alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェイン中毒

2017年10月07日 | 私の人生


カフェイン断ちを始めて1週間が経過した。その間
地獄のような苦しみにさいなまされつつ
なんとかして継続してこれたのは、ひとえに
肌のトラブルが日ごとに改善されてきたからだ。

私が本気でやばい、と思ったのは3週間ほど前の週末で、
その日は朝お腹が痛くて起きられず、トイレに
行こうと思ってもその距離が遠すぎて動くことさえ
できなくて、ようやくまともに立てたのが午3時という
経験をした時だった。そして顔には吹き出物。
顔を洗っても洗ってもなんだかベタベタした
不快感が続いてた。・・・これはまずい、身体が何かを訴えている。
だから改善しなければ。

そこでまずやってみたのはすでに経験したことのある
砂糖を(できるだけ)断つことだった。これでもだいぶ
改善されたとはいえ、顔にある吹き出物には
どれほど効果があったかわからない(髪の毛は
2日でツヤがでた)その他いろいろ試したものの、
他に思い当たる節もない。わりと健康的な
食生活をしているはずなのに・・・
それでもまだ、顔のブツブツは治らない。
ひとつだけ思い当たることがあるとするなら、私から
切っても切り離せないお茶やコーヒーなのだろう。


そこでなんとかカフェイン断ちをして1週間。
たった1杯のエスプレッソによるその後の
禁断症状はまさに拷問のような苦しみで、
エスプレッソを飲んだ1日後だけかと思いきや
2日目にも同じような、脳みそ全体を真綿で
締め付けられる続けるような頭痛、目を後ろから
ひっぱられるような痛み、背中から首にかけての
激しい緊張感などが続き、もし頭痛薬を
持っていなければ倒れていたのではというほどに
その症状はひどかった。カフェイン、本当に恐ろしい・・・!!

カフェの研究をしている私の本棚には
『カフェイン大全』という本があり、基本的には
コーヒーの効用をほめているものの、最後に
カフェイン中毒についての項目もある。それによると

「カフェ人を突然やめたときに頭痛が起こることは
何百万人もの人が日々の生活で経験しており、カフェイン
禁断のもっとも典型的な特徴の1つである。またこれはカフェインが
身体的依存性を持つ直接的な証拠でもある。カフェイン禁断の
一般的症状としては、毎朝のコーヒーを楽しめなかったときに
経験した読者が多かろうが、次のものが含まれる。

・眠気ーー嗜眠、あくび
・仕事上の支障ーー集中力の欠如、倦怠感、労働意欲の喪失
・いらいらーー満足感、幸福感、自信それぞれの減退
・社交性の低下ーー親密感やおしゃべりの減少
・流感に似た症状ーー筋肉の痛みと凝り、一時的な熱っぽさあるいは寒気、吐き気、目のかすみ

ほかの症状としては抑鬱の増大、不安感、精神運動能力の低下といった
例が報告されている。」
(ベネット・アラン・ワインバーグ、ボニー・ビーラー『カフェイン大全』p.482)

まさにその通り!っていうか全部しっかり当てはまる。

この1週間、私には感情がなかったかのように
のっぺらぼうで過ごしていた。
普段だったら怒るような出来事も、ふーん、と
通過してしまうのだ。なぜだろう?頭痛と
戦っていて、そんなことに構っている余裕が
なかったからなのか。不思議なことに
感情の揺れ動きがなくなっていく。でもその分
子供には随分と優しくなって、今までだったら
つい怒っていたようなことにも怒らなくなり、
随分と優しくなったと思う。
(子育て始まって以来の優しさかも?)

カフェインのせいか、砂糖のせいか、
特に夕飯後にお茶とお菓子をとった後
急に血糖値が上がったためか、イライラすることが
多かったけど、カフェインとともに砂糖も極力
とらないようにしていたために、背後からこみ上げてくるような
どうしようもない怒りというものがスーッと消えた。

もちろんカフェインの良さには頼れていないので
カフェインが与えてくれる「自己肯定感」は
減ってしまった。私って意外とできるんじゃない?
おーこんなに仕事が早く終わった!という気持ちには
なれなかったけど、カフェイン断ちを実行した人たちの
言うように、そうまでして頑張らなくてもいいのでは、
と思えたのは発見だった。

そもそもカフェインというのは
産業革命以降の労働者たちを働かせる格好の
道具だったのかもしれない。(もともとは
どちらかというと聖職者や限られた人の儀式用の飲み物だった)
産業革命では労働者たちは朝の5時から夜20時まで働いていたという。
そんな彼らを本当に元気づけるものは、栄養のある食物だろう。
たんぱく質にビタミンや色の濃い野菜とか?
でもそれがとれないならば?おそらくカフェインは一番
安上がりで元気がでる飲み物だったのだ。

「カフェインは「仕事をつまらないと思う気持ちを
おさえるような注意深さをもたらす中心的な働き」として
非特異的に作用する。この考えは、30分以上の継続的な
行動を対象とする多くの研究によって裏付けられている。
この行動とは実験心理学者の言う「ヴィジランス・タスク」で、
長時間にわたる注意力と反応性が要求されるが肉体的な
活動はほとんどないものを指す。(・・・)
カフェインは疲労した人を「元気にさせる」から
長時間の作業に対するカフェインの向上効果は、
繰り返しが多く単調で継続的注意を要する仕事なら
何にせよ見られるだろう。」

(『カフェイン大全』p.463)

イギリスの労働者たちは紅茶を飲み、現代の
労働者たちは仕事の合間にコーヒーを飲む。
そして覚醒された気分になって、よし頑張ろう、と
また仕事に戻る。それは自分の選択なんだと思っていた。
コーヒーを飲むのは自由な女の証、そんな風に
今でも雑誌のモデルはコーヒー片手にポーズをとっている。
でももしかしたら違うのかも、とカフェインから
離れた私は気が付いた。

カフェインには依存性がある。特に栄養がある
というわけではない。頭の働きをよくしてくれて、
自分はできる、という気持ちにさせてくれるのは
とてもいいことだ。でも一方で身体はどんどん
疲弊しており、頭と身体の乖離は進む。
そしてカフェイン中毒の私のように、日中は
エネルギーがフル回転で、気が付いたらバタンと倒れる、
そんな風になってしまう。
私はちょっと思ってしまう。「このハゲー!」
発言のあの女性議員も、実はカフェイン中毒だったのでは
ないだろうかと。カフェインは人を頑張らせ、
また頑張らせ、中毒だからまた摂取して、またまた頑張らせてしまう。
でも本当は身体はとても疲れている。栄養で
元気になったのではなく、その元気はちょっとした
まやかしなのだ。コーヒーにも紅茶にも
非常にポジティブなイメージがあるから、
それらを飲むことは自由な自分の選択なように
思ってしまう。でも本当は禁断症状に
耐えられずにコーヒーを探しにいっているだけかもしれない。

自分の意思でコーヒーを飲む、
それはとてもいいことだ。私だって早くそうしたい。
ミルクティや中国茶だって楽しみたい。
せめて1日2杯くらいは。でも
依存症になると身体がおかしくなっていく。
私の身体は7日間で見違えるように変わっていった。
身体全体にハリがある。爪だって磨いていないのに
まるで磨いたかのようだ。とにかく今までと
肌の様子がまるで違って、日増しにピンと張っていく。
それは顔から爪、足の感触に至るまで、
すべてが本当に違うのだ。
お茶やコーヒーのない人生なんて本当に
つまらない、それは人一倍自覚しているけれど
カフェインはけっこう恐ろしい。
それをよく自覚した上で1日何杯くらいにとどめておくのか
そうしないと、どんな健康志向も高級化粧品も
水の泡になるかもしれない。
そんなことを、特に女性に伝えたい。

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