつはせんべいか干し芋という有様だった。
図工の時間に「お菓子の箱を持ってきてください」と言われても
そんなものが存在しない。あるのはティッシュの箱くらい。
そんな家庭で育ってきたから、もう嫌という程煮物は食べた。
お弁当の色は茶色く、友達の冷凍食品とよく交換してもらっていた。
それなのにやっと自立して自分の家庭を持っても、また食べるのは
これなのか・・・・こんなにヨーロッパが好きなのに・・・

 そう思いながら妊娠中も玄米食を心がけ、そうとう食事に
気を使い、母乳育児中も誘惑に負けては母乳がつまり、
桶谷の先生に怒られていた(何を食べても全然平気な人もいる)
それで、それでやっとその時期が終わったのに。・・・またか・・・

 母は正しかったのかもしれない。確かに私は小学校も1日しか
休んだことがない。中学は多分皆勤賞だ。高校時代や大学時代、どれほど
エネルギッシュだったかは友人たちがよく知っている。
それで、なんでこんなに今は元気がないのだろう?
フランスに留学して、一人でカフェに行き始めたから?
それは疑いたくないけれど・・・

 正しい食事、というのは確かに存在するのだろう。
それはかなり質素な食事で、はじめは味気ないだろう。
ご飯の時間とお茶の時間しか楽しみがないと思っていた私にとって
こんなにも少しの間しかものを口にしないというのはかなり寂しい。
でもその代わりに時間ができた。なんだかずいぶん暇だなあ、
最近立て続けにそう思う。なんであんなに忙しいって言ってたのかな?
なんだかそれも不思議に思う。子供に対して行為に怒ることはあっても
そのままイライラし続けることはほぼなくなった。
この3日ほど、ようやく食後の気分や体調のジェットコースターの
ような変化がなくなり、食事をとるのが怖くなくなってきた。
食後も疲れることがなく、午前中のコンディションのように午後も
働けたならどんなに時間があるだろう?それに夕飯が
重要でないのなら(夜はとにかく胃腸を休めたほうがいいらしい)
思ったよりも自分の時間があるでは?


 ないない、足りない、やっぱりできない。


 そういう思考を生み出していたのは時間でも仕事でも現実でもなく
自分が食べてきたものだったのかもしれない。
人生を変えるために口にいれる何かを断ってみること。
そしてその変化を自分で体感し、それからもう一度自分で選択すること。
こんまりさんは言っていた。どこまでマイナスにしても大丈夫なのか、
そのラインを確かめること。そこまで捨て続けてみるといつかストンとわかるらしい。
食もそれに近いのかもしれない。

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