alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

ノマドに生きる?

2012年04月28日 | 私の人生

 世の中には 土タイプの人だとか
風タイプの人というのがいるらしく
私はといえば どんなに人に言われても
結局土にはなれないタイプで それがとても後ろめたくても
そういう性質なんだからもう仕方ないじゃんとも思ってた。


 ところが最近 「ノマド」という言葉が使われ始め
そんな言葉が許されるなら、私もノマドに生きていたい、
そうノートパソコンを持って カフェで仕事して
フランスに行き 日本に行って、、、 そう思ってた。
そんな矢先に 本田さんという人が書いたノマドに関する本を
見つけて 図書館で半分くらい読んでいた。

ノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと
本田直之
朝日新聞出版


 すると予想通りというか予想を裏切られる というのだろうか
ノマドに生きるためには基盤こそが大事であって
「明日からノマドになります!」というのは相当危険なことらしい。
彼はデュアルライフという、日本とハワイを行ったり来たりする
うらやましい生活をしてるらしいけど そのために20回も
現地の下見に行ったという。それは「えーい行っちゃえ!」という
タイプの人にとってみたら 考えられないくらい
石橋を叩いて渡ってる感じにもみえる。


 私はというと 私のことを知ってる人に言わせれば
「みきちゃんは石橋を叩いて割る」タイプらしいのだけど
けっこう私は臆病者で 私のまわりにいる人たちは 次々と
ヒューンと海外に飛び立ってしまったけれど
私も後追いしたい、いや するからね、 と言ってるものの
なかなかそうはできなくて


 それって勇気がないからなのかなあ、、、と
思っていたけど この人の本を読んでちょっと安心した気になった。
やっぱり基盤は大切なんだ。そこがしっかりしててこそ
ノマドになってもうまくいくわけで 何にもないのに
ポーンと飛び出し フランスに行って困ったような状態になっている
そんな人たちを私は沢山知ってはいるから
それでも楽しかったらいいのだろうけど 私はみんなと違って
深夜のバイトはできないし 幼稚園のお迎えは5時前だから
それまでに終わらせてかつお金を稼げる仕事じゃないと
無理なんだよな、、、 そう思うと気も重くなる。



 私もなんとかいろいろとやってきたような でも
結局のところ スタートラインにたったのは この4月からなような
だとしたらまだ始まったばかりであって 基盤をつくることなのかなあ?


 そんなことを思っていたらものすごく突然に
「東大の近くでカフェをやってみませんか?」という話がやってきた。
はじめは自分ごととしては考えてなんかなかったけれど
場所をみたりお話をしたりしているうちに だんだんと
表情も変わり なんだか面白くなってしまい
説得されたりしている時に「ほらね 今こんな本を持ってるの、、、
『丁度その時』」と言われてしまった。
それは丁度その時 その瞬間に 色んな出来事が
シンクロニシティのように起こってる そんな美しい詩なのだった。


 丁度その時 

 ちょうど誰かが迷っていた時?

 ちょうどビザの申請がうまくいかなくなっていた時?

 やっぱりまだ 何かが足りてないんじゃないかと
うすうす自分で感じていた時?

 ちょうど東大って面白そうだな!と再び思っていた時?


 こんなカタチでやってくるなんてありなのかなあ、、、


 散々パリ!!と思っていたのに それなりに動いていたのに
カフェなんてここでやったら ノマドじゃないじゃん、、、
「でも私タイプで言ったら風のタイプなんですよ
一所に根をおろして10年、20年って言うのができないし
それにまさに今フランスに行きたいと思っていたとこなんです、、、」
と 言ってみたものの またいろいろと言われて結構納得し
こんないい話はあるわけないよな こんな機会もないよなあ
断る理由なんて何一つないような話だなあ、、、


 と 思いながら約2日間が過ぎている。


 神様は あまりも突然にチャンスをくれるものなのだろうか?
5年前に夢見ていたこと? それをすっかり忘れてたころに
ポーンとさしだしてくれるものなの?もう違うところに行こうとしてたのに?
それとも10年後にはこうしたら、、、と思っていることを 急に
「ほらね」と差し出してくれるのだろうか
ちょっと待ってよ フランス行ってからならやろうと思っていたのに、、、


 順番なんてわからない。
神様は いろいろときっと与えてくれるのだと思う
でもその与え方とか 順番は「オイオイ!」と言いたくなるほど
予期せぬ方向から来るのだろうか どうなるのかわからないけど
「場というのを持つことによって違う種類の自由を手にした」と
影山さんは言っていた。もう一歩 違う段階に向かって進む時なのだろうか
どうであれ 楽しくてワクワクするような人生だったら
それが一番よさそうだ。

あれから1年

2012年03月11日 | 私の人生


 3、11から1年が経過して 世界中で
誰もが色んなことを思った日なのだろう。
私はまわりの人たちほど 復興関連で何かを
頑張ったりとかしてはいないので 何か言うべきことも
言えるようなことも特にあるわけではないのだけれど

 それでも私にとってもこの日を境に人生は
激変していって 何だったのかな 何だったのだろうと
今日はぐるぐる考えていた。きっとみんなもそうだろう。


 人生の分岐点にありそうに見えた3月 私はわけがわからなかった。
一体何が起こっているのか?家にテレビがなかった私は
リアルタイムで情報なんて入ってこなくて ようやく次の日
友達の家に行かせてもらってテレビを見るとすごいことになっていて
それでもやっぱり 頭の中はわーっとなってて
何をどうすればいいのかも さっぱりとわからなかった。
できる限りの援助はしよう そう思って2日ばかりいろいろと
動いていたけど 爆発が起きてからか 色んなことが我が身に
降り掛かり いつからか私は航空券のサイトをチェックするようになっていた。


 私にとっては この1年は いろんなことをしたかったけど
やりきれなかった そんな1年だったのかもしれない。
沢山の知人が復興や支援の活動をはじめていく中 私は
自分の私生活のごたごたや自分の人生でもう手一杯になってしまった。
先行きが全く見えない そういう点で 私は福島の人たちに
共感をしてしまったのかもしれない。私は直接の被災者ではないけれど
結局のところこの日を境に人生がゴロっと変わり
わけのわからないまま わけのわからない選択をして
以前にはあるかと思ってた道とはなんだか違う道を歩んで
だけど目の前にはまだ小さい我が子がいつも傍らにいる。


 はっきりいって  どうしていいのかわからない


 それがこの1年間の私の状況だった。それは個人的な体験かもしれないし
だけど避難したという点やこれでも母親であるという点で
福島で見聞きした話にはやたらと共感してしまい
私はほんの少し 救われたような ああ辛かったのは
道が見えなくてもがいているのは 私だけではなかったんだ と
なんだかやっと 友人を見つけたような なんだかそんな気持ちになった。


 私は沢山の卵を割った。それはこの事件のせいでもあった。
だけどオムレツはつくれなかった それは半生のままだった。
けれど今日 フェイスブックで知人が「この1年はマイナスを
ゼロにするとき これからはプラスにするとき」と書いていて
そうかもな と 思えたから 少し前を向ける気がする。
人はどん底に陥ったとき あまりのどん底のせいもあり
やたらと前を向いてみたりする。私はこの夏が最悪だったけど
夏に書いたブログやノートをみてみると やたらと前向きでもあって
何でだろう?と思うけど そうでもしないと生きて行けない
そんな現実があったからだろう。辛いとき 夜道を20分間歩きながら
私はアフォーメーションを繰り返してた。どんなにそれらが
信じられなくても とりあえず口に出して繰り返してみた
そしていつか 何ヶ月か後に 「もしかしていけるんじゃない?」と
思えるような時が来た。それは本当に不思議なことだ。


 何も信じられなくなってても とにかく声に出して
何度も繰り返しその言葉を発してみること
そしたらいつか 意識から無意識にまでその言葉が落ちて行くと
どうも夢を見るらしい。夢でもそんな意識になれてるということは
自分の意識が相当変わったということで 口に出す 声に出す
どんなに信じられなくてもとりあえず言ってみる って
大切なことなのだと思う。


 この1年は 散々だったような気もする。でも一方で
いい出会いだってあったわけで どこかに向かって 去年の今より
確実に何かが形になっているようには思う。ただの夢想に近かったことが
だいぶ近いレベルまで来たような、、それでもまだまだ遠いような

 私は割った卵の分だけ オムレツをつくることができるのだろうか
できること と できないこと がそれなりにわかってきた今
書く ということ それはやっぱり大事にしたい。

自分の解放

2012年03月04日 | 私の人生



 「まあみきちゃん、元気そうになったわね!
なんだかおでこのチャクラも開いてきたみたい!」
と 2週間前とは打って変わったことを言われた今日の
午後の体操教室。「なに言ってるんですか、、、」と
思ったものの でも本当に元気そうになったらしいのは
確かなようだし 今日は体操のあと久しぶりに
蓮太郎に向かって「お母さん元気になったからね!」と言えた
自分に驚いた。


 自分を元気と言えるだなんて、、、!


 すごいことだなあ、2月は春に向かってのたまっていた
悪いものたちを全部吐き出すときだったのかなあ
そう考えたら きっとこれからもっと良くなる。
そんな気がして 今年ばかりは 春がいい気分で迎えられるかも。


 この体操教室は とっても変な教室だけど
効果といったら半端なくって 毎回身体もめちゃくちゃ軽くなり
自分の中の重荷も少しずつ軽くなるから 本当に心身ともに
健康維持に欠かせない教室だと思う。


 ちょうど3日前くらいから ああなんだ れんたろうって
こんなにリラックスして肩肘はらずに生きてるんだ
だから猫みたいにしなやかなんだ!と気が付いて
なーんだ私も力を抜こう とだらんとしてたら
なんだか本当に気持ち良くって それがとてもありがたい。


 お母さんがだらんとしてると 息子にも強いことは何も言えず
私も動くのが嫌だから なんとかちょっと頭や言葉を使って
場所を動かずに遊んでみたり。息子はとても活き活きと生きているけど
「それはあんたが放任してたからじゃない?」と先日母に言われてしまった。
「こうしなさい ああしなさい あれもだめ これもだめ!!」だと
息子の表情もどんどん変わる。それは京都でもフランスでも
先日のインフルエンザでも体験したけど「いい子にさせなきゃ!」と
強く思ってだめ だめ だめ!!とやっていると
彼の目の下はなんとなくクマっぽいいやな感じのくぼみができて
少なくとも活き活きしてない それだけはよくわかる。


 たいていの場合 そんな時には 私もどこかで疲れたり
彼が熱を出したりだとかで「ああ悪かったな まあいっか!」という
力が働いて やっぱり2人で布団でごろごろ そしてバカ遊びをして
楽しむ そんな感じになっていく。


 インフルエンザの時の「あれもだめ!これもだめ!」が終わった後で
私も肩の力を抜いて なーんだこれって気持ちいい と気が付いて
もしかして と 思ったのは 子供に「だめだめ!」と言っているのは
自分のことも許せていない そういうことなんじゃないだろか。


 躾はもちろん大切だ。でもすべて「いい子」な方向でやっていたら
どちらもけっこう苦しくて その力が強く働く時といったら
それは自分に内在されてる他人の目を気にし始めた時だろう。
彼に何て言われるだろう?あの人に何て思われるだろう?
彼の実家ではいったい何て言われるだろう?フランスで何て言われるだろう?
そういうことを気にしはじめると「だめ だめ だめ!」になってしまう


 だけど本当は?別にいいんじゃない?ということだってあるわけだ。
これくらい仕方ないよということもある。それどころか
もしかして 私たち大人が子供から学べばいいんじゃない?と思うことさえもある
大人の社会がすべて正しい訳じゃないなら(正しいならこんなに
慢性的な病気とか生きにくさを抱えてる人が多すぎるのはおかしいのでは?)
子供のしなやかさとか軽やかさとか発想とかバカさから
私たちが学ぶことだってあるんじゃない?(しかもそれを難しい言葉では
創造力とか呼ぶんじゃない?)


 私はよく「恥ずかしい」と思ってしまった。
京都の中心部なんかは「よそさんに嗤われるえ」と言われるらしい
そんなで言ったら息子の行動はかなり恥ずかしいことばっかりだけど
でも恥ずかしいようなことをしてるのはけっこう面白い。
だから私たちは変なことをしながら2人でゲラゲラ笑う。
蓮太郎を楽しませるため?歩かせるため?そう思っても
こちらも大きな声をだして「発車しまーす シュッシュー!」とか
いって蒸気機関車のまねをして走っていると笑えてしまう。
飛行機ビューンといって翼を広げて走って行くのも
恥ずかしいけど面白い。


 「自分を解放できるから、、、」と様々なワークショップに
行ってみたという女性は私に話してくれた。自分の解放?
この先生の体操教室もまさにそう。息子は自分を解放してる。
そもそも縛りなんていうのがない。そこに大人がどんどん縛りを加えてく
「そんなことしたら恥ずかしい」「そんなことしたら笑われる」
そうやって そう思って 私は長年 口を閉ざして生きて来た。
時折それでも質問したくて 話したりもしてたけど
私は普通の社会生活で自分を解放なんてできないでいた
だからずっと 苦虫をかみつぶしたような顔をしてたのだろう。

 だけど最近思うけど きっと子供が喜ぶことは
きっと子供が楽しいことは 大人にとっても大抵楽しい。
子供にとって本当に居心地がいい場所は 大人にとっても居心地がいい。
子供は場のバロメーターな気がするけれど 本当に居心地のいいカフェは
何故だか子供でさえもけっこう長居ができるもの。
場の空気が濁っていたり淀んでいると子供はすぐそれを察知する。
あの蓮太郎でさえ どこかに行った時、特に私のいないところでは
場や人の空気を読んで黙ってる。でもその人が自分を
認めて受け入れてくれることがわかると 彼はゆっくり自分を出していく。
それって大人も同じなんじゃない?でも私が 蓮太郎のようにまで
慣れていないのは きっと私のバリアが蓮太郎よりよっぽど固いからだろう。
(多分それは幼稚園と小学校時代につくられたものだと思う)


 私はワークショップに行けるような機会はあんまりないけれど
独身の人たちに比べてちょっと恵まれていることがあるとするなら
このアホな息子と一緒にいることで ワークショップにお金を
払わなくても しらないうちに自分を解放できることだろう。
子供の真似をしたならば?もっとしなやかになれるのだろうか
蓮太郎と一緒にバカになったら?もっと自然に笑えるだろうか


 体操教室に通って半年。身体を学んで自分を少しは解放できるように
なった気がする。変な体操を朝蓮太郎の前でしながら「お母さんって
おかしいよねー」と言ったら息子は「おかしくてもいい!」と断言してくれた。
世の中に 一人でもそう言って自分を愛してくれる人がいること、
それは本当にありがたい。
私たち バカな親子は何かを見つけていけるのだろうか
少なくとも 我が子の目はいつも輝いてキラキラしてる。
我が子はとてもアホだけど そこにこそ 人生を楽しむヒントが
あるかもしれない。もっと自分をゆるめていくこと
アホな蓮太郎だけじゃなく 本当はアホな自分を認めていくこと
他の人たちと同じようには生きられないけど 息子が言ってくれたように
「それでもいい!!」って断言すること それが大切なのかなあ。

内なる声とシンクロニシティ

2012年03月03日 | 私の人生
 

 「オムレツを作るためには卵を割らなきゃいけない」んだと
誰かが言った。それはフランスの格言で 何かを得るためには
何かを捨てないといけないという そういうことを意味するらしい。


 「そうかオムレツを作るためには、、、」


 その言葉が心に残った私はいくつも卵を割った。
どれくらい?卵の殻で なんど指を血まみれにしただろう
ボウルには どれほどの卵が入っているのだろう
時折血の赤い色が混じった卵は未だに オムレツにはならないようで
オムレツにしようと思っていたのに 生のままなのか
それともまちがえてスクランブルエッグになったのか
どうであれ 半生な状態なのは きっと間違いないのだろう。


 昔参加したワークショップで コーチングで有名な
榎本さんという人がこう言っていた。「内なる声に従うこと。」
内なる声に従えば きっとそれは自分にとって正しい選択。
そして彼はやっていたことをやめて北欧に家族を連れて移住をしたんだそうな


 そんな良さそうな話を聞きながら
女 という立場であった私は思った。
果たして彼の奥さんは 内なる声にその時従っていたのだろうか?
女が内なる声に従ったなら?家庭は一体どうなるのだろう?
それはいつ何時も 夫となった人の内なる声と一致するものなのだろうか?
私にはそうは思えなかった。


 女が内なる声に従ったなら? その時思った私の疑問は
かなり挑発のようなものだろう。だってそれは 多分 
許されてなんかいなかった。 私がいつも うらやましいな
あんな人みたいに私もなりたい そう自然と考えて
自然と自分と比べてしまうのは いつも男の友人たちで
「私もあんな風に」と思っていたら なんだかどこかで亀裂が入る
それが「女」ボーヴォワール風に言うなら「第二の性」ということなのだろう。



 さて 内なる声に従ったつもりでいても
『シンクロニシティ』の著者によれば
一度それに疑問を抱いたり大勢の人たちが自分と違うことを
言うからという理由で不安になったりしていくと
開かれたと思ってた扉も次第に閉まっていくんだそうな。
彼はこう書いている。

「私がワナという言葉を使って述べようとしているのは、
古い考え方や行動のしかたに後戻りさせ、ひいては
私たちが「つながり合う創造的な世界の営み」の一部になるのを
妨げるあらゆるもののことである。そうしたワナは強力だ。
そのくせ深いレベルにおいて、それらのワナは中身がない。
しかし私たちがそうしたワナに陥るとき、その結果は即座に
現れるうえ、きわめて不愉快な気分にさせられるものだ。
高みへと上る流れにあったのに、それを失うのは、精神的に
大変な打撃となる。すべての創造的活動を停止する。
すべてのシンクロニシティも突然、消え失せてしまう。」

 それで私みたいに中途半端なオムレツ未満みたいなものが
できてしまうわけだろうか。


 オムレツは どうやったらつくれるのだろう?


 一番大切なことというのは オムレツの姿をくっきりと描くことなのだろうか
それとも卵に熱を加えることなのだろうか スクランブルエッグにはならないように
それとも私の場合は卵に混じってしまった赤い血を まず取り除くことなのだろうか
それとも?食べたいのはオムレツなんだ!と声を大にして言うことだろうか
誰に向かって?天に向かって?そうしたら生卵は自分が火を加えなくても
気がついたらオムレツに変身してくれるのだろうか?


 今日は保育園の説明会に行って来て
驚いたのは「3歳児は定員割れなんです」と言われたことだった。
はあ?どういうこと?私この何ヶ月も役所の人に
「定員オーバーです。どこも空きがありません!」と
言われ続けていたというのに。ふたを開けてみたら
初の定員割れだったそうな。信じられない じゃあ
役所の人が私を泣かせ続けたあの脅しは一体何だったのだろう?

 それはかつてもそうだった。私がさんざん役所で
「空きがありません」と脅されて 仕方がないから
諦めていた そしたら紙を提出した人たちはみんな通って
「専業ママ」とは一年間でおさらばだった。私と彼女たちの違いは
それでも紙を出したか出さなかったかなんだよな。


 はじめから諦めていたら何にもならない。
でも扉をたたけば 叩き続けたら 開いてくれることもある
シンクロニシティが起こったら 扉を叩かなくってもスウッと開いてくれるけど
シンクロニシティが途中でやむと 何もかも中途半端だ。
(でも確かそんな榎本さんも北欧にきたけど何しに来たのか
わからなくて悩んだと言っていたような、、、)
もっと心を開いて内なる声に従ったなら
シンクロニシティは起きて助けてくれるのだろうか
外国に行くとシンクロニシティが起こる人というのは
外国だとオープンで素直になって楽しめているからなのだろうか

 私は『シンクロニシティ』の著者の言葉を信じたい。
「無上の喜びを追い求めるなら、ずっと前からそこにあって
あなたを待っていた道に身をおきなさい。そうすれば、
生きることになっている人生を、あなたは生きることになる。
このことがわかるようになると、無上の喜びという「場」にいる
人々に出会い、扉をひらいてもらえるようになる。

 いいですか。怖がらないで、無上の喜びを追い求めなさい。

 そうすれば、夢にも思わなかったところで扉がひらくようになるのです。」


 成せばなる こともある 成らないこともたくさんあるけど
でも紙を出さなければ本当に何にもならないわけであり
はじめから諦めるか 出してから結果をみて諦めるか
それともそれでも諦めないか もしくはどこかで奇跡が起こるか?
シンクロニシティはまた起こってくれるのだろうか?
もうさんざん 卵は割って 痛い思いはしてきたわけで
でもそれはただ 卵の殻で怪我をしたかったからではないはずだから
ちょっと元気になった今 オムレツにもっと意識をむけて
せめて生卵をかき混ぜてみよう。火を加えられる日もくるだろうか
いつの日か 笑って なーんだそうか このために
沢山の卵を割ったんだ いっぱいあるから美味しかったね
多少の血だって塩気がきいて ほら美味しいって
そういえる日が来てほしい。



明日もし死ぬとしたら

2012年02月14日 | 私の人生

 今まで感じたことのない 原因不明の
朦朧とした意識の中で 寝たり起きたりをくりかえし
これは医者で飲まされた薬のせいなのか
それともインフルエンザ自体であるのか私にはわからないけれど
意識というのがどこまで続いて
意識がどこで途切れて終わるか もう運次第みたいな感じがしてて
明日私は生きてるだろうか それは私にはわからない

 「くたばれギョーム!!」の歓声の中
アポリネールはそれは自分を非難されてるのだと思い込み
当時流行していたスペイン風邪で命を落とした
きっと彼の死に方は ものすごい苦しみではなく
意識が朦朧としていった中で 沢山の声が合わさって
気がついたら違う世界に行ってしまっていたのだろう

 
 この意識の朦朧とした感じがただの感じ過ぎなのか
なんなのかはわからないけど 明日死ぬかも と思いながら
布団の中で想いを巡らすと 元気だったら
「もっとこんなこともしたかったのに!」という力も
でるのだろうけど もういいや運任せ みたいな気持ちになってくる
お礼を言っておきたい人には言っておこう
そう思って最近ぶっきらぼうでちょっと怖い母に丁寧にお礼を言ったら
なんだか神妙そうな顔をされ「あんたも気をつけてね」と言ってもらえた。
この場を借りて影山さんにもお礼を言わせてもらいたいです
ほんとうにありがとうございました。これからも
お世話になれるといいです。元気になるといいのですが

 30年ちょっとの人生 関わってくれたみなさんも
ありがとうございました。ここでもし人生が終わったら
「あーカフェの本出したなあ」だけで終わりなんだろうなあと思うから
どこかのスタートだったかもしれない苦しみも ただの愚痴書いただけみたいな
ブログで終わってしまうのはもったいないなあと思うから
元気になったら やっぱり書きたい ほんとうは書きたい
女のことも 子育てのことも フランスのことも
どうしてなのだか人生の半分をかけて愛してしまったフランスに
関われそうな手前で死んでしまうのは 馬鹿げてるような気がするけれど


 「お葬式の時にみきちゃんはどんな人生だったね って言われたい?」
と先輩でありキャリアカウンセラーである人に言われた。それが人生の
プランだそうな 私にはよくわからなかった
でも「あの人はカフェの本を一冊書きました
結婚したけど幸せじゃなくて苦しがってたみたいでした まあ彼女
わがままだったからね」おしまい で
いいのだろうか 苦しみが何かのはじまりだとするならば
私はほんとうはもう一度 高く飛翔したかったんじゃないのだろうか
10年前にはできなかったことをするため
10年前になりたくてもなれなかった自分になるため


 だから神様は絶望のふちにいた私に一筋の希望の光を
くれたのかもしれない それは まだちょっと 遠くに感じられるけど。

 
 明日もし死ななかったら 蓮太郎にれんこんの咳止めを作ってあげよう
あんまり効果が感じられなかったけど 早くせきが治ってほしい

 生きるって何なのだろう どうして私は書くのだろう
書くのは何かを残すため そう 自分が生きた足跡を
またみなさんに元気でお会いできますように 

不安の中で

2012年02月05日 | 私の人生

 「選択っていうのはね それ自体がいいか悪いかじゃなくて
選択をしたこと自体に意味があるのよ。選ぶ前は恐ろしい
ループの中で行ったりきたり どうしたらいいか
ひたすら悩んでいるけれど 選択したら動き始める
そうして道が少しずつ開けてくるから 決めること が
大切なのよ」とソフィーは居酒屋で語ってた。


 そうだよね そう 決めない という状況が
どれほどまでに辛いものであるかは私はよーく実感したので
彼女の言わんとしていることはよくわかる。だけど選択してみたからといって
それがすぐに開けてくるというわけでもなくて
特にいろいろな不安要素が浮かんでくると
もうどうしていいのかわからない。


 だから私は あえて人に 何も言わずに
とりあえず未来のイメージだけを夢見てなんとなく
やってきたのだろうと思うけど 時折厳しい現実を
目の前に突きつけられると 本当にどうしたらいいのかわからない。


 どうして私が こんなにも フランス語をやって来たのかと言えば
おそらくそれは恐れや不安があるからだろう。どうして
蓮太郎と一緒にフランス語の絵本を読んで 歌を歌おうと
するかといえば 彼がもしフランスの幼稚園に行ったなら
そのときわからなくて困るだろうな それに私もみんなが読んでる
絵本の内容がわからなくって困るだろうな そう思うから
今から練習 そう思って絵本を読んだりしてるのだけれど
フランス語 やればやる程 難しい。


 どうして躊躇しているかって?どうしてすぐに行かないかって?
そりゃああなたは たった半年で決めてすぐに行けたかもしれないけれど
私には息子もいるし どれほどの責任が肩にかかっているのかわからない。
もしフランスに行ったなら?国語教育は誰がするのか?
フランス語の活用は?誰もしてくれないとするのなら
私が全部教えられるくらいのレベルにならないと息子は
ついていけないだろうか?そんなことを考えてると
異国でスムーズに子育てをするというのは フランス語一級レベルが
あったとしても追いつかないような そんな気さえしたりする。


 だから私は「どうして日本でフランス語が上達できるの?」と
言われながらも いつの日か あっちにいって困らないようにと
一生懸命ラジオをきいて フランス語の幼児の単語を学んで
(卵を産む とか みみずとか)日々ああやっぱりわからない、、
いや でも前にくらべたら上達した?と思いながら
なんとか続けているのだろう。10年前は本当に苦しかったし
前に蓮太郎と行ってみた時だって山ほど難しさを感じていたから
もし 次があるのなら その時は苦しみたくはない そう思って
もうあまり泣かないで済むように なんとかやっているのだろう。


 そういった苦しみさえも いつか役に立つのなら
私はそれで嬉しいけれど それがガイドで役に立ったり
誰かの共感を読んでくれたり いつの日かフランス語講座ができたり
子供向けの歌から学ぶフランス語とかができるようになったとしたら
それはとても嬉しいだろう ああそれだったら苦しんだ甲斐も
なんかある と 思えるのだろう


 それでも?それでも? そう フランスは苦しくっても?
自分の言語が使えなくっても?それでも魅力があるのだろうか。
相変わらずついてけなくても?それでもヒントはあるのだろうか
違う土地 に 行く前というのはいつも怖い。
たとえ2泊の旅行であっても 私はいつも怖くなる。
それでも私は フランス語を話している自分の方が好きだと思うし
フランスにいると 泣くことだってあるけれど でも
心の底から幸せだなあと思える瞬間があったりするのは
やっぱり自分にとっては事実なんだろう


 たくさんの壁が目の前にたちはだかってるように見えても
いつかその壁は乗り越えられるようになるのだろうか
私もいつか 彼らの仲間に入れてもらえる日が来るのだろうか
そのころにはどれくらい流暢にしゃべれるようになっているべきなのか
それとももっと 言葉じゃなくって 自分の芯が大切なのか
沢山のことが自分のなかではっきりしないでまだ揺らいでる。
それでも私にとって書くということ それは重要だと思う
2冊目の本、いつの日か 書けるのだろうか
まずは机に向かうこと?まずは意識を集中すること?
フランス語よりも 日本語の能力を高めてみること?そうなのかもな
書く というのが何なのか は わからないけど
書くことは私にとっての一つの救いではありそうだ。
経験を昇華すること ただ個人的な昇華ではなく
もう少し一般的な形に昇華しようとしてみること
できるのかはわからないけど やらないことにはできないか。

願い

2011年10月29日 | 私の人生

 人生 というものが 一体どういうものなのか
私にはわからないけれど 30前後でやってくるらしい
人生の転機とか大幅な変化というのがあるとするなら
私はちょっと早めにやってきてしまったようで
もう厄年も怖くない?というような気さえする。


 私がかつて出会った「何年も前に余命何ヶ月と
宣言された」という元がん患者さんたちは
素晴らしい笑顔で「今は毎日が楽しくて
病気はプレゼントだと思ってる」と言っていた。
あの時はさっぱり意味がわからなかったけど


 そうでもしないとわからないようなことを
神様は病気やら大変な体験を通して
誰かに教えてくれるのだろうか おそらく
そういうタイプの人は 人の話にちゃんと
耳を傾け 「なるほど、じゃあそうしよう」と
すんなりやれる様なタイプの人ではなかったろうから、、、


 それで?その後は?私もいつかこう言いたい。
「大変だったけど風邪みたいなもんだったのよ」
「あれがあったから色んなものを得られて
今はちゃんと幸せになった」そう笑って言ってみたい。


 あの時はすごく深刻に思えても 風邪みたいな
ちょっとした浄化作用 よくなるための
浄化作用にすぎなかったんだって いつかそう言ってみたい。


 
 しつこさ というものは 一般には悪いと
考えられているけれど それが効を奏する場合もあるようで
しつこく願う しつこく信じる 貫き通すというのは
大切なことであるらしい。信じる力。かつて
私の友人は私を「信じる!の師匠」と書いてくれたけど
信じるというのは自分と自分がこれだと思った未来を信じることで
沢山の人が「それはどうかな」と言うからといって
それがダメとは限らない。もしスタバの社長が若いときに
一度採用を断られ そこで粘らなかったなら?
彼が諦めてしまっていたら 今のスタバに並ぶ人たちも
沢山の人の笑顔も 私の本も 存在することはなかっただろう。
何かを成し遂げた人たちは けっこうしつこい人たちだった
ダメでもダメでもめげなかった 彼らが信じていたものは?
まわりの人や他人の評価ではなくて 自分自身 なんだなあ



 私は何年か前くらいから レボリューションキャンプの最後あたりかも
しれないけれど 他人の意見に自分を譲った。 どこからかわからないけど
あのころはすごかったよねと言われてた そんな力はどこかにいった
気がつけば 他人の目 や 他人の意見を通してた
それは京都という場所に移ったのも大きかったかもしれないけれど
結局のところ自信がなかった それは自分を信じる力がなかったということで
だから力もあんまり出せなかったのだろう


 時折誰かが何かを評価してくれた時「本当に??」と思って
嬉しかったけど 私の中での自己評価はかなりズタズタになっていたから
誰かに言われた後何日か 喜んでいるだけだった。
でもそれじゃあいけないんだな 信じる ということは
自分を信じることらしい 他の誰もが無理だといっても
自分にはそれができると信じられること そうしたら
状況がまわりから変わってくるそうな
そういう力が いるんだなあ、、、


 私は夢を見たいと思った でも見ているだけじゃだめなわけ で
なんとか形にしていかないと すっかり忘れていたけれど
そのために一番必要なのは自分を信じる力らしい。
自信 っていうのは あるとか ないとか つけるとか
それだけじゃなくて自分を信じられるかどうかが
かなり大きかったんだなあ できる やれると思い込むこと
そしてそれを信じてみること おかしいと人に思われていても
自分の直感を信じてみること そうしたらいつの間にか
ちょとずつ道が開けていって もっと笑えるかもしれない

 フランスで神様は私に沢山の物事や景色を見させてくれた
それは私の想像を容易にしてくれるためだったのだろうか
私はやっぱりパリに住み カフェのある暮らしをしながら
もっと笑顔で笑っていたい そしてやっぱり書いていたい
もしも私が自由になれたら 今度は誰かをちょっと自由にしたい
あなたが今思い込んでいるものだけが 人生なわけじゃないですよって
もしもそんなことが言えるようになったなら 私はもっと書いていたい。
そして素敵な人に囲まれて「あー幸せ!」って心の底から笑っていたい。
人生は諦めるためにあるんじゃない って 夢見たことやクリアに
イメージできたこと は 本当はただ 実現されるのを待っている
ことかもしれない もしそれが本当にそうなのだったら?
そうなんだよ! って 言える日が来るといいよなあ、、、

ものの価値

2011年10月16日 | 私の人生


 価値のあるものって一体何かなとよく考える。
私が1年半前に言ったイベントでものすごく
驚いたのは、私とペアになって作業をしていた人が
「前に行ったワークショップで人生が変わった。
それは参加費が8万円だったけどそれでも
8万円で人生が変わるなら安いと思う」と
言い放ったことだった。は 8万円!!
それを彼は安いと言うのか。イベントをする側の
値段設定もすごいなあと思うけど 行った人も
そういうことが言えてしまうんだなあ、、、


 「8万円で人生が変わるなら安い。」

 これは私の心にけっこうなショックを与えてしまった。


 私はこの夏精神的ダメージの最盛期だったとき
思いがけず会うことになった知人との会話に
相当助けられ 彼女が勧めてくれた3千円もする
バラの香りのヘアワックス兼リップクリームの香りに
ほれて 3千円でこんないい気分が持続できるなら
それでいい!と思って帰りの電車の乗換駅で
速攻お金を払ってしまった。それくらい
人はそれで自分の人生が上向きになり
喜びを感じられるものにだったら 喜んで
お金を払うんだなあ


 先日横浜の山下公園周辺に行ったとき
自分がお金持ちだったと仮定したなら
私はどんな行動をとるだろうかと考えた。

 お金持ちになりたいのなら、まずは自分が
お金があると思い込むことが大切らしい。
その上でそうだとしたらどういう行為をしているのか?

 それってもう投資に近いと思うんだけど
アイパッドを買ってみて なんだか少し
わかった気がした。「決意」して それなりの
お金を払うと何かが動く。おそらく後から
それをペイできるくらいの何事かが動いてくれる。
けれどもそれを「払う」「先に与える」までは
何1つ帰って来る保証はない。それはもう
信じるか 信じないかの世界で お金を
払うというのは「信じてます」というのを示す
相当な行為ということなんだ。だって
お金を払うのは誰しも痛い。誰だって アイパッドが
安くないのは知っている。それでも払う。
それは「決意」に近いと思う アップルが
あえてあんな値段で分割払いもさせずに
私たちに提示するのは「あなたはその世界に
入りたいと本当に思っているか」くらいのテストに
近いものなのだろう。


 だけど「投資」を「まず与える」ことをするまでは
何がどうなるかなんて誰にもわからない。
だから普通は「お金に余裕ができたら買おう」
になるのだけれど どうもそうではなくって
「今お金があると仮定すること」が大切らしい。


 さて 今私がすでにお金持ちだったなら?
私は何をするだろうかと山下公園あたりで考えた。
それで行くカフェはどこになるだろう?日本大通近くのカフェか
Cafe de la pressは行ってみたい。 でも蓮太郎と2人で行くのは
やっぱりお金の無駄かなあ 色々考えていた結果
とる行動はたいして変わらないだろうという結論になる。
そこで私がやったのは シルクセンターの1階にある
ドラッグストアでお菓子を買って なんといれたての
コーヒーが100円で持ち帰りできるというので
カフェラテも購入し 全部で260円。


 そうして息子と海の見える公園に行き、
敷物もしかずに芝生に座り なんだかパリみたいだねー
でもパリには海はないから横浜もいいよねーとか
いいながら 美しい氷川丸のある光景を眺め
2人でチョコとクッキーを食べ 息子は
変なアートの真似をして布をかぶってゴロゴロしたり
私は風を感じながらコーヒーを飲む。
ああ こういうの 豊かだなあ、、、


 山下公園周辺には驚くくらいカフェがあるけど
費用対効果、効用を考えると私はこのドラッグストアの
コーヒー100円持ち帰り が 一番効用が高いと思う。
だって山下公園で船と、場合によっては氷川丸と
お月様なんか眺めながらお茶ができるって 
最高のシチュエーションじゃないですか?


 さて そんなことを考えながら 最近は
ちょっとカフェで働かせてもらったり 電車に乗ったり
する時間も増えたので 実際のカフェに行ってかなりの
お金を払うより 電車のホームの椅子を想像で
カフェにしてしまったほうがいいのかもと思ったりして
缶コーヒーとパン屋さんのパンという 300円台で
どれくらい価値があるのかよくわからない組み合わせから
魔法瓶を買って自分でコーヒーを持ち歩くという生活に変えてみた。


 それでもパンやクッキーやらがあると便利なんだけれどなあ

 私が働かせてもらってるカフェはあまりによくできた
カフェなので そこでのケーキやパンの味が本当に美味しい。
ところが それを覚えてしまうとドトールやパン屋さんの
150円以下くらいのパンがしょうもなく思えて仕方ない。。
うーんでも食べないわけにはいかないし!


 と 思っていたら 今日ひょんなことにより
お昼に家でカレーパンをつくることになってしまい
ちょっと大変だけどやってみたら意外とできて
え?じゃあカレーもいいけどこれって調理パンにみたてて
ハムとかジャガイモとかキノコとかごぼう入れてもいいんじゃない?
と思い立ち 夜にまた第2ラウンドをすることに。。。
まだ食べてないけど今度はひき肉の炒めたのに豆や
ピーマンやキノコを入れてトマト味にしてかなりよさそう。
6個つくったのでしばらくは食べれるかしら
これでコーヒーもパンも手作り!これは
缶コーヒーにコンビニパン時代よりも進化したし
多分値段的には安くて効用が高い。
こうなったら最後にデザート欲しいなあ
今度はマフィンをつくろうかなあ コンポート?それも素敵。。。
(今日はイタリアの固いお菓子ビスコッティも
つくりました。これはクッキーより簡単で
バターがいらないので便利です)


 意外にも フライパンでピザは作れるみたいだし
そしてその美味しさといったらサルバドーレより上だと思った
それならもっと作ること が面倒でなくなったなら?
洗い物も苦じゃなくなったら 毎日自分の作ったもので
即席ピクニックができて いろんな場所が
即興カフェになるかしら。



 世の中には価値のある0円がある
(カルディのコーヒーは素晴らしい!
あと心底素晴らしいのはフランスのインターネットラジオ、radio classique
これはフランスが誇るクラシックの美しい曲達を毎日タダで聴ける!!)
価値のある100円がある
価値のある700円がある(カーズのミニカー
一台が子供に対して果たす役割は700円以上の価値がある
あとドゥマゴのショコラは700円するけどあれも価値があると
思うなあ。それから素晴らしいスーパー銭湯とか
あとは有機栽培の小麦粉はこれくらいするけどやっぱり違う!)
価値のある1000円があり 価値のある5千円というのがある。
それらを価値がある と思えることは 実際はその他の多くのものが 
意外にもあまり価値を感じられないものだからなのだろう。
だから通常の値段で感じられる価値以上のものを感じられると
本当にうれしくなるのだろう。


 価値のあるもの 価値があると感じられるものに
囲まれるくらし そしてそれらを大切にして愛おしむ。
そんな暮らしが送れる人に なれたらいいなあ

リラックスした生き方

2011年10月02日 | 私の人生


 最近は自分でもあまり予期していなかったけど
知らない間に新生活というのが始まってしまっているのか
知らない場所に飛び込む機会がやたらに多くて
でもいく先々はだいたいなんだか素敵なところで
素敵な人たちがいて あーいいなあ よかったなあと
思えることが多くてありがたい。


 さて今日は 自分をリラックスさせる方法を学びたくって
体操の教室に行ってきて それもよくわからないまま申し込み
「ヨガなんですか?」「いや違います 大きな声を出したりも
するんです」「はあ、、、」でもいいや もうなんでもいいから
機会があるならやってみたい と ダメもとで申し込んだら
受け入れられて 今日から参加することに。


 そしたらこれがよかったのなんのって!!!

 私は息子が生まれてから2回ヨガの教室に行きましたが

 どちらもうーん 効果あったのかなあ まあ
ないよりいいか、、、という程度でけっきょくモチベーションも
上がらず、だから結局身に付かず、フランスに行ったときに
ああ覚えておけば良かった!!と思う始末だったので
また申し込んでみたわけだけど 今回のはすごかった。


 そう 本当に声を出したり叫んだり バタバタしたり
子供のイヤイヤ!!のマネをしてじたばたしたり
昔の私だったらドン引きしていた でも今の私は
もう自分を変えよう、もう何でもいい!という気持に
なっているので えーいもう、どうせバカだしやっちゃえという
気持になって 初参加なのにかなり一緒になってやってたら
1時間後には驚くほどに身体が変化して奇跡みたいな感覚だった。


 それでどんどん身体が軽くなり ジャンプする機会もあったので
ぴょんぴょん飛んでたら先生に「まあ みきちゃん!まるで
マサイ族みたいね!」と驚かれ どれだけ飛んでいたのかわからないけど
まわりのおばさんたちもその飛びっぷりに驚いていた。
「なんだか身体が軽いんです!!」こんなに身体が軽くなったのは
桶谷の母乳マッサージ以来で 終わってから鏡を見たら
フランスに居たとき以来のいい瞳をしていて 目が内側から輝いている
そんな感じで嬉しくなった。すごいなあ 誰かにマッサージしてもらう
とかじゃなくって 自分で動いてこんなに気持よくなれるんだ!!!


 この先生はめちゃくちゃゆるい人で素敵な方で
いろんな人たちのこわばりやこだわりをほぐしてくれて
こんな先生みたいになったら素敵だなー こりゃ癌になんて
絶対ならないだろうなあと思う。この教室の中で「うちは癌家系で」
と言っていた人がいて そういえばうちも、と思ったけれど
でもよく考えたら癌って遺伝じゃないんだろうな。
生真面目な人が生真面目な家で育ってそれをよしとして
でも他は許さなくって かたくなになってこわばって
それの連鎖が続いた結果なのかもしれない
許すこと まあいっか と思うこと そしてゆるめることが
本当はとても大切なことなのかもしれない。


 パリに行く日本人には「パリ症候群」という言葉があって
それはパリにいってやたら頑張ってるけど追いつけなくて
認めてもらえない気分になって いろんな辛さが混ぜ合わさって
精神的な病になるという話なのだけど 私は10年前に居た時は
学校がめちゃくちゃ難かしく しかも私のフランス語レベルといったら
学校で最下位だったから まあそれだけではないにせよ
けっこう辛い想いをすることになり 「パリ症候群」の本を書いた
先生のお世話になった。私は軽度の鬱で先生に言わせればあなたなんて
全然ひどくないとのことだったけど それでも私はそれが怖くて
結局何年もフランスにまた住もうという勇気を持てないでいた。


 でも今日なんだかわかった気がした。先日会った人が言っていたけど
パリ症候群にならないためには「白旗をあげること」が大切らしい。
「自分にはやっぱりできない」と認めてしまうこと できない自分を
許すこと でもいいじゃん と思うこと 先生は 「まあいっか」が
大切なんだと言っていた。そうそして 気負わない 無理しない
がんばりすぎない リラックス リラーーックス、、、


 10年前の私はリラックスの方法がわからなかった。 
だからよく友達に聞いていた「ねえ リラックスってどうするの?」
そういえばパリに行く前の日記をみると恐ろしいくらいの勢いで人と会い
ミーティングをしの繰り返し 息をつく暇もなかった。
日本では そうやって 頑張る人が沢山いるんだ
頑張って頑張って 効率をあげて 頭よくなろうと頑張って、、、、、


 だけど今日 わかった気がした

 それでも太刀打ちができないから

 私たちは圧倒されてしまって苦しくなってしまう

 これはコミュケーションコードだけじゃなくって 根本的な価値観とか
生き方の問題なんだ。おそらく、だけど フランス人は もっと
リラックスして生きている。 日本人より もっと もっともっと
適当でやる気がなくって 自分の気持に素直でぐうたら生きている。
「やりたくない?やらなきゃいいじゃん」
「ごめん今日は頭痛いからやめとくね」
「ごめん 私は行かないわ」
(もしかして、、、EUの人たちがギリシャに対して思っているくらい
日本人はフランス人をやる気のない人たちだと感じるかもしれない)
そう そうやって断っている。 彼らの多くは予定だって詰まっていない
不思議なことに 東京で友達と会おうとすると 一人とですら
三週間後とかに会おうと言われてしまうのに パリだとその場で
あった三人ぐらいと じゃあ今度の土曜に会おうといえる
今度の土曜?それは無理だなあといってみると「なんだ
いったいどんな予定が入ってるって言うんだね」と
詰め寄られるようなことさえあった。それくらい 彼らは
フレキシブルで 「遊び」の部分が大きいような、、、



 そんな風に 本当に 誰か一人だけじゃなくって

 日曜の朝には11時すぎに朝ご飯のパンを買いに来たり
ピクニックに2時くらいにいったらまだあんまり人もいなくて
4時すぎくらいにどんどんと人がやってきたり
(ピクニックは何か持参するのでそれまで家でのんびりして
3時くらいから出かけるってこと?)バカンスに行ったら
朝ご飯が11時で お昼ご飯が3時だったり そんな適当な
余裕たっぷりの彼らが何故か 生真面目で頑張っている日本人より
やたらとインテリだったりするので 私らは驚いて途方に暮れてしまう


 なんで な な なんで? 私 こんなにやってきたのに?


 先日ピクニックであった音大出身の女性が言ってたな。
「フランスではもっと演奏を楽しそうにやってる気がする。
日本では先生に言われた通りに演奏している だから
あんまり自分もでないし感情も入らない。」そういえば
私がパリで出会った日本の音大卒の優秀な人たちは
けっこう引きこもり気味になってしまうと聞いていたけど
そして彼女達はものすごく日本の音楽事情をひきずっていた。
そう 彼女達は生真面目だった しっかりやって しっかり身につけ、、、


 そういう人たちがフランスで目にしてしまったもの は
もう全然違うものだっただろう そういえば前回の滞在のとき
ヴァイオリン奏者か何かのフランスの女性に出会った。彼女は
絵の才能もあって 日本のこけしにかわいい色を塗っていて
とてもキラキラしてチャーミングな人だった。
そんな才能?そんな自由さ、奔放さ?そんなの 日本じゃ
なかなかないよ、、、


 その違いっていうものは きっとフランス人はもっと
自分に忠実で これはしたいけど あれはいやとか
もっと寝てたい もっと遊びたい もっと楽しみたいとか
これは面白そうだとか に もっと素直なんだろう。
だから抜くときはものすごい抜いているけど
好奇心で やりたい!と思っているから そういうことは
ものすごくのびていく それがフランス的インテリジェンスな気がするなあ


 日本のインテリは「君、あれは知ってるかい?そんなことも
知らないのかね!」的な バカにされるわけにはいかないから
あれもこれも知っておかなきゃ!この次はこれで、、、という
雰囲気だけど そりゃフランスにもそれはあるけど
でももう少し 知りたいから知りたいものは知っておこうという
姿勢が強いような気がするな 人の目を気にする日本
自分の気持が一番根っこにあるフランス
パリ症候群は人の目を気にして人と自分を比べることにも
かなり原因があるらしい。もういいじゃん、人生楽しめばいいじゃん!
という感じで生きてる在仏日本人はとても素敵な顔をしていた。
私ももう普通じゃないことを認めざるを得ない状況になったから
そうするとけっこう強くなれるし バカになれるとけっこう楽しい。
そうしたらもうパリ症候群にもならないかしら?
人の目ばかり気にして生きてた 京都のころに比べたら
だいぶ変われた気がするけれど。


 子供から学ぶこと フランス人から学ぶこと
日本でいろんな活動をしてる人から学ぶこと
たくさんのことを活かして もっと笑顔で
もっと気楽に 自分らしく 生きて行けたらいいよなあ、、、

フェイスブック

2011年09月24日 | 私の人生

 東京に帰って来てからいろんな人に公式ブログをつくったらとか
ホームページをつくったらいいと言われたのですが この
ブログはブログでけっこう好きだしホームページに挑戦したけど
うーん、、、と思っていたところ、えーいフェイスブックにしちゃえ!と
自分のフェイスブックページをつくってみました。
これからパリのカフェの写真やカフェ、サードプレイスなどに
関する記事などをもっとアップしていこうと思います。
パリビストロに関しての記事もリンクを貼っていますので
よかったら「いいね!」を押してファンになってくださいね!!

http://ja-jp.facebook.com/pages/飯田-美樹-Miki-IIDA/114960125270353

不思議な出会い

2011年09月12日 | 私の人生

 最近は私が「51%以上のいい気分の状態を
保つこと」をなんとか心がけているからか
引き寄せの法則、、、と思ってからだいぶ
時間が経過したからか、 これ 引き寄せっぽいなあと思う
出会いがけっこう増えて なんだかとても不思議な感じ。


 そもそも私は旅先以外ではあまり人に
声をかけられるタイプではなく 誰かと
話したいと思ったら 待っていても声を
かけてもらえないので自分から関わらないと
ダメなタイプだったのだけど 最近は
発するオーラが変わって来たのか なんだか
よく人に声をかけられる人になってきた!


 しかもその人 というのが気がついたら
横に寄り添っててけっこう長いこと
会話してしまった みたいな なんというか
この人引き寄せられて来た?みたいな感じが
ちょっとしたりする。お店の店員さんとも
話すことなんてあんまりなかったけれど
最近は向こうから来てくれてよく話すことが
多いんだなあ それでなんか 通り一辺の
話じゃなくて 商品やお店を通して
いい会話ができたような そんな気になることがある。


 さて、おとといはコミュニティカフェのシンポジウムに
行って来て その帰りに会場内にあった水彩画の
教室の展覧会をちょっとのぞいて いいなあこんなの!
この先生の絵といったらなんてうまいんだろう
ああこのとうもろこしや夏野菜の色彩といったら!
やっぱりうまくなるためには私もりんごからかしら?とか
こんな風に描けたらいいなあ!!と思ってた。
でもさすがに水彩画教室にまで行けないか、、、と思ってたけど


 昨日行った日仏ピクニックでは画家だという女性に会って
フランスに住みたいけれどもフランス語がね というので
彼女のことを知りもしないのに出会い頭に「よかったら
フランス語教えますから絵を教えてもらえませんか?」と
申し出てみた。その話はけっこう盛り上がり じゃあ
それでやってみましょうという話になって 今週の
水曜日には彼女の水彩画教室に参加することになりそうだ!
うれしいなー そうしたら私もパリで絵を描いていけるかしら
そう もっと絵を描きたかったんだよなあと思ってた


 そうして今日 息子と横浜トリエンナーレに行って来て
その帰りに息子が寝たのでカフェを探して(最近は
そういう時に店員さんがやたら親切でだいぶ大きな
シートの席を貸してもらえてます。ありがとうございます)
飲みものを注文してから それにしてもこのカフェの
この光は美しいから描いておこうと思ってシャンパンの瓶やら
アイスカフェラテやらを描いていたら 横っちょから
店員さんが「かわいいですね」と声をこちらにかけてくれるではないか。


 彼女とはやたら長いこと話してしまって いいんですか?
仕事中にと思ったけれど 彼女がオランダに住んでいたこと 
向こうの緑のある風景が懐かしくてたまらないこと
東京に帰って来たけど東京は砂漠みたいだと思ったということ
私が最近愛する関内の一番パリっぽい地区にあるカフェで
働いてるのに 彼女はそれでも「緑がない!!」と嘆いていること
そうですよねえ あっちはいいですよねえ
わたしもオランダ行きましたよ 今もフランスに住みたくて、、、とか
話したりして ここでも一人 日本にいながらヨーロッパを
想っておもって仕方のない人に出会ってしまった。
なんだかこれって 引き寄せた出会いな感じがするなーー。


 横浜だって クリエイティブシティだと名乗っているし
(知ってました?横浜や金沢や大阪は自らクリエイティブシティと
名乗ってるらしいですよ!私は最近知りました、、、)
トリエンナーレの雰囲気はなんだかパリのパレドトーキョーみたいな
雰囲気だったし そこにあったカフェも本屋も懐かしい雰囲気で
目の前にはもうエッフェル塔が見える様な だけどよくみたら
置いてある本はみんな日本語で読めてしまう様な
うーんなかなか悪くない!と思ったりもしたのだけれど
今日出会ったカフェのお姉さんは「私はやっぱり外国に住みます」と
言っていた。日本って 努力してるんだけど 何もないわけじゃ
全然ないけど なんだろう 比率が違うってことかなあ?
調べていったら(クリエィティブシティとか)へー こんな
取り組みもあったんだ!って驚くようなことがあるけれど
なんとなく街を歩いてて いやーここってクリエィティブな匂いが
ぷんぷんするなあとか そういうのとはだいぶ違うような気がする。
ないわけじゃないんだけどね 六本木とか 意外と
面白いとこあるみたいですよと昨日出会った人に話してみたら
「でも六本木って気軽じゃないですよね」と言われてしまった。


 そう 日本のがんばってる街 青山も六本木もみなとみらいも
けっこうインフォーマルパブリックライフ度合いは 高かったり
するのだけれど(今日も山下公園や港のあたりでは素敵な
光景を沢山目にして 私も小学生と声をかけあったりしました)
じゃあ「気軽に行く場所か」って言われると 関内も桜木町も
横浜市民で横浜に近い高校に通ってた私にとっても ハイソな場所で
相当な理由がないといかないような場所だった。青山や六本木だって
「ちょっと気軽に犬の散歩に」なんて人はめちゃくちゃな
お金持ちだけだろう。つまりは一般的な人にとっては
「身近な場所」じゃあないんだな。。。


 おそらく今日出会った彼女が感じる違いというのは
「そういうものが溢れている」か「がんばって探せばないこともない」かの
違いなのだろう。東京にはないわけじゃない 横浜にだって
ないわけじゃない でもそこに行くのに1時間以上かかったり
交通費が相当かかったり値段自体が高かったりで
そうなんだ お金があって そういう家柄の人なら何だって
可能だけれど そうじゃない人には閉ざされている
それが日本の現状のような気がするな。それでも東京はまだ
いろんなものに触れられる機会が一番ある都市だろうけど。


 お金がなくても ポケットに500円しか入ってなくても
とりあえずメトロのチケットがあれば楽しめる
そんな街が ヨーロッパにはきっと沢山あるのだろう
東京にだって横浜にだって素敵なカフェは沢山増えた
だからもっと これからもっと お金がなくても
いろんなものに触れられて 興味や教養を伸ばしていける
そして日本がもっと素敵な未来を育んでいける
そんな場所が増えてほしい。

感情のコントロール

2011年09月08日 | 私の人生


 最近私はなんとかようやく自分との付き合い方が
少しずつわかってきたようで いい気持で過せることが
だいぶ多くなってきて そうすると引き寄せの
法則が働くらしく わーまたいいことあった!というのが
多く、なんだか楽しくなってきた。


 「自分の気持を変えること は 運命を変えること」だと
最近読んでる本には書いてあり それって 、、、 すごいことだな!
かつてトイレ掃除でお金持ちに?という本を読んでそれで
お金持ちになれるならやってみようと実行に移したことがあるけど
(効果はあったような そこまでよくわからなかったような、、、)
でもこの「気持を変える」というのはすごい違いがあるようだ。


 この5ヶ月くらい いやもっと?散々自分の感情に
翻弄され続け、どうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
私はもうなんでもいいから感情のワークショップとかに行きたい!と
思ってた。もうどうにかしたい、、、でもそういうものには
出会えなくって それなら本に書かれてることで頑張ろう、と
いろんなことを実行してみて 今日は感情のコントロール3日目
なのだけれど 今日もだいぶ乗り切った!ので これは
この先もいけそうだ(3日坊主にならないのが私の自慢のはず、、、)


 さて、その本によれば「51%」が大切だそうで
100%いい気分!!うきうき、わくわく 飛び跳ねたい!
にまで至らなくっても、いい気分が悪い気分を上回っていれば
いいらしい。普通の人は自分の感情の状態に向き合うことが
あまりないから、今どんな状態かというのがよく
わからないらしいけど わたしはこの2ヶ月散々向き合い、
翻弄もされてきたので、今どういうとこらへんかがよくわかる。


 へーそうか 不思議なことにこのことを考えても
そんなにいい気分じゃないのかな とか これがあると
気分が上がるなとか 嬉しいダンスをしたいくらいの気分の時とか
ネガティブスパイラルに入りそうな瞬間だとか

 そんな時 何かに対してムカッときて もー!と
思い始めたら要注意。やばい、今47%、45%、と
低下していくのがよくわかる。ここで51%を上回らないと
どんどん嫌なことがやってくる。そしていいことは何もない!
ので、芽が小さいうちにつんどかないと!!
がんばれー、いいことを考えよう、いいイメージ
それからいいようにとらえることだ、、、と訓練すると
なんとなく身に付いていくものなのかしら?


 というわけで けっこう大変だったけど 3日間、前よりももっと
感情のコントロールを頑張って そうしたらかなり
いい気分で過すことができ 沢山のいいこともあって
(最近は電車でよく席が空くようになって困りません!
ありがとうございます)今日は久々に夜一人だし
銀座にきて地下のロッテリアもなんだから ラーメン屋さん
探そうかなあ 何日も前から食べたかったし、、、と
新橋までなつかしの道を歩いて やっとのことで
以前入ったことがあったような岡山ラーメンの店をみつけて
(なんとラーメン550円!)これがめちゃくちゃ美味しかった!!


 いやーありがたいなあ こんなに美味しいって思えるのも
長いことラーメン食べたかったからかなあ 美味しいなあ
嬉しいなあ と こんなにラーメン屋で一人で幸せを感じたのは
初めてなんじゃないかなあ?  私わかった。そうパリでよおく
わかったんだ。どんなに美しい景色があっても 自分の気持が
マイナス感情で歯止めが効かなくなってると 景色は全く
意味をなさない。あれほどまでに美しいセーヌ川とノートルダムも
わーきれいだなあ!なんて素敵なんだろう!って思えなくなってしまう。
それは感情の問題なんだ。いい感情を抱いていれば
満席で通路に座ることになってしまった新幹線でも
私はラッキーだなあ スーツケースがあるから
座ってられるし 本があるからいい時間を過してられるし
と思っていられる。全ては自分の感情次第らしい。


 それでいい感情でいる時間が長ければ長いほど
引き寄せの法則でいいことがやってくるんだそうな。
だからこそ 自分の感情を上向きにもっていくこと
そこにすごい力をかけてみるだけの価値があるってことなんだ。
そうかだったら いいものを持とう
毎日持ち歩くものがいちいち気分を上げてくれるなら
それにこしたことはない そうかだったら
もう少しいい服を着た方がいいんじゃないか
そう思って街を歩くと そうそう 街はやっぱり楽しくなってくる。


 いつだったかネガティブ感情全開の時に
青山を一人で歩いた時はちっとも楽しくなくてそれに驚いたけど
ポジティブな気持で欲張りになり うーんこんなのあったらいいなあ
そんなことを思いながら街を歩くとやっぱり楽しい
あんなことしたい こんなことしたい
今度パリに行ったらあの人とあれやって これやって
そういうことを考えている それはやっぱり楽しいみたい。


 51%だけでいいから 感情を上向きに持っていくこと。
そしたらそれが作用して いい気持が70%くらいになったり
75%になったり 何かがうまくいって120%になるかもしれない
感情を変えること は 運命を変えて 自分を変えて
しいては世界を変えるらしい。そのために は なるべく
自分の好きなものを考えること 好きなことを大事にすることなんだそうな


 自分のものの見方1つで世界は全く違って見える
それってすんごいことなんだなあ。。。


都市を夢見る

2011年08月23日 | 私の人生


 先日田舎にいって色々あってそれから車で長時間かけて
横浜に帰って来た時 ようやく ようやくお店がみえたり
マンションが見え始めたり それからちょっと ビルが見えたり
そう そういうのを見始めて ほっとしていた自分に気づいて
ああ私 そうか そうなんだね 都市がやっぱり好きなんだ
だって仕方がないじゃないか そういうところで育ったんだもん
こうして車にのって「渋谷」とかっていう文字を目にすると
なんだか気分が高鳴って行く。そういう文字に 思い入れがある
渋谷とか六本木とか青山とか赤坂だとか 1つの地名ごとに
イメージがあり 何かが頭に思い浮かぶ だって
仕方がないじゃないか 高校生の時からずっと 街歩きを
してたんだもん。そうして本みたいなのだって書いたんだもん
そう 私は(私以外の)誰もが認める都会っ子。
そうしてやっと 自分で気づいた それが私は好きらしいんだと。



 昨日映画『カーズ』を兄のマンションのシアタールームという
とこで 大画面で子供と一緒に観ていたら なんだかやたら
どきどきしちゃって 特にドキドキしてしまったのは
高速で都会に向かう部分で やっとどこかに向かっていって
やっとカルフォルニアとか 有名な地名がでてきて
そこに自分が乗り込んで行く 都会の真ん中に乗り込んで行く
そんなイメージが なんだか私をドキドキさせる。


 もしミュージシャンになりたいのなら 地方にずっといるよりも
とにかく都会に出て関係者が多いところにいくことが
一番の近道だって『クリエイティブ都市論』の著者は言っていた。
そうして都会に憧れて 何かの機会に魅せられて
都市に人は集まって来る いつの日か 自分がもっと
大きくなれることを夢見て いつの日か これまでと違う
世界に入って これまでと違う 自分になれる 
そんな世界を夢見て都会に来るのだろう。


 東京なんて 別に好きではない と思ってたけど
夏は熱いし ビルばっかりだし あんまり楽しい場所じゃないしと
思ってたけど そりゃニューヨークとか 行ってみたいし
やっぱりパリには住みたいけれど でも東京は
日本の首都で 日本語で 日本でいろんなことをやってる
人たちが沢山集まっていて パリに居たいとか思ってみても
現実のパリでやりたいことをやっていくには
日本でのつながりが 私にはとても重要なんだとよーくわかった。



 東京は 私にとってはなんだかとてもドキドキする街
それはいい意味でも悪い意味でも。でももうちょっと
踏み込んでしかるべきなんだろう。だってそこには
すごいことをしている人たちがわんさか集って
センスのいいものもわんさかあって 何かがいつも
生み出されてる そんな街であるわけだから
お金のかかる街だけど それでも何か 面白いことはあるだろう



 日本にいて 肌でものごとを感じると
ああそうか 今足りないのはこういうことでとよくわかる。
だけどそれは外国にいたら どんなにニュースをチェックしてても
肌感覚ではわからない。それでそのまま何かを伝えたいと思っても
感覚がわからないからとんちんかんになってしまう。
そういう理由によるのだろうか 異国で母国のために何かしたいと
思いながらも もどかしさを抱えたままの人たちはけっこういるわけで。
これってとっても不思議な感じ。行ったり来たり
することができたなら 感覚をつかめたままでいられるだろうか


 私はあの インフォーマルパブリックライフに満ちた街 に
戻りたいけど あの街で それなりに生きて行くには
いろんなことが必要で それをもう少し蓄えるには
まだ時間がいるのかな。そしたらいつか あの街で
生き生きと素敵な笑顔で 輝いて 楽しんでいられるだろうか
そんな日をもう一度夢見て もうすこしふんばってみよう。

自分とのつきあい方

2011年08月12日 | 私の人生


 人生の中でだいぶ困難な状況の中
それでも状況をよくするためには
どうしたらいいものか と 考えたり
立ち止まったりする中で いろんな本を
読んだりすると まずは自分を愛することだと
書いてある。 自分を大切にしてあげること
自分の好きなことをすること できれば
毎日楽しくやっていくこと なんだそうな、、、


 さて私はというと最近バイブルのように
持ち歩いているポジティブになれる本を
持っていないで 普段のままのネガティブな
自分が出て来てしまうと 恐ろしいほどの
スパイラルがはじまって 泣こうものなら
もう止まらない。そして何も解決しない。
よく人は「泣きたかったら泣いていいのよ」と
言ってくれたりするけれど 泣けばいいってもんじゃない
だって泣くと そのあとのネガティブスパイラルがすごいから
そういうことがよーくわかった。


 じゃあどうやってポジティブになったら
いいんだろう?どうやって自分を大事にしてあげたら
いいんだろう?私は最近わかったのだけど
もうこの7年か8年くらい 一人になって
ゆっくりと自分に向き合う時間がなかった。
特に子供が生まれてからは 何か用があったら
いいけど 突然一人にされてしまうと
どうしていいのかわからなかった。
自分との付き合い方?一人の時間?
そんなの 遠い昔に忘れてた、、、


 そうか 忘れていたんだわ
いろんな引き出しがなかったというわけじゃないけど
どこか遠くに行ってしまって 先日パリに行った時も
美術館は1回くらいしか行かなかったし
そうか 私は生真面目すぎて もう何年も
研究やらカフェにまつわることはやってきたけど
それ意外の 自分自身のためのあまり関係ないことは
遠い昔にどこかに置いて来てしまったようで
漫画とか 音楽だとか ヒーリングだとか
マッサージとか 映画とか? はあ
そういうものが あったんだ、、、と
今更ながらに思い知る。


 今日は前にパリ行の飛行機で出会ったお友達と
お茶をして 彼女は私のまわりにいるタイプとは
ちょっと違って アートやらモードやら
自分の気持を上げてくためのいろんな小さなことを
教えてくれた。はーそうか アロマねえ 何が効きます?
あーそうか 映画ねえ そういえばもう長いこと
触れてなかった。あーそうか そういえば
DVDとか借りれますよね ああそういえば
東京にはこんなにも美術館があったんだなあ、、、


 私のことを たまに「あなたはすごいねえ」と
言ってくれる人がいるけど ああそうか 今日わかった。
私は他の人が自分を緩めるのに使う時間を
研究やら生真面目なことに費やし過ぎて
それと無関係な楽しみというのがまるでなかったわけなんだ。
そりゃカフェで語るのも いろんな場に行ってみるのも
楽しいけれど そうじゃない 小さなことがたくさんあった。
お部屋に間接照明を飾ってみたり 植物を植えてみたり
ジャズを浴びるようにきいてみたり いろんなことが あるんだなー


 リラックス リラーックス
そして自分を大切に、、、 そうかなるほど
私のまわりのあの人たちが ああいう顔で
きれいな服きて 子供にも優しく接していたのは
そういうわけか。彼女はマッサージとかしていたもんな
アロマにだって詳しかったし 自分を許してあげること
自分をゆるめてあげること それを自分でやっていくこと
そういうことが 私には足りてなかったわけだなあ

 
 今日は朝は史上最大くらいにへこんでたけど
なんとか昼から持ち直し フランス語をしながら笑って
彼女とお茶をしながら楽しく会話して そうして
いいオーラがではじめたのか 引き寄せの法則が
働いたようで なんだかいいことが沢山あった。
(なんと彼女にすすめられたバラの香りの
クリームが気に入って買おう!と決心したら
その5分後くらいに目にしたお店でみつけてしまった)


 なんだかそういうことをするのは 懐かしい。
あーみんな こうやって生きてたんだな
こうやって大切にして こうやって自分と向き合ってたのか
なんだか長いこと忘れていたな そうして今日も
きっと明日も 素敵になって笑っていられる
その人が笑顔なだけで 隣の誰かは嬉しくなる。
今日はフランス語を教えていたら いつもの人が
笑顔になる瞬間が多くて驚いて 私もつられて笑顔になった。
人ってやっぱり 笑顔でいると それだけで
まわりが幸せになるんだなあ。


 嬉しい状態でいようとすること 
楽しい会話ができること やった、できた!と思うこと
ああ楽しいな ワクワクするなと思うこと が
まわりも幸せにするという。本当にそうだなと
私は思った 誰かが笑えば誰かも笑う
いつかじゃなくって 今笑うこと
それが大切なことらしい。

 なるべく笑顔で生きられるよう
気持をあげて生きてたい。

メタ認知

2011年08月09日 | 私の人生



 上田先生の『プレイフルシンキング』によると
自分が現在置かれている状況を把握するには
「メタ認知」といって ちょっと自分から遠ざかり
自分を客観的に眺めてみること 今この辺に
いるようだから あっちに向かうといいんだなとか
そういうことが大事らしい。


 メタ認知!ねえ 大切さは よーくわかったのだけど
でもどうやったらいいのだろう?なかなかやろうとしても
私はうまくいかなかったけど カフェ という場は
メタ認知が苦手な人にも わりといい場所なのかもしれない。


 先日お気に入りの広尾のセガフレッドで
たまたま隣に座った人は 悩み相談をしているようで
彼女は興奮してしゃべっているから 私だけじゃなく
前後の人たちにまで彼女の想いが伝わって
時折振り返りたくなってしまう そんなくらいの
口調でしゃべってた。

 彼女が話す内容は 私には痛すぎるほどよくわかり
同席していた男の人が携帯で他の人と話してる間
話しかけて「あなたの気持よーくわかります!!」と
手を握ってしまいたいほどだった。でもさすがに
そんな勇気はなくて だけどやるべきことは
手につかなくて 結局彼女の話をずーっと私も
聞いてしまう。


 もう悩んで悩んで苦しくて!!でも理性的でもあろうとする
彼女に対して お友達の男性は「まーそんなこと言ってもねえ
Take it easyだよ」とか かなり適当に返事をしてて
この適当に返される感じに対する彼女の気持も
客観的にみていると 適当に返したくなる彼の気持もよくわかる。
彼女はもう真剣でそればっかりで仕方ないのに 
男性はというと「これからねえ 防衛庁の人がくるんだよ
震災の支援があってね 復興の方がそんなことより大事だよ」と
まあ もっともな話なんだけど レベルは違えど
彼女にとっては今そのことが重要なんだ。


 でも そんな彼女を横目でみていて私は思った。
こんなきれいな人なのに、、、 何やら才能も豊かそうだし
外国人で日本語を相当習得した人なのだろう
そんな人が そういうことで悩んでそればっかりって
なんだかもったいないんだなー


 私も沢山の人に「気分を切り替えなさい」とか
他のところをみなさいと指摘されて来たけれど
客観的に目の前の人をみてるとまさにその通り。
そして問題を問題にしている というかそうとらえて
しまっているのは やっぱり彼女の頭 なんだなあ
他人からみたら「そーんなこと どうだっていいじゃない!」
と思う様なことがある。特に女性ほど そういうことで
悩むんだろうか でも私たちにとって それら
「ささいなこと」は大問題で だけど客観的に
見てる人たちはこう言いたくもなってしまう。
「もっと他に自分が活き活きできることに時間費やしてみたら?」とか
「そんなに苦しいならやめちゃえば?」とか
不思議なことに 当の本人だけがなかなかそう思えないわけだけど。



 だれだって 本当に そう 誰だって
笑っていてほしいんだなあ しかめっ面より
キラキラした笑顔でいてくれた方が 何十倍もいいわけで
当人だけが なんだかよくわからないけど苦しんでいる
まるで苦しむことが美徳だみたいに思ってるけど
(特に大学院生とか、、、)まわりからみたら
大丈夫?あなたもっと活き活きしてたはずなのに
なんだか面白そうなこと言っていたのに と
思ってしまうものなのだろう。


 悩むこと の バカさ加減を カーネギーは
論じていたけど 私は今ひとつわからなかった。
でもなんだかちょっと実感としてわかった気がした
それってもったいないことなんだ。悩むんじゃなくて
思考すること それから前に進むこと
人生において大切なこと やっと最近
少しずつわかりはじめたような気がする。
(ご迷惑をおかけしたみなさん ごめんなさい、、、
そして本当にありがとうございます!)

フランスに行くなら

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