語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【池大雅】旅する画家--日本の風景を描く

2018年04月23日 | 批評・思想
 大雅は、多くの旅を重ねた画家だった。26歳の時、江戸に遊んだ大雅は、そこから塩竃、松島にまで足を延ばし、その美しい景色に目を奪われる。翌年には北陸地方を遊歴したほか、20歳代後半から30歳にかけて、伊勢や出雲など各地を旅したことが知られている。なかでも、38歳の時に友人の高芙蓉、韓天寿とともに白山・立山・富士山の三霊山を踏破した長途の旅行は特に有名なもので、豊富なスケッチを含む「三岳紀行図屏風」(作品番号111)によってその詳細を知ることができる。そしてこの旅の成果は、「浅間山真景図」(作品番号108)という江戸時代絵画史においても傑出した風景表現へと見事に結晶した。
 大雅の旅は、万巻の書を読み万里の道を行かねば偉大な画家にはなれないという、中国の文人画家の考え方に触発されたものだろう。旅を重ね、自然を肌で感じることこそが、優れた山水画を描くために必要だと考えたのである。旅先で目にした自然の実感にもとづく風景表現(真景図)は、大雅の画業を特徴付ける主要テーマとなっていく。のみならず、40歳代以降に顕著となる広やかな空間表現など、自らの表現様式の確立にも多大な影響を及ぼすことになるのである。

□京都国立博物館、読売新聞社『池大雅 天衣無縫の旅の画家』(読売新聞社、2018)の「第5章 旅する画家--日本の風景を描く」の冒頭を引用

 

 ★池大雅「比叡山真景図」
 

 

【佐藤優】戦争犯罪とテロリズムの区別 ~対テロ(5)~

2018年04月23日 | ●佐藤優
 <なお、ガノール氏は、国家による戦争犯罪とテロリズムとは明確に区別されるべきであると主張する。

  〈もうひとつの疑問は、国家がテロを行うことは可能かという点だ。西側その他の多数の政治家や治安担当者が、テロリズムは意図的に民間人を殺傷することを意味する明確な定義を採用するのを恐れている。ある状況下では自分たちの軍事行動がテロリズムと解釈される恐れがあるからだ。広島と長崎への原爆投下をテロと見なすことができるかもしれない。テロリズムに対する国家のアカウンタビリティの問題について答えると、国家の方が組織よりもモラルが上とは限らないということだ。しかし、国家の違法行為にテロリズムという言葉は必要ない。国際条約では戦時に国家の人間が故意に民間人を殺傷すれば戦争犯罪人となる。戦時以外の場合、人道に対する罪を犯したことになる。逆説的だが、国家には禁じられているが、いまだに組織には禁じられていないこともある。広島と長崎の例は、テロリズムの定義を考えるには適切ではない。これは戦争犯罪として議論されるべ問題だからだ。この観点から見れば、テロリズムの定義は、現在ある国際条約に何かを加えたりするわけではない。国家が守られねばならない戦争法規を定めている倫理規定をテロ組織にもあてはめているだけなのだ。〉(本書70頁) 

 私もこの見解に賛成する。米国による広島、長崎への原爆投下は、戦時国際法に違反する無差別爆撃だ。また、このような大量破壊兵器を使用することは戦争犯罪である。しかし、テロリズムではない。>

□ボアズ・ガノール(佐藤優・監訳、河合洋一郎・訳)『カウンター・テロリズム・パズル 政策決定者への提
言』(並木書房 2018)の冒頭、佐藤優「監訳者のことば--テロリズムに関する実用書兼実務書」の「(5)戦争犯罪とテロリズムの区別」を引用

 【参考】
【佐藤優】テロリズムの定義 ~対テロ(4)~
【佐藤優】政治(国家)指導者の能力 ~対テロ(3)~
【佐藤優】アート(芸術)としてのインテリジェンス ~対テロ(2)~
【佐藤優】ボアズ・ガノール氏との出会い
【佐藤優】「監訳者のことば--テロリズムに関する実用書兼実務書」の目次