伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

志摩の海浜で見つけた漂礫の紋様石

2019年06月29日 | 石のはなし
「稲妻模様入りの漂礫」 2個のジャケット

 志摩の海岸 …。 志摩市大王町名田の 「大野浜」 は、地山 (じやま) が出鼻となって海に突き出した岩場 (荒磯・海食崖) の間に、弧状を成して広がる、全長 200m 程のこじんまりとした砂礫の海浜である。


誰もいない「真夏の大野浜」


 夏場には、時折海女漁が見られるが、地元民もあまり来ず、釣り人や遊泳者も滅多に無く、ひと気の少ない静かな場所である。


置物にした「きれいな断層石」


 大野浜については、既にこのブログに何回か取り上げ、層内断層入りの漂礫のほか、稲妻模様や層内褶曲の見られる漂礫、きのこ石や黄色玉石などと共に、幾つかのきれいな紋様石も紹介をしてきたが、その後拾い集めた紋様石の中から、特に際立ったものを掲載する次第だ。 ( 掲載写真の漂礫のサイズは、全てこぶし大程度か、それ以下である )

階段状の層内断層の示す「稲妻石」3個

「層内褶曲」の露れた漂礫


「層内断層」の露れた漂礫


「鉄床状の積乱雲と白い稲妻」の紋様石

人物模様など「ちょっと面白い漂礫」3個

数字の1と漢数字の二(数字石)

枯野のような「ピクチャー・ストーン」


「幽界の人物」のようなピクチャー・ストーン


「鬼火」のようなピクチャー・ストーン

動物模様(狐?)のような紋様石

 梅雨のまっ只中のぐずついた蒸し暑い日々が続いた、初夏の6月もいよいよ終わりである。 巷の雑木林では、梅雨の晴れ間にはニイニイ蝉が鳴き始めた。
 今夏もまた大野浜に行きたいと思っている。 ここは何といっても、実に楽しい我輩の志摩の遊び場なのである。


「たなびく白煙」のような紋様石

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志摩の海岸で見つけた「漂礫の紋様石」

2018年06月29日 | 石のはなし

一輪の白梅模様の浮出た「漂礫の紋様石」~ 高さ約9cm

 かつて、ブログのバックナンバーに、何度か志摩の海岸産の石を取り上げて紹介をしてきたが、潮かぶれの漂礫の表面に浮き出た模様の中には、層内断層の見られる「断層石」や、階段状の断層が示す「稲妻模様の漂礫」、そして「層内褶曲」などのきれいないろんな地層模様の石などがあり、特に大王町名田の大野浜などに集積している。

大野浜産の花柄模様類似の「漂礫の紋様石」~ 高さ約9cm<img

 この他にも海岸を見回ると、時には思わぬ獲物に遭遇し、今回紹介する「梅花石」類似の紋様石などもその一つである。
 今月の始めに、いつも行く名田の大野浜で見つけた冒頭写真の小石は、正に「梅花石」と言える程見事なもので、花のサイズは2cm程であるが、芯がありその周りに五弁の白花が一つ開花している。

 これは、著名な門司産のウミユリの一種(ヘテロクリニデー属)の化石が示す「梅花石」や、輝緑凝灰岩中のいびつな小球状の方解石等の断面が示す、梅花石類似の紋様石とは全く別物である。
 この石は、半ば珪質化した細粒砂岩中の残存石英脈が呈する、全く偶然の産物である。


蝶の形をした「漂礫の紋様石」~ 横幅約5.5cm<img


 この他にも、志摩の海岸からは、砂質岩の他、泥質岩(頁岩、珪質頁岩)や珪質岩(チャート)等の浜砂利の表面には、いろんな紋様を呈するきれいな漂礫があり、小型~ミニサイズの「紋様石」として楽しむ事が出来る。
 以下に、これまでに志摩の海岸で拾って来た、幾つかのきれいな「漂礫の紋様石」の写真を掲載しておきます。


「二の字」の模様の残存した漂礫の紋様石 ~ 高さ約8.5cm

タスキ状を呈する「稲妻模様」の漂礫の紋様石 ~ 高さ約12cm

階段状断層の浮出た模様が示す「稲妻模様」の漂礫の紋様石~ 高さ約8cm

湯浴み女のような模様の浮出た「漂礫の紋様石」~ 高さ約5.5cm

天女の羽衣を連想させる、幻想的な模様の「漂礫の紋様石」~ 高さ約6.5cm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

造形石の妙味を楽しむ…。

2018年05月25日 | 石のはなし

「紫雲石」を加工して造った、富士山形の山水景石 ~ 横幅約13cm

 公職に付いて、早期退職をしてから10数年が経った。 現職の頃から県内各地の鉱産地を訪ねては、鉱物採集に熱中していたが、同時に水石にも魅せられ、夏場などは松阪からの帰宅途中に遠回りをし、よく奥伊勢の河川を見まわったものだ。

 水石には、自然のままの形状の趣きや色彩、紋様などを有する石を、台座や水盤に据えて鑑賞する「山水景石」や「色彩石」「紋様石」があり、本来はこれが主流と思われるが、他にも全体の特異な姿や格好を好む「形象石」(姿石)と言うのがある。 その他、鉱物の晶洞や群晶もなども合わせて見る、「奇石・珍石」(奇形石)や「抽象石」(オブジェ石)もあり、この趣味に嵌ってしまうと、その嗜みは幅が広くて奥も深い事に気付く… 。
階段状断層の浮出た模様が、段丘の景色を呈する海石(自然石)~ 横幅約13.5cm
 上記以外に、由来石や伝承石という、江戸時代以前の古(いにしえ)から伝わる、国宝級の由緒ある銘石などもあるが、これらは一般人には、縁遠い水石である。
 その中に確か「与十郎石」と言う造形石があったのを記憶してる。 これは昔、京都に石工の名人がいて、その名を冠しているのだが、石英脈などの白脈の入った横長の石を巧みに加工して、残雪の残る遠山石(とおやまいし)や、たなびくような雲海を麓に有する名石を演出し、実に見事な山水景石を造形していた。

上掲写真の背面をカットして造った、「ピクチャー・ストーン」的な遠山の風景


 自然石の中にも、主に砂質岩や泥質岩には、水酸化鉄などの二次的な鉱物質の浸み込み模様が、あたかも自然の風景美(海岸や残丘、断崖、砂漠の蜃気楼、連山、夕景、枯山水などの風景模様)を呈する、絵画のような「ピクチャー・ストーン」と言うのがあるが、このような石にはなかなかお目にかかれない … 。

 鉱物採集に行くと、よく羊歯のような黒色や茶褐色の模様の入った「忍石」(しのぶいし)という紋様石に出くわすが、これは岩石や鉱物のわれ目に浸み込んだ二酸化マンガン鉱の皮膜で、二次的な生成物である。


自然石の形状を生かして加工した、ミニサイズの「石灯籠」


 退職後に始めた「伊勢志摩自然石活用工房」では、趣味の範囲で自然石を半加工して、石の模様や色彩、質感などを生かして、「ペーパー・ウエイト」や部屋飾りの「置物石」を造ってみたが、やはり自然の営みによって作り出された水石の絶妙の造形美には及ばず、思いどうりには捌けなかった。


 水石の世界では、那智黒石などの数石を除いて、カットをしたり、破り取ったりする自然石の加工は邪道とされている。
 わずかに許容されるのは、土中石(どちゅうせき・山石)の表面を覆う風化皮殻や残渣を擦り落としての芯出しや、石の座りを佳くする為の底面の平坦化(擦りや切断)と、石に合わせた表面の研磨のみであろう。


落ち口のみ加工して造った、「紫雲石の滝石」~ 高さ約10cm


 しかし、個人で楽しむ為に石の形状を修正し、加工するのはこの限りでは無い。 水石の嗜みは、人それそれであって良いのだと思う。

 我輩も揚石して来た石によっては、「与十郎石」を模して小形の造形石に加工してみたり、海石などの表面模様を生かして、「ピクチャー・ストーン」さながらの石板を造ってみたりするのも、近頃いいなと思い、初めの頃の「自然石活用工房」にフィード・バックをし、再度「ペーパー・ウェイト」のような造形石を少し造ってみた次第だ。
 造形石の妙味は、その石と相談をして手を加え、個人で楽しむ事に尽きる。

五十鈴川の転石を加工して造った、小形の「遠山石」~ 横幅約12cm


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の正月も、晴天に誘われて "探石の川歩き" でスタート!

2018年01月25日 | 石のはなし

犬の形をした「伊勢古谷石の姿石」~ 昭和年代に旧大宮町で入手・左右幅約8cm

 昨秋の台風後に、伊勢市近郊の水石の産地である河川の様子がずっと気になっていたので、正月の三箇日は、その見回っていなかった一之瀬川の川原を重点に探査する事にした。
 冬日和の内にと、小寒い川風に晒されながら、昨年に続き今年も探石目的の川歩きでのスタートとなったが、さすがに年始から川や山に入る人は誰もいない。


新年の一之瀬川 ~ 度会町畦地付近にて元日に撮影


 正月休みを利用し、海外旅行や温泉旅行に行く人、スキーやゴルフ、魚釣りに行く人、初詣に出かける人、郷里に里帰りし実家で家族らとのんびりと過ごす人、等々は極く当たり前であり大勢いる。
 仲間と共に正月休みを世間一般社会の中で楽しむか、独りで我が究極の趣味を自然界の中で楽しむかは、人それぞれであっていいし、かつて島倉千代子さんが歌ってヒットした歌謡曲にあったように、「人生いろいろ、男もいろいろ、女も… 」 だと思う。


 そんな事を思い浮かべつつ、今年は戌年なので、犬の「紋様石か形象石」でもあればと考えながら、極端に水流の減った一之瀬川の浅瀬を渡り歩き、ブッシュに遮られていて沿道や橋からは見えないような、隠れた川原に期待を寄せた。 だが、残念ながらそのような「名石」には巡り遭えなかった。
 しかしながら、感じの良い梅林石や滝石等は何石か揚石出来た。


二見町にある真言宗の山寺「潮音山 太江寺の本堂」


 ちなみに、犬の紋様石と言えば、二見町にある真言宗の山寺「潮音山 太江寺」の境内に、動物供養の「愛受院」という寺院があって、その傍に愛犬の守り石なる「お犬石」という霊石が安置されている。 横にはこの霊石の由来を記した立札があり、格子窓越しに覗き見る事が出来る。

「お犬石」を安置した祠


 高さ・幅が数10cm程のひと抱えもある石面祠の中の霊石「お犬石」
に、残留石英脈の白い筋模様が、正座した格好の犬の紋様をくっきりと浮き出しに描いている。
 かつて、よく目にした日本ビクターの看板犬さながらである。
 石好きには、一度見たら忘れようの無い超名石(霊石・銘 「お犬石」)であろう。

二見町江の町道から上る、太江寺参道の入口


太江寺参道石段の中腹にある山門


 古刹・太江寺は、犬猫供養の墓地のあるお寺としてもよく知られているが、立派な山門や石段上の本堂、愛受院の他に、元興玉神社や稲荷社等もある。
 伊勢地方の西国巡礼・霊場の一番札所でもあるので、一度は拝観をされたい…。


彦山川にある、ロック・フィル堰堤の滝


 さて、一之瀬川支流の彦山川や小萩川にも足を踏み入れた処、新年早々にお宝級の名石は得られなかったが、鑑賞に値するレベルの水石を幾つか見つける事が出来た。 その内の珍しそうなものベスト4を、掲載画像の写真で紹介しよう。


1. 一之瀬川産の 「遠山形の梅林石の化け石」
 この石は遠山形ですが、表・裏で形状の一変する「きつね石」です。 芯出し研磨をした表側の面は、白梅の点在するごく普通の梅林模様の山水景石ですが、裏側は溶食窪がさながら中国の寿山石を加工した、「楼閣山水細密彫り」を眺めるような「溶食・化け石」となっています。 左右幅は約20cmです。
「遠山形の梅林石の化け石」~ きつね石表側の研磨面です
「遠山形の梅林石」~ きつね石裏側の溶食窪です
2.彦山川産の 「伊勢赤石の白糸滝のような滝石」
 この石は、赤鎧石を形成する互層に挟まれる層状岩由来の転石です。 当地方の赤色チャートの水石は、かつて「伊勢赤石」と呼ばれていましたが、時に、貫入し溶食を受けた方解石脈から成るきれいな滝石を形成しています。 特にこの石は、平行する節理に貫入した方解石の細脈が程よく溶食されていて、見るからに数条の白糸を垂らしたような景観を呈しています。 左右幅は約13cmです。

伊勢赤石の白糸滝風の「滝石」です


3.一之瀬川産の 「青玉石化した葉層のむき出した紫雲石系の化け石」
 この石は、歪な方形をした紫雲石系の化け石です。 介在する青玉石化した濃緑色の葉層がむき出し皮殻状なっていて、極めて珍しい形状を呈していたので、この箇所のみ艶出し研磨をし、台座に据え付けてみました。 当地では彦山川の上流が原産地で、そこから流下したものと思われます。 左右幅は約14cmです。

青玉石化した箇所を研磨した、「紫雲石系の化け石」です


4.鍛冶屋トンネル付近の沢で見つけた 「糸掛石」 (糸巻石とも言う)
 この石は、網目状を成す葉片状の石英脈が突出し、白色系のチャートと思われる母岩は、全てボロボロに腐植土(黒ボク)化していたので、これを全部抉り落とした処、きれいな糸掛石になりました。 現地性の沢落石ですが、山肌の風化帯由来の土中石(どちゅうせき)になります。 表面の黄色は自色では無く、水酸化鉄による汚れがへばり付いているもので、本来は白色です。 左右幅は約12cmです。

沢落ちの土中石の風化土を抉り落とした、「糸掛石」です


 新年早々、水石の探石三昧で正月を堪能し、早くも下旬となった。 暦の上での20日の「大寒」が過ぎたとたん、南岸低気圧が発達しながら四国沖から遠州灘を通過した事もあって、22日の月曜日は伊勢市内も一日中大雪となった。 翌朝には路面の雪は殆ど融けていたものの、日陰には積雪が残り、23日以降もずっと寒気に覆われ、例年に無い程の底冷えの厳しい 「おお寒い日々」 が続いている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢志摩 ~ 奥伊勢地方の「紋様石」(もんようせき) あれこれ

2017年05月03日 | 石のはなし

紫雲石の研磨面に露われた、夜景のような紋様~一之瀬川産


砂質岩表面の残存石英脈が示す、女性の紋様~藤川産

 伊勢志摩から奥伊勢地方(度会郡内と旧多気郡宮川村)にかけては、県内屈指の水石の産地でもある。
 既に、このブログで紹介したように、三重県を代表する銘石「鎧石」をはじめ、昭和年代の半ば頃より、伊勢古谷石や七華石、紫雲石、龍眼石、梅林石、五色石など、数々の名石を世に出して来ているが、支流を含む宮川水系とその流域が、西南日本外帯地質区の三波川変成帯~秩父累帯に属し、結晶片岩類や石灰岩の他、中・古生層を構成する各種の堆積岩が豊富に産する事による。
漂礫の表面に偶然に浮き出た「蝶の紋様」


 水石には、山水景石や形象石、色彩石などと共に、「紋様石」という石がある。石面に花模様や樹木等の植物、鳥、獣、魚類、昆虫などの動物、人物の姿や顔、地物(じぶつ)や建物、船舶、風景などの形姿が、紋様となって表れた自然石である。


岐阜県根尾谷産の銘石「菊花石

 その最もたる銘石は、「菊花石」と「梅花石」であろう。菊花石は、輝緑凝灰岩などに含まれる、方解石などの放射束球顆状の鉱物の破断面が、正に菊の花が開いたように岩石中に露われた紋様石である。
 梅花石は、石灰岩などに含まれる、ヘテロクリニディ属のウミユリの化石の断片である。


岩手県道又産の銘石「菊寿石」~別名、黄金菊花石とも称した(放射束針状の鉱物は、頑火輝石である)


 伊勢志摩~奥伊勢地方では、同質の岩石はあっても、これらの紋様石は産出を見ない。類似品に放射束針状の霰石や、方解石の結晶粒の集形脈が、研磨によって花柄模様のように浮き出た、擬似梅花石があるぐらいである。


紫雲石の研磨面に露われた、方解石の「白花の紋様」~彦山川産


 当地方の紋様石の代表は、かつて「宮川梅林」とか「宮川桜」と呼称した水石であるが、最近になって、栗原鉱山跡の珪酸マンガン鉱や炭酸マンガン鉱の研磨石の中には、錦蛇の模様ような「蛇の目風の紋様」を呈する、かなりきれいな鉱石がある事がわかった。

栗原鉱山産のマンガン鉱石を研磨して出現した、「花柄の紋様石」


 紋様石には、岩石中に点在する杏仁状の方解石粒などや、斑晶を成す鉱物質、さらに堆積岩に見られる特殊な堆積構造や、鉱化作用、変形、変質、圧砕などよって二次的に生じた紋様等、最初から岩石中に含まれていて必然的に露われたものと、風化、溶食(溶解侵食)、温泉水などの染込み、海水による塩かぶれなど、二次的に生じた模様が、偶然に石の表面に露われた紋様石がある。
 後者は、殆どが唯一無二の産出品である。

小菊のような紋様を成す、半深成岩の研磨石~一之瀬川の転石


 後になったが、タイトルに従って、我輩が当地方を探石する中で見つけた秘蔵の石や、揚石後に研磨によって露われた紋様石を、珍石・奇石も含めて幾つか紹介しよう。

栗原鉱山産の桜マンガン石(左)と、白花の浮き出た南伊勢町河内産の紫雲石(右)


 1.梅林石~岩石は主に杏仁状輝緑凝灰岩であり、宮川本流の他、支流の一之瀬川、藤川、横輪川など、伊勢市の南部から奥伊勢の各地に産する。

当地方に多産する「梅林石の研磨石」~一之瀬川産」


 2.花柄模様の浮き出た紫雲石~伊勢市横輪町から南伊勢町の伊勢路川上流にかけてと、南伊勢町(旧、南島町)河内の採石場の他、彦山川や藤川の上流にも希に産する。


溶食を受けてサバ花状になった、紫雲石中の方解石脈~藤川の源流付近産


 3.志摩の海岸産の稲妻模様の浮き出た紋様石~志摩市大王町名田の大野浜などに産する階段状の層内断層を伴う現地性の漂礫で、珪質岩(チャート)や泥質岩(主に頁岩)のほか、砂質岩(砂岩・硬砂岩)や葉層を挟む互層岩にも見られる。

稲妻模様の浮き出た、志摩の海岸の漂礫~名田の大野浜産

艦船のような模様の浮き出た、志摩の海岸の漂礫~名田の大野浜産


 4.栗原鉱山跡産の「蛇の目錦石」(仮称)・他~珪酸マンガン鉱や炭酸マンガン鉱の研磨石に見られる、錦蛇の模様のような、蛇の目模様の紋様石である。マンガン鉱物の生成に起因した、複数の鉱物の共出した集合体である。


最近見出した、栗原鉱山産の研摩した「蛇の目錦石」


栗原鉱山産の研磨した「桜マンガン石」


 5.偶然に生じた紋様石~転石を成す角閃岩などの表面に、曹長石等の溶食残脈が残存し、偶然に紋様となったもので、五十鈴川の川原や横輪川の下流によく見つかる。


角閃岩表面の残存曹長石脈が示す、特異な紋様~五十鈴川産


角閃岩表面の残存曹長石脈が示す、「乙女の祈り像」~横輪川産


 他に、宮川の川原では、石英脈の一部が紋様を示すものや、チャート中の分泌石英質脈の筋模様等が、転石の表面に露われ、いろんな紋様を呈する石が産する。

赤色チャートの転石に露われた、樹枝状の珊瑚模様~一之瀬川上流産


白チャートの破れ目に皮膜を成す、動物模様のアロフェン?~一之瀬川産


方解石の筋脈の綺麗な「紫雲石の研磨石」~彦山川産
アルファベットの「文字石」~左のV字模様は五十鈴川産の転石、右のWは小萩川産の転石片

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・日本各地の「石のみやげ物工芸品」

2017年03月25日 | 石のはなし

国産翡翠のリング(指輪)~ 新潟県糸魚川市の観光土産品

 かつて 2015年の春に、「石を使った観光地の土産物品」(バックナンバー 2015年5月18日 参照 )を、そして2016年の春に、『日本各地の観光記念の玉石細工の「土産物工芸品」』(バックナンバー 2016年5月10日 参照 )を、それぞれ書いた。
 その後も、折あるごとに、わが国の観光地などで発売されている「石を使ったみやげ物工芸品」や、「石細工の実用品」等を調べてきた。
 多分、北海道内の各地や沖縄等の遠方に行けば、他にもいろんな物がたくさんあるだろうし、土産物の中には、時代と共に廃れていった、あまり知られていない石製のレトロ品なども、全国各地には種々と残存している事と思う。


溶岩を用いた置物 ~ 鹿児島県・桜島観光記念の土産物品


 又、戦前の一時期にしろ、日本が満州国を統治していた時代には、玉石類の他、石炭やジェット(石化した硬質の黒炭)などを使った、中国工芸ならではの精巧な大陸みやげの「石細工品」も、内地(日本国内)にかなり搬入されていた事と思う。


小浜市(福井県)で売られている瑪瑙の原石と工芸品の研摩玉
北海道土産の赤瑪瑙製のパイプ
 その後入手した「石のみやげ物工芸品」等も幾つかあるので、前回の補稿として再度取り上げてみた次第だ。
 ちなみに、我が三重県には、貝細工や貝類を用いた工芸品、真珠製品等はたくさんあっても、地元産出の石の製品となると、工芸品の類(たぐい)としては、熊野地方の那智黒石ぐらいで、それ以外にはやはり熊野地方の御浜小石(みはまこいし)を使った観光みやげの置物品等があるにすぎない。


秋芳洞(山口県)の観光土産品 ~ 大理石製のこけしの置物


 現在も、国内の著名な観光地等でよく見かける石の製品をあげると、秋芳洞(山口県)など観光鍾乳洞のある地方では、鍾乳石の置物の他、石灰岩(大理石)のミニチュア石灯籠や大理石のコケシなどがあり、北海道や小浜(福井県)などかつての瑪瑙の産地では、瑪瑙細工の工芸品が作られ続けている。さらに富士山や桜島(鹿児島県)などの観光火山では、溶岩を用いた置物などがあり、観光地となっている各地の温泉郷では、みやげ物用の湯ノ花(沈殿硫黄)や軽石を店頭に並べている店がある。

研摩製品の小型のアンモナイト ~ 北海道特産の化石の土産物品

 その他、特殊な鉱物や岩石の著名な産地では、次のものがよく知られている。

 滑石細工の置物(埼玉県の長瀞)、翡翠のアクセサリー・他(新潟県糸魚川市)、琥珀の装飾品・他(岩手県久慈市)、水晶細工・他(山梨県の昇仙峡など)、碧玉製の勾玉・他(島根県の玉造温泉など)、錦石のストラップ・他(青森県青森市など)、梅花石の入った石灰岩の工芸品(福岡県門司市)、菊花石の入った工芸品(岐阜県の揖斐地方など)、アンモナイトの飾り物品(北海道)、砂金入りカプセルのストラップ(北海道の浜頓別)、黒曜石の置物(北海道の十勝地方など)


全国的な石製の土産物品 ~ 滑石製の石灯籠のミニチュアとコケシ


 昭和年代には、観光スポットでもあった各地の大規模鉱山では、みやげ物用に鉱石や鉱物標本を販売していた事があるが、今はマインランド(鉱山遊園地)となった、ごく限られた観光地と化した鉱山跡の施設で僅かに見られるに過ぎない。
 ちなみに、鉱物標本等を展示する「石の博物館」や「地球科学をテーマとした博物館」などに行けば、国外産の美・貴石を中心とした「石のみやげ物品」がかなり販売されています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑感・水石誌 ~ 趣味の水石から三重県の銘石まで

2017年01月16日 | 石のはなし

伊勢市南方産の、山水景を成す「伊勢古谷石」~ 石の左右幅約26cm

 鉱物趣味と並行して、書物による水石の鑑賞から始まり、水石関係の書籍の探書・収集と、地元中心の探石にとり憑かれて数十年、伊勢志摩から奥伊勢地方にかけて跋渉した山野の行跡を振り返りながら、今は愛石コレクションの再鑑賞と整理に追われている。

 その間、採集した鉱物標本は 1,000点を超え、揚石した大小の水石も数百点にのぼる。特別な愛石や二度と見つからないであろう名石は残し、鉱物標本と共にヤフーのオークション等にも出品し、徐々に放出処分をしている次第だ。
 しかし、今でも絶好の日和となると、体がフィールドへとムズムズし、つい川歩きなどに出てしまい、時間の経つのを惜しむ間も無く、唯我独歩の「石の世界」に浸り込んでしまう。

藤川産の銘石「七華石」の研磨石 ~ 石の左右幅約11cm


 さて、水石趣味者の人口は、昨今は少しずつ増えていると言うが、昭和40年代に全国的に広まった「石ブーム」とは程遠いのが現状と言える。
 敗戦後の日本の国勢が復活し、経済活動が徐々に脈動し始め、国民生活が落ち着きを取り戻し始めると、食う為だけの「生産活動」や日々の生活に追われる「その日暮らし」から脱却して、少しずつゆとりを生み出し始めたのが、昭和30年前後である。
 それまでの新聞・雑誌・ラジオ放送に加えて、マス・メディアにテレビジョンが登場し、モノクロのテレビ放送が開始され、電化製品が一般家庭まで浸透し始めた時代である。

「スライスカットした、一之瀬川産の「梅林石」の石板~ 左右幅約14.5cm


 隠居したお歳寄り達の「盆栽いじり」に加えて、かつては茶の湯の世界や、一部の文人墨客、政・財界人らの高尚なたしなみでもあった「水石の鑑賞」が、やがて一般人にも広まってゆくのだが、その趣味のはしりは、村田憲司・圭司 父子らの手によって出版された、盆栽・水石趣味者向けの雑誌や著書が、地方にも出回り出した昭和30代の半ばと言える。

 三重県においても、その影響を受けてか、昭和30年代の後半になると、各都市部に水石の同好会等が出来て、水石や庭石を生業とする業者も急増し始めた。
 全国的な大ブームとなった昭和40年代の当初から半ばにかけては、各地から銘石や名石が続々と世に出され、「水石成金」や一攫千金狙いの「盗掘者」や「盗石者」も後を絶たなかった。

三重県を代表する銘石「那智黒石の遠山石」~ 石の左右幅約28.5cm


 三重県においては、古くは江戸時代の木内石亭の著書「雲根志」に、幾つかの石の類(たぐい)を見るが、さらに古くから産出が知られていた銘石は、まず熊野地方原産の「那智黒石」であろう。他の書物にも幾つかの知られざる石名(せきめい)を見るが、その後、それらの石の類が銘石や名石として世に出たものは無い。

 明治の初期に出版された古文書に「三重縣鑛物誌 全」(明治14年2月刊行)があるが、この中に記されている水石らしいものは、

 ・ イタイシ(板石=伊勢青石で、緑色片岩に相当。度会郡二見町江村 産)
 ・ ボンセキ(盆石?。英虞郡片田村・答志郡菅島村、他 ~ 岩石種は不詳)
 ・ ヘゲイシ(変化〔ヘンゲ〕石の略?、又は「剥げ石」の意か。
   度会郡山田宇治舘町字島路山 ~ 岩石種は不詳)
 ・ ヨロヒイシ(鎧石。多気郡鳶?谷村字滝廣 ~ 岩石種は不詳)
 ・ ブドウセキ(葡萄石=蛇紋岩の古名。度会郡朝熊村字永船・宇治舘町字下舘)
 ・ コウコクセキ(光黒石。度会郡崎村字苅子 ~ 岩石・鉱物種は不詳)
 ・ アヲイシ(青石?。多気郡薗村字桂山 ~「花崗岩ナリ」とある。
   他に複数記載がある他産地のものは、岩石種不詳)
 ・ ヒウチイシ(火打石・燧石=青白~赤白チャート。
   度会郡火打石村・英虞郡立神村叶小路・答志郡河内村字七石山谷、他)
 ・ スイコウセキ(垂虹石。「英虞郡船越村石海岸ニ産ス」とある ~ 岩石種は不詳)

である。正式な岩石の種名などは、当時の説明(記述)があるものもあるが、殆どが不詳のままである。


藤川産の銘石「赤鎧石の小物水石」~ 石の高さ約9.5cm


 昭和の石ブームの頃に、一気に世に出された三重県下の名石(銘石)は、度会郡七保村(現 大紀町)から大内山村(現 大紀町)、及び度会郡宮川村(現 大台町)にかけてが原産地の、「鎧石」(当時は、赤鎧・白鎧・青鎧・黒鎧など種々あった)と「七華石」(しちかせき~当時、旧七保村の地名にちなんで命名の色彩石)、伊勢古谷石、紫雲石、梅林石、宮川桜(宮川上流産の紋様石の一種)、宮川五色(石灰岩~チャート系の五色石)と、いわゆる「伊勢石」(いせいし)である。


昭和40年代に入手の、銘石「伊勢古谷石の化け石」~ 石の左右幅約12.5cm


 伊勢石としての筆頭は、何と言っても「伊勢古谷石」であろう。その後、他に「伊勢青石」や「伊勢赤石」「朝熊石」「神代石」なども加わり、とにかく伊勢地方の石なら「五十鈴川石」だろうが「宮川石」だろうが、何でもありであった。


 他の名石としては、早期より揖斐川石に似た各種の「員弁川石」や、和歌山県原産の著名な「古谷石」に酷似した「熊野化け石」が著名であった。これらの銘石としての価値観は、現在も全く変わっていない。
鎧状の遠山形を成す「員弁川石」~ 石の左右幅約23.5cm

「員弁川石」の小形の遠山石 ~ 石の左右幅約16.5cm

「員弁川石」の小形の滝石 ~ 石の左右幅約14.5cm


 最後に、水石の参考文献であるが、三重県については、各地の同好会主催の「水石展」の開催時などに出された、写真図集や案内冊子の部類しか見当らない。

 伊勢志摩から奥伊勢地方の水石については、かつて筆者がプリントしたパソコン打ちの「伊勢・志摩・度会水石誌」(2009年・全22頁)があるに過ぎない。


近年になってに発見された「五里山・化け蒼石」(仮称)~ 石の左右幅約20cm

  ◆  上載写真の水石の殆どは、筆者(伊勢すずめ)の自採石の所蔵品です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本各地の観光記念の玉石細工の「土産物工芸品」

2016年05月10日 | 石のはなし

富士山登山記念の「滑石製の土産物品」~ 昭和年代半ば頃の製品、左右幅約9.5cm」

 以前、このブログに、石で製作された土産物品について少し書いてみた事があるが(バックナンバー「石を使った観光地の土産物品」~ 2015年5月18日 参照)、その後も色々と知見を得る機会があり、再度、少しだけ紹介をする事にした。精巧な寿山石(中国の蝋石)の「楼閣山水細密彫」~ 左右幅約25.5cm
 宝飾品以外の玉石細工の工芸品をみると、材料となる原石の豊富さにおいても、有史以来培われてきた加工技術においても、多彩で精巧な中国の玉石(ぎょくせき)製品にはかなわない。


中国の蝋石細工の「三猿」~ 高さ5c~5.5m


 わが国においては、各地の遺跡や古墳から翡翠や碧玉(ジャスパー)、瑪瑙、玉髄、
赤玉石(レッド・ジャスパー)、水晶、琥珀と言った玉石類を使った勾玉や菅玉など、数々の宝飾品の遺物が出土していて、古代の石文化の繁栄とその頃の流通を垣間見るのだが、その後は中国文化の移入によって国産品が途絶えてしまい、石といえば巷の巨岩や怪石の崇拝、祭・祈祷になっていった。

 平安時代の遣唐使によって、宝飾品や石薬と共に、鑑賞石(水石)や盆石などもわが国に伝来し、公家や大名、神官や僧侶、一部の文人・墨客、茶人らの「茶の湯の文化」と相まって、少しは水石を鑑賞し愛蔵する向きはあったが、なかなか庶民には広まらなかった。
那智黒石製の「工芸灰皿」~ 横幅は大が約14cm、小が約10cm

 爾来、庶民が鉱物や岩石を身近な石製品として活用したのは、石筆石(滑石)やきらら石(白雲母)、硯石、砥石、燧石(火打石)、磨き砂ぐらいであった。むしろ、わが国の石の文化は、工芸品の発達ではなく、庶民にとっては「謂れ石」や「名物岩」などの信仰であり、民俗学的な色彩の伝承文化であった。

 明治期以来、西洋文化が怒涛となって渡来する中、舶来物の宝飾品が女性を着飾り、わが国では国産品には見られない中国製の「翡翠の鼻煙壺」~ 横幅約5cm玉石に代わって、真珠養殖の技術が三重県を発祥に全国に広まり、目覚しい躍進を遂げるに至っただけである。(但し、真珠は生体鉱物ではあるが、原石(石材)ではない。)
 玉石工芸の材料となる原石等の豊富な地方によっては、観光土産の工芸品や細工品が細々とあったようだが、各地のいろんな製品が一般に知れ渡り出回るのは、ずっと後の昭和時代の半ば以降である。


 日本列島は北から南まで、セメント等の原料鉱石となる石灰岩だけは豊富であり、唯一自給自足の出来る地下資源である。各地に分布するカルスト地帯には、現在も大小の石灰鉱山があり、地下には多くの鍾乳洞が発達している。この中の幾つかは、観光鍾乳洞として開発され、その地方きっての名所となり、四季を問わず多くの団体観光客や行楽客が訪れている。
 その観光記念の土産物品を見ると、実に多くの玉石細工の工芸品があり、地元産の石灰岩や大理石、近辺の無名鍾乳洞から採石した鍾乳石などが、外来の石材(原石)と共にかなり使用されている。
北海道土産の「十勝石」(黒曜石)のペーパー・ウェイト ~ 左の長径約6.5cm
青森土産の「青函トンネル記念石」~ 石の横幅約6.5cm


栃木県大谷町の大谷資料館謹製の「大谷石の印鑑立」~ 横幅約8cm


 以上の他、観光火山や温泉、渓谷、名勝滝、山岳地、海岸の観光地形や洞窟、観光化された遺跡公園や古墳公園、鉱山跡の遊園地(マインランド)、岩石の著名な採石場跡やその記念館(玄武洞~兵庫県、大谷資料館~栃木県、他)などで、玉石細工の土産物工芸品を見かけるが、各地の自然史博物館等においても、岩石・鉱物の標本類と共に、ローカル色のある石の土産物品が販売されている。


閉山間際に紀州鉱山の購買部で販売していた「紀州の岩石と鉱物」~ 内箱の横幅約20cm

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢志摩~奥伊勢地方産出の玉石類と美・貴石

2016年05月04日 | 石のはなし

彦山川産の碧玉脈(研磨した美石)~ 左右幅約10cm

彦山川産の碧玉脈(研磨した加工石)~ 長さ約14cm


 伊勢志摩~奥伊勢地方から産るす玉石類の原石としては、まず、中央構造線すぐ外帯の三波川変成帯の結晶片岩類や、このゾーンに貫入した塩基性深成火成岩類(蛇紋岩など)に伴う炭酸塩鉱脈中の玉髄~玉髄質石英、蛋白石と、優白質珪酸塩脈状体等に伴う硬玉(翡翠輝石)、軟玉、硬蛇紋石、含透輝石曹長岩等がある。
 しかし、硬玉はまず肉眼では識別困難で、X線分析レベルの産出鉱物であるし、他の鉱物もとても量産とまではいかない。

朝熊山産の硬蛇紋石 ~ 長さ約5cm
一之瀬川転石の碧玉礫 ~ 左右幅約5cm


 この他には、秩父層群などに胚胎するマンガン鉱床等の母岩や脈石として産する、鉄石英や瑪瑙質石英、水晶、碧玉、フリント質チャート(燧石)があるが、これらの中で量産し、古代より利用されたのは、石器(鏃やナイフ型石器など)や燧石として用いられたフリント質チャートと蛇紋石(蛇紋岩の石斧、他)だけである。


度会町川上産の「フリント質チャート」~ 左右幅約8cm

旧・南島町河内産の「玉髄質チャート」~ 左右幅約12cm


 むろん、装飾用の玉石類としての利用例は無く、当地方の縄文・弥生遺跡や古墳などから出土する装飾品は、全て県内・外からの搬来品である。

五十鈴川転石の「瑪瑙質化した鉄石英礫」~ 左右幅約9cm

高麗広産、赤チャート中の「瑪瑙~玉髄質石英」~ 左右幅約4cm


 さらに、日本ではなじみが薄いが、石炭層に伴う珪化木やジェット(黒玉)も、西洋や中国では玉石類として扱われてきた原石である。当地方では、かつて伊勢市小俣町西方の大仏山の第三紀層から、琥珀と共に少量産した事があるに過ぎない。
 しかし、最近になって、一之瀬川の転石の中に、炭化土や石墨を含む頁岩~粘板岩があり、その中に無煙炭やジェットがある事がわかった。おそらく古生層(秩父層群)由来のものであろうと思われる。

一之瀬川転石中の「無煙炭とジェット」~ 左右幅約13cm


 美・貴石の原石となるような鉱物で、当地方から少し量産するのは、各地のマンガン鉱山の跡などから産する菱マンガン鉱とバラ輝石ぐらいであろう。花崗岩地帯に行けば、有り余るほど産する水晶や石榴石類も、当地方では小粒のものしか産しない。


栗原鉱山跡産の「インカ・ローズ」のルース ~ 長径約6cm


 美・貴石の「インカ・ローズ」の原石としてカット出来そうなものは、栗原鉱山跡産の菱マンガン鉱とバラ輝石だけであろう。先にこのブログで紹介した通り、当地の鉱石は緻密な塊鉱であるが、実にきれいなピンク色を呈している。

 石榴石については、蛇紋岩地帯から灰礬石榴石や含クロム灰礬石榴石、灰鉄石榴石、含水石榴石等が産するが、いずれも微晶粒であったり、緻密な粒塊等で、とても原石とはならない。只、鳥羽市菅島や白木産の含クロム灰礬石榴石は、米粒程度の微晶であるが、緑色でキラキラとガラス光沢を放ち大変きれいである。

 以上の他、これも既にブログで紹介したと思うが、その表面が潮かぶれで瑪瑙質化したフリント質チャートや鉄石英の小塊が、志摩地方の砂利浜に混じり、漂礫として打ちあがっている。いずれも磯波よって淘汰され、自然に磨かれたきれいな小石であり、根付ぐらいにはなりそうである。

一之瀬川産の「碧玉のルース」~ 長径約5cm


一之瀬川産の「黄色玉石を含むジャスパーのルース」~ 長径約6cm
 

 今回は、我輩がこれまでに採集した当地方の玉石類鉱物や岩石標本の中から、特にきれいな物を選び紹介した次第である。

彦山川産の碧玉脈入りの化け鎧石(研磨水石)~ 高さ約11cm

旧・南島町河内産の「赤玉石」~ 高さ約10cm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢志摩 ~ 奥伊勢地方の「化け石」雑感

2015年11月15日 | 石のはなし

和歌山県産の「熊野化け石」(海岸の海石。高さ約14㎝)

 水石の中に「化け石」(ばけいし)と言うのがある。特に「熊野化け石」は、紀州の「古谷石」に次ぐ銘石として、全国的によく知られている。この水石の原産地は、主に熊野川右岸の上流(和歌山県)で、熊野本宮のあるあたり一帯の支流の谷間である。石質は、古谷石類似の土中石(どちゅうせき)の芯出し石で、概ね珪質頁岩や粘板岩、泥質石灰岩等のようである。
 形状は、特に決まっておらず、山水景石や形象石(姿石)の他、亀甲石などもあり、その多くはいわゆる「奇石」として珍重されている。
 現在では、和歌山県下の海岸の海石(うみいし)や、三重県側の熊野川流域支流の河谷(かこく)等から産する類似品についても、「熊野化け石」と呼称しているようである。
化け石ぎみの「伊勢古谷石」の名石 ~ 彦山川産、左右幅約24㎝


 さて、伊勢志摩から奥伊勢にかけての、中央構造線外帯の急峻な山地や渓流(殆どが秩父累帯)等からも、形状や色調の酷似した名石が産し、当地では「伊勢古谷石」と称しているが、その殆どが山地の土中石(芯出し石)か、渓流等に崩落した川流れの転石である。山水景を呈するものもあれば、様々な形象石(姿石)や奇石の類も少なくない。原岩は、頁岩の他、チョコレート色の輝緑凝灰岩や赤色粘板岩、泥質石灰岩などである。
 これらも「熊野化け石」風に言うならば、「伊勢石の化け石」である。
旧・紀勢町産の伊勢古谷石の「化け石」~ 左右幅約15㎝


 そもそも「化け石」の「化け(る)」とは、本来「風化作用」の事であり、「破砕」「分解」「溶食」(ようしょく。溶解侵食の事)「変質」「変形」など、地質時代を介しての地質作用によって生じる岩石の土壌化であり、風化途上における地表及び地表付近の岩石の「特殊な石」(鑑賞石=水石)への変化を意味する。
 古生物が「石化」(せきか)して「化石」(かせき)となる事は周知の通りであるが、これは地質学的には「続成作用」(ぞくせいさよう)の範疇であり、水石で言う「化け石」の変化とは区別される。
( 例外として、「珪化木」だけは、水石として鑑賞出来る形状・石質であれば、「化け石」の部類となるようである )

石灰岩の奇石 =「化け石」~ 小萩川産、左右幅約13㎝


 特に、水石用語の「奇石」や「珍石」と「化け石」との厳密な区別は無く、字の如く解釈をすれば、奇石は見た目が「奇異な形状の石」であり、珍石はやはり見た目が「珍しい形・質の石」となる。付け加えるならば、奇石は石質よりも形状の妙味をよりどころとし、珍石は形状と石質を総合して言い表わしているように思う。
「化け石」の呼称は、おそらく「熊野化け石」にちなんだものであろうが、本来の意味は、山地の原岩や川流れの転石の形状が自然界において、さらに何らかの地質作用や溶食作用を蒙った結果、特異な形姿へと変化した水石を指すのであろう。
伊勢市高麗広産の「化け石」~ かつて「神代石」とも呼ばれていた奇石である。左右幅約15㎝


 一例をあげると、例えば当地方の「紫雲石」の多くは、岩石種が堆積岩の「輝緑凝灰岩」であり、節理や破れ目に貫入した方解石などの筋脈や、石灰岩レンズを挟雑するタイプのこの原岩が、岩盤から崩壊して山土(やまつち)まみれの遊離した風化母材となり、さらに腐植による変質や加水分解、酸化分解などによって、より一層風化作用を受ける。
 その後、手ごろなサイズとなったこの岩塊が、谷間の渓流や海食崖直下の荒磯などに崩落し、転石となって水流等による差別的な溶食作用を経ると、名石の「伊勢古谷石」へと化けてしまう。
 これが奇形を呈する水石(形象石)ならば、「奇石」=「化け石」となる次第だ。

度会町小萩産の伊勢古谷石の「化け石」」= 奇石でもある。高さ約23㎝  一般に山水景石や奇石、化け石は、殆どが堆積岩で、砂質岩(砂岩、硬砂岩)や泥質岩(シルト岩、泥岩、頁岩、粘板岩)、凝灰質岩、輝緑凝灰岩、泥質石灰岩、珪質頁岩、石灰角礫岩、チャート、及びこれらの混成堆積岩やそれらの互層岩等に多く見られる。
 そもそも水石のルーツは、山地や川床、海岸などの岩盤を構成する地層であり、山地だと地表から地下に向かって、表土(腐植を含む土層)、風化帯(主に岩盤から遊離した角礫と風化土の混在した漸移層)、風化母材(巨礫や岩塊のみのゾーン)、母岩層(未風化の岩盤・地層)となっている。
 母材のゾーンから地表までの風化帯の厚さは、その地方の地形や地質、水系、気候、植生などによって左右され、一様では無く一定していない。又、風化作用によって生じる土壌も、砂勝ちのものから粘土質のものまで千差万別である。
芯だけになった川流れの「伊勢古谷石」~ 小萩川産。左右幅約18㎝


 風化残渣の表皮殻などをまとった山石(やまいし。土中石)の「化け石」は、一種の「腐れ角礫」(くされかくれき。腐蝕岩)であり、土砂崩れ地帯の崖錐(がいすい)やガレ谷に露出する風化帯に集中している。たとえそれが腐植まみれの見栄えのしない汚らしい真っ黒な塊状岩であっても、丹念に芯出しをすればいっぱしの「化け石」となるケースが少なくない。
 又、現地性の谷落石や川流れの転石の場合は、自然に風化岩の芯がむき出し状態になり、正に「化け石」そのものとなって揚石される事もある。海岸の荒磯の海石についても、この事は当てはまる。
「古谷石」の化け石( = 奇石、銘:唐獅子)~ 和歌山県産の名石。左右幅約18㎝


 最後に付け加えると、龍眼石やさざれ石など、石灰質を介在させる川石などには、一旦程よい水石形となったものが、さらに川泥や川苔の影響を受け、又、差別的な溶食作用が過度に進行した結果、二次的に形姿や色合いを変えたような化け石もある。

 今回解説を試みた当地方の「化け石」は、「奇石」や「珍石」も含めて、水石として鑑賞に値するレベルの変形岩、変質岩、変色岩を指し、角礫~亜角礫から亜円礫に至る途上の「奇形の水石」、と言えるのではないかと思う次第である。

チャート系五色石の「化け石」~ 伊勢市南方産。左右幅約21㎝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする