地学的見地から志摩を見る
伊勢志摩国立公園は、複雑で美しい海岸風景が観光資源である。そして、真珠のふるさとであり、海女の獲る海の幸の数々は、四季を通して食感をそそり、旅情に彩りを添えてくれる。
珍しい石や岩が各地に点在
この変化に富んだリアス式海岸線を持つ隆起海食台の丘陵地形や離島、緑の山並みが織り成す情景豊かな伊勢志摩国立公園を歩き回ると、観光名所や名産物の影に、他所では見られない程、色々な珍しい石(岩石・鉱物・化石、遺物など)に出会います。
「石」なるものとは ・・・
ひと口に「石」と言っても原始人の使っていた石器の類から、石材や地下資源として掘り出される各種の鉱石、そしてクリスタル(結晶)や宝石類、又、地球や大地の歴史を知るのに役立つ動・植物の化石、鑑賞石としての色々な水石、そのほか、信仰の対象となっている各地の謂れ石や名物岩など、実にさまざまである。
高師小僧(たかしこぞう)
筆者は、今は鵜方(阿児町)の住宅街となっている裏城団地の造成が始まった頃、当地の粘土層の中から無数の「高師小僧」(たかしこぞう)を見つけ、夢中でいろんな面白い形のそれをたくさん採集した事がある。現在も、志摩自動車学校付近の粘土層をはじめ、志摩地方各地の同様の地層の中からいくらでも採れる。
れっきとした鉱物の名前
さて、「高師小僧」と言うと、何だかお寺の小僧さんのあだ名みたいであるが、れっきとした鉱物である。地方によっては、「鬼わらび」だとか「狐の小枕」など、さまざまな呼び名がついているが、時代の若い未固結の地層の中から出てくる、ミニサイズの土人形を思わせる黄土色のその形を見れば、小僧と言う名前が妙を得ていて、頷けなくもない。しかし、石化した化石ではなく、地層中において化学的に生成するコンクリーション(単層の中の不定形の固結塊で、結核とも言う。球形のものはノジュールと呼び、区別される)の一種である。
由来は豊橋市の高師ヶ原から
「高師」と言うのは、仏教用語ではなく、明治期にその原産地であった愛知県豊橋市郊外の「高師ヶ原」(現在の曙町、西幸町一帯)の地名に由来するものである。
鵜方層から産出
これが、英虞湾を取り巻く志摩地方の海成段丘堆積層の粘土層の中から、無尽蔵と言ってよいぐらいたくさん産出する。現在も、志摩自動車学校付近の道路沿いの地層のカッティングやその上面で、誰でも簡単に採集できる。高師小僧を含む当地の地層は、更新世時代のもので、鵜方層と言う。
正体は植物の根や茎を取り巻いた鉄分
高師小僧の多くは、大昔の池沼や低湿地などに生えていた植物の根や茎の周囲に、地下水に含まれていた鉄分が水酸化鉄(褐鉄鉱や針鉄鉱)となって、粘土とともに沈着したものである。典型的なものの断面を見ると、中心にストロー状の孔があり、その周りを年輪状に幾層もの外皮が取り巻いている。いわゆる成長皮殻である。
現在も進行形で生成
志摩自動車学校から裏城団地バス停にかけての地層では、その上に現生するウバメガシなどの植物根に付着しているものがあって、比較的地表に近い上層部に集中しており、現在も生成が進行中の「即成」高師小僧と考えられる。
志摩では採集し放題
豊橋市では、天然記念物になっているが、当地では高師小僧は採集しほうだいである。オーソドックスな管状や樹枝状のものを手始めに、小球状のもの、鍔付きのもの、茸やわらび、瓢箪、魚、ヒトデ、鳥、獣などの形の他、さらにマドロスパイプやバーベル、亜鈴、リングになったものなど、いろんな姿格好のものを集めてみると楽しい。但し、人形の姿をした「小僧タイプ」ものはなかなか見つからない。
昔は、漢方の石薬であった
この高師小僧は、古名を「土殷けつ」(どいんけつ)と言い、全国各地に産し、江戸時代既に一部の漢方学者らには「石薬」として知られ、処方に用いられていた。当時の石類学者の木内石亭の著書「雲根誌」にも「志摩国神明浦(しめのうら)に産する」とあり、当地一帯が昔からの著名な産地であった事が伺える。