観光と交通の拠点、鳥羽
志摩半島北海岸の国際観光都市「鳥羽」は、島嶼(とうしょ:島々の事)に囲まれた、波静かな天然の良港を持つ港町として起こったが、現在は言うまでもなく、伊勢志摩国立公園の中枢的観光都市となっている。かつての国鉄参宮線(現在はJR東海のローカル線)の鳥羽駅には、近鉄電車が発着し、志摩線と直結しており、京・阪神地方や名古屋方面からの直行特急が、鳥羽を経て賢島まで行き来するほど交通至便な場所となった。
天下随一の景色
市内には、巨大化し近代化した立派な鳥羽水族館があり、養殖真珠開発の拠点でもあった御木本パール・アイランド(相島)へは、専用の跨水橋が架かっているが、二条の島列(答志島列と菅島列)の織り成す海景は、昔も今も天下随一である。
古城の面影
鳥羽は又、九鬼氏の居城跡としても有名で、志摩水軍の大将である九鬼嘉隆が、付近の豪族を平定し、鳥羽城を築いたのは、今から約400年も昔のことである。城跡は石垣だけが残存し、かすかに昔時の面影をとどめてはいるが、城址公園としての整備はようやく始まったばかりである。
鳥羽は泊場(とまりば)から
鳥羽という地名の起こりは、古名にある「泊浦」(とまりうら)が語源と考えられている。古来、付近を通る帆船は、伊勢湾口にあるこの東海随一の良港、海路の至便な停泊地に入って風待ちをする慣わしがあった。古謡にも、
「 伊豆の下田を朝山巻けば、晩には志州領鳥羽の浦 」
と、謡われているように、帆船の泊場(とまりば)としてあまりにも有名な港であった。つまり鳥羽という地名は、「とまりば」が「とまば」や「とりば」と短縮され、最終的に「とば」とまで簡素化された結果と言えなくもない。漢字で「鳥羽」と書くのは、皇族など格式の高い著名人にあやかったものなのか、「とりば」の発音に合わせた単なる当て字なのかは、定かではない。
はしりがね
昔時、志州きっての港町としてさかえた鳥羽は、的矢湾に浮かぶ渡鹿野島とともに、船乗り相手の遊女の町としても、その名が知れわたっていた。かつて、この地方の遊女のことを俗に「はしりがね」と称したが、この奇妙な名前の由来を探ってみるのも一興である。
「 名物は鳥羽の港に日和山、宿かりもする走りがねあり 」
だとか、
「 鳥羽はよいとこ朝日をうけて、七つ下がればお女郎が出る 」
という古謡は、あまりにも有名である。
江戸時代の版画に見る鳥羽港(安藤広重 筆画)