伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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  感性の趣くままに-。

5月の連休初旬の4日に、伊勢市とその近郊の気になっていた場所を見回る。

2024年05月04日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

一之瀬川に注ぐ 「彦山川」 の落合河口の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影

 先月は、曇天の中を少し強行に伊勢市内の気になる場所を3箇所見回ったが、5月に入って時を待つかのように天気がやっと五月晴れとなった。 このゴールデン・ウィークの連休は、伊勢神宮や鳥羽・志摩への道路は混雑極まりないと思い、伊勢市郊外の奥伊勢へと車を走らせ、気になっていた場所を見回ってみることにした。
 伊勢・鳥羽・志摩の観光地をはずれた伊勢から奥伊勢にかけての道路は、それ程の車の往来も無く、暑いぐらいの春日和の郊外へのドライブは、新緑の山野を目にしながら実に快適である。


「日向橋」 の川上から眺めた一之瀬川の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影


 最初に立ち寄ったのは、一之瀬川の日向橋の橋下の川原である。 ここは一之瀬川では名石の集積する一番広い川原であるが、下りやすい事もあって、週末などには川遊びの家族連れや、鮎釣りのシーズンには川漁師が何人も竿を投げ入れている。 しかし、水石の趣味はどちらかと言えば、高齢者のたしなみのせいか、川原の転石を見回る探石者は全く見られなくなった。

「日向橋」 川上の川原で揚石をした、手のひら大の 「梅林石」の転石礫
「日向橋」 川上の川原で揚石をした、手のひら大の 「滝石」 の転石礫 ~ 2個にカット
 この川原は、かつては「梅林石」がよく採れたが、表面が巣立ち状のものが多いので、鑑賞用に磨き上げる作業が大変である。 他には青玉石化した「紫雲石の化け石」が時たま揚石できるが、この石は当地方では最高級の石質であり、すぐ上流の一之瀬川の支流、火打石の彦山川からの流出礫である。
 彦山川を遡って丹念に探石をすれば、時たま名石が見つかる事がある。 中には珪化作用よって、見事な程の「青玉石」( 碧玉 )の層状脈を呈する美石もある。
 この日は彦山川の上流には入らず、一之瀬川との合流地点の渓流の小狭い川原 ( 旧 天祥橋の直下 )に下りてみたが、ただ見回っただけであり、こぶし大の「紋様石」1個を揚石したものの、全くの期待外れであった。


旧 「天祥橋」 下の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影

「旧 天祥橋」 下の川原で揚石をした、こぶし大の 「紋様石」


 この先の支流の「小萩川」へは、昨年に入っているので、火打石で折り返して伊勢市の横輪町に立ち寄ってみた。 桜花のシーズンが過ぎた今は、散策に訪れる人もまばらであるが、横輪川は昭和年代には数々の名石を産し、水石の趣味者にはよく知られた山里の谷川である。 当地に交流施設の「風輪」が出来て10数年が経過した今は、水石よりは田舎風の食品や農家直売の野菜などの販売がメインであり、地産の「横輪芋」は高味な特産物となっている。


「共栄橋」 の川下から眺めた横輪川の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影


 この川の転石礫は、「風輪」付近から上流は五十鈴川川上の高麗広から続く古生層が分布しているせいか、転石礫も高麗広付近と殆ど同じである。 特に鎧石や伊勢赤石、伊勢古谷石などは、大・小の見ごたえのある超名石がかつては多産し、昭和年代には県外からの業者の探訪が、何度も繰り返されてあったと聞く。
 今は、この山里の住民が皆高齢者となったせいか、地元民らの水石集めも以前のような熱意が冷め、川原を見回る人などいなくなり、横輪川の流れだけが変わる事なく、昔時のままに転石礫を眺めさせているにすぎない。


横輪川の川原で揚石をした、こぶし大の転石礫 ・2個( 右 : 伊勢赤石、左 : 伊勢古谷石 )

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