伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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二見町の話 ~ 名所・風物回想記 ~

2010年06月23日 | 伊勢の自然と風物

二見ヶ浦・神前岬・海食洞門

 

お伊勢参りの名所・名勝地

 二見ヶ浦と言えば、古来、お伊勢参りの名所・名勝地であり、夏至の頃大小二つの海中岩(立石。一般には夫婦岩と呼んでいる)の間から昇る日の出の遥拝と、海水浴発祥地の一つとして名高い。
 早くから、鳥羽に至る参宮線、並びに神都線(伊勢の市電。後の三重交通電車)が通じており、五十鈴川や勢田川の水路を利用した船参宮や物資輸送とともに、交通至便な臨海地として発展を遂げてきた。
 町並みは、興玉神社の門前町の形態を保ちながら、かつての伊勢の町(宇治山田市)とともに観光街として発達し、今のJ.Rの二見駅前から海岸近くまでは、真っすぐな繁華街が続き、右に折れて道路の海側には旅館が連なり、立石崎に続くその道路の真向かい側には土産物屋がひしめき合っていた。今で言う、正に伊勢湾南岸の一大観光リゾート地であった。

二見へのちんちん電車

 戦後から昭和30年代にかけては、伊勢市内の小学生達は、夏が来ると学校行事として「ちんちん電車」に詰め込まれ、田んぼのど真ん中を二見へと単コロ電車が走って、海水浴や林間学校を楽しんだものである。
 広々としたきめ細かな砂地の海浜と防風林の松林・・・。そして、一日が瞬く間に過ぎ、夕陽を西に、五十鈴川に架かる汐合(しわい)の鉄橋を市電が渡ると、伊勢の町に近づき、ちょっとした旅行気分を満喫したものである。
 戦前には、一時期、音無山に昇るのにあったと言う、ロープ・ウェイの話も懐かしい・・・。
 幼少の頃の二見ヶ浦の記憶を辿る時、伊勢からのアクセス道路(国道、他)も一段と整備が進み、ずいぶん速くて楽にはなったが、かえって殺風景になってしまった。町が近代都市へと変貌を遂げてゆく中で、二見町界隈を見ると、かき消されていった風景や風物ははかり知れない。

二見町の見どころ

 しかし、一般にはあまり知られていないが、この二見町には、昔ながらの聖地や名所、名物が幾つかある。まず、立石崎の上方、音無山への山道が最近遊歩道に整備され、かつて荒れ果てていた山上広場が展望台公園となり、伊勢湾が一望できる名所として復活した。この山の東麓には、藤の花で著名な由緒ある札所の太江寺があり、今はペット供養を兼ねたお寺となっているが、散策者が絶えることはない。
 次に名所となる場所は、江海岸のさらに東の突端、神前岬(こうざき)にある「潜り島」である。江の橋の東方約600mから先の海岸は、古名を千尋の浜(ちひろのはま)と言い、神前岬まで約800mにわたり千枚岩や結晶片岩が露出し、荒磯(岩石海岸)となって真っ直ぐに続いている。ここには、当地では比較的大きな海食洞門(潜り島)があって、注連縄が張られ、アレサキ姫が祭られ神聖視されている。さほど遠くない東西二つの岬に、それぞれシンボル的な微地形があるからには、昔は「潜り島」の洞門は、おそらく立石とともに「男性神・女性神のセット」として崇拝されていたに違いない。ただし、潜り島へは、大潮の引き潮時でないと辿り着けないので、要注意である。

立石(夫婦岩)以外にも、数々の謂れ石が ・・・

 当地は、立石(夫婦岩)で全国的に著名な二見町らしく、幾つか石にまつわる名所がある。昔の名所図会などにも出ている謂れ石に、硯岩(すずりいし・硯石とも書く。三津の裏山)、退石(すさりいし、但し今は不詳。三津の裏山)、天狗石(天狗の力石。三津の裏の田んぼの中)、並びに猿田彦石と猿田姫石(江の町内の旧道沿い)がある。この他、溝口の南はずれの五十鈴川右岸に、破石(われいし)という岩があり、中央が上下に裂け、ぽつんと川岸に取り残されたように突き出している。

昔の二見を知る人は、今 ・・・

 かつて、度会郡であった二見町が伊勢市に吸収された今、昔を懐古し、往時を物語る人も数少なくなってしまった。

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