アバウトなつぶやき

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MIHO MUSEUM バーネット・ニューマン 他

2015年05月14日 | かんしょう
 今週の半ばにMIHO MUSEUMに行ってきました。
 ここはいつ行っても施設のすばらしさに感心します。
 雨だったので傘が必要かと思ったのですが、ここはいたるところに傘が設置してあるし、電気自動車も走っているので困ることはありませんでした。傘も係の人が拭きあげているので気持ちよく使わせていただけます。

 今回は バーネット・ニューマン―十字架の道行き― が目当てです。
 シロウタが見つけてきた展覧会だったのでなんの下調べもなく行ったのですが、想像以上にすばらしい作品でした。

 
 抽象絵画は、嫌いではないけれど私には意味を読み取るのが難しい作品が多く、色彩やバランスを楽しむ事しかできない場合も多いと感じています。(それは個人の感性の問題なので、抽象表現に責任がないのは明白)
 しかし、この作品は14作品でひとつの作品をなしているためストーリー性が強く、また訴える力もかなり強い。そのため意味を読み取るどころかどのような意味にも解釈できて、すぐに感想をまとめることができませんでした。
 主題が何であるかを取り違えていてもそれぞれのストーリーを見つける事ができるし、心と向き合う自問自答の作業に引き込まれてしまいます。「十字架の道行き」が何であるかを後で知り、「あぁ、そういう風に描かれていても成立するようになっているんだ。いや、そっちが本質の作品なのか。」と作品研究の目線で見るとまた違った見え方をします。



 本来の「十字架の道行き」がどういうものなのか。
 カトリック教会を理解している人、キリスト教絵画に精通している人ならば言うべきもない主題のようですが、なじみのない私にとってはまずこれを理解するところから始まります。
 イエス・キリストの裁判と処刑における苦しみにかかる言葉として「受難」がありますが、カトリック教会ではその裁判から処刑までの過程を14場面にわたって描いた絵画やレリーフが聖堂内に飾られるそうです。それは「十字架の道行き」と呼ばれ、イエスの苦しみを預かり祈りをささげるためのモチーフとなり得ているようです。
参考HP→Laudate祈りのひととき「十字架の道行(3)聖地をたどりながら

 この作品を場面として描かれていると受け止めるのが素直な解釈なのかもしれません。
 しかし、私は作品にある背景を知らなかったのでそのようには受け止めずに、まずは神の世界(または霊的な世界)と人間の世界の狭間にある問いと、その答えを見つけ出すまでのプロセスとして受け止めました。
 それはつまり、宗教を持たないが無神論者というわけではない私にとっては「なぜ世界は在るのか」という問いにも似ています。
 自分自身が若い頃に考えていた「存在」への疑問のようなものと、その答えの出ない考えを自分が生きていきやすいように解釈(または放棄)するにたどり着くまでの悩み。俗っぽい人間として生きていく事が喜びとして受け止められるようになった自分への賛歌。モラトリアムとの決別。
 私にとっては、そんなものを思い出させる作品でした。
 とりあえず、作品の受け止め方は人それぞれだと思うので、間違いと言わないでいてもらえるとありがたいです。
 また、そうやって観る人それぞれの考えを想起させる事が名作と呼ばれる所以ではないかと思うのでした。

 企画展はバーネット・ニューマンだけでなく、曽我蕭白を目玉とする「富士三保図屏風と日本美術の愉悦」展も開催されていました。
こちらは所蔵品がメインの展覧会です。




 この企画展も観たことのない美しいものが多く良かったのですが、ここの美術館、もともと所蔵品がすごいから…。
 メソポタミア文明の部屋なんて紀元前6世紀のピッカピカの金細工とかあるから、それを観た後だと「日本の歴史ってホント最近なんだなぁ」と思っちゃいますね。この企画展観てから常設展を観た方が良かったかも^_^;

 とにかく、企画展も常設展も美術館の佇まいもぜーんぶひっくるめて楽しませていただきました。

 次はなんにも考えずに楽しむ展覧会が良いな。
 国立新美術館で「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」やるからそれが観てぇ。