alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェイン断ち

2017年10月04日 | 私の人生
カフェがなければ生きられない
お茶がなければ生きられない

そんな風に生きてきた私にとって
カフェインを断つなんて もっての他のことだった。

砂糖断ちはやってみた。
小麦断ちもやってみた。
どちらも2日で目に見えるような効果があって
それほど「禁断症状」は強くなかった。
いや、小麦断ちをしたときは、目の前にはパスタやピザ、
美味しそうなパンに焼きそば、そういうものと永遠に
別れなければいけないのかと死ぬほど辛くなったけど。

それでもカフェインを断つのは無理だ。
ずっとそう思っていた。
なぜなら禁断症状が他よりずっと苦しいからだ。
タバコがやめられない人を多くの人はバカにする。
そんなのやめたらいいじゃない?と軽くあしらい
本人の意思が足りないだけだと白い目で見る。
でも私は禁煙した人をかなり尊敬してしまう。
だって禁断症状というのは 本当に恐ろしいものだから。

小麦依存にも禁断症状があり、その一つは確か
食べて数時間後にすぐお腹がへってもっと食べたい!と
思うことだった。そんな程度ならいいのだけれど
カフェインの慢性依存の禁断症状はもっと怖い。

まず頭痛が訪れる。それも1日で終わるといわれればまだましだ。
ところがそれが2日から7日ほど続くと多くの記事に書かれている。
実際に私は思い切って5日ほど前にカフェイン断ちを決断し、
昨日までは一切のカフェインを断ってきた。
ところが砂糖や小麦と違って翌日から目に見えてわかる
ありがたい効果というのはほとんどなく、
かわりにかなりの苦しさがやってくる。
その頭痛というのはまず脳みそ全体に1センチくらいのもやが
かかった感じ。(初日は特にひどい)放っておくと後頭部や首、背中にかけて
筋肉がやけにこわばった嫌な感覚が襲い、3時間以上は続く。
あの頭痛がいやだからそうなる前にコーヒーを飲む、
そうしてるうちに慢性依存になるわけだ。

カフェイン断ちについて書いた記事の中には
「頭痛がしたら割り切って頭痛薬を飲みましょう。
背に腹は変えられない。」という一節も。
確かにそうだ、背に腹は変えられない。
ではいつになったらこの頭痛がおさまり、普通の状態に
なるのだろうかと思っても、5日間ずっと朝になると
ぼんやりとした頭痛におそわれる。これでは仕事にはならないではないか。
どんなにハーブティで代用したって、コーヒーや
エスプレッソのシャキッとした頭にはかなわない。


そうして昨日、もうだいぶ我慢もしたし、
もう頭がまわらないのは耐えられない!と
ついにエスプレッソに手を出した。
大金をはたいてネスプレッソを買い、フランスに行けば
いつだってエスプレッソを飲んでいる私は
大のエスプレッソ好きなのだ。エイ、もう、仕方ない・・・


それが地獄のはじまりだった。


そういえば最近ハーブティなしでもよく眠れるようになっていたのに
昨日は変な夢をみた。エスプレッソを飲んだのは昨日の朝だ。
それから24時間も経っているのに、なんだか頭がやっぱりおかしい。
仕方がないからまた頭痛薬に手を出し、気持ち悪い頭痛は
収まったものの、今度は背中に何かが乗ってる感じで
目も後ろからずっとひっぱられるように痛んでくる。
目薬がないともうダメだ・・・でもそんなのこの場所には存在しない・・・
だめだ、頭もまわらない・・・
たった一杯のエスプレッソで、こんなにも1日がダメになるとは思わなかった。
これがカフェインの力だったのか、これをおさえるために
コーヒーを飲めばいいけど、そしたら元の木阿弥なのだ。

カフェインをやめてみたら
数週間前から気になっていた肌のブツブツが日をおうごとに
すーっと肌から引いていった。そして歯が本来の白さを
とりもどしつつあるように思う。肌や髪には弾力がでて、
つまりハリ、ツヤ、それに透明感もでてきたようだ。
(いつもよりまつげに弾力があり、抜けにくい気がする)

カフェインは体のカルシウムや鉄分をすーっと外に流してしまい、
シミを増やす可能性もあるという。カフェインで頭が働くのは
素晴らしいけど、それは壊れかけた車に無理矢理ハッパをかけて
高速道路を飛ばそうとしているようなもので、身体は
悲鳴をあげてるかもしれない。でも慢性的に依存していると
そこに気づける暇がない。

カフェインをやめてみたら
なんだか息子に優しくなった。背中から沸き起こるような
恐ろしい怒りも最近は感じない。このやろー!というような
子供に対する怒りというのは、もしかするとカフェインと砂糖や小麦の
産物なのかもしれない。

私はカフェが大好きだ。もちろんお茶も大好きだ。
でも今日身をもって経験した。カフェインはとても恐ろしい。
たった一杯のエスプレッソが丸一日を破壊するほどの威力を持っている。

私のように知らないうちに、慢性的なカフェイン中毒になり
どこに行くにもまずコーヒー、と思ってしまう人はいるだろう。
(そういう人はコーヒーがないとイライラしてくる)
カフェインは一度断てたら後は身体が楽になるらしい。
私もそんなことを語れる日がくるのだろうか。
慢性的な疲労はようやく回復し、驚くほど元気になんて
なれるのだろうか。

コーヒーにドーナツだとか、美味しいケーキセットを
カフェでというのは、カフェ好き女子にはたまらない。
でもそれは実は健康的にはトリプルパンチで恐ろしい。
知っていてあえて注文するのと
知らずにとり続けるのとではのちに相当な差が出るだろう。
朝ごはんにまず一杯、職場でもまず一杯。ランチの後に。
来訪時にコーヒーが出て、そんな感じで人々はコーヒーを
さくさく飲んでいく。でもカフェインはもともとは祈祷者たちの
薬であった。彼らだって、毎日使っていたわけではなく、
大事な時に眠ないでいられるように使っていたわけだ。

この厳しいカフェイン断ちを、どこまで続けらるかはわからない。
けれども自分の身体でなるほどな、カフェインってこういうものかと
納得するまで、もうちょっとがんばるしかなさそうだ。
(それに再びカフェインをとるのが怖すぎる)

コーヒーは確かに近代以降、頭脳明晰な哲学者や芸術家に欠かせない
存在だった。彼らはそれとともにカフェで議論をしていたわけだ。
一方で産業革命以降に過酷な環境で働く労働者が飲んでいたのも
コーヒーや紅茶だったのだ。何のため?無理矢理自分を
働かせるために。カフェインと近代型の思想というのは
切っても切り離せないのかもしれない。

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