語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【片山善博】今も変わらぬ社会の病理 ~福翁自伝~

2016年10月02日 | ●片山善博
 
 <福沢諭吉の幼少期から老後までの経歴を概略した自伝には、当時の様々な政治的事件や社会的事象が取り上げられ、それに対する彼の所見が示されている。それを見ると、150年前も今も日本の政治や役所の体質は変わることなく、そこに潜む病弊もまた同じであることを知り、苦笑させられる。
 蘭学修行に出たいとの願書に、藩の重臣は「前例がない」からダメという。でも「砲術修行と書いたら、済む」と教わり、バカバカしいがそう書いた。
 建前と体裁に拘るお役所の習性は、今に始まったことではなさそうだ。幕府財政が困窮している中で公金の浪費に対する怒りもヒシヒシと伝わってくる。一つ一つが、まるで最近の事象への批評のようで、実に今日的で興味深い。>

□片山善博(慶應義塾大学教授)「今も変わらぬ社会の病理 ~名著:福翁自伝~」(「週刊ダイヤモンド」2016年10月8日号)
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 【参考】
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【片山善博】大切なことに時間を使う ~セネカ『人生の短さについて』~
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【片山善博】参議院選、鳥取島根ほかの「今回の合区は憲法違反」
【片山善博】教育、図書館、議会の力 ~カーネギー自伝~
【片山善博】らの鼎談 違法性がなくても知事の適性がない ~舛添は日本の恥(2)~
【片山善博】&増田寛也&上脇博之 舛添知事は日本の恥だ ~辞任勧告~
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【片山善博】【沖縄】辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード
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【片山善博】JR北海道の安全管理と道州制特区
【政治】地方議会における口利き政治の弊害 ~民主主義の空洞化(3)~
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【社会】教育委員は何をなすべきか ~民意を汲みとる~
【社会】教育委員会は壊すより立て直す方が賢明
【社会】「教員駆け込み退職」と地方自治の不具合
【政治】何事も学ばず、何事も忘れない自民党 ~公共事業~

【戦争】ストレスに伴う知覚の歪み ~選択的聴覚抑制~

2016年10月02日 | 心理
 
 (1)<戦闘中には一連の奇怪な歪みが生じ、周囲の見え方、現実の認識のしかたが変化する。真の意味での意識変容状態に陥るのだ。これは薬物摂取時や睡眠中に起きることに似ている。信じられないことだが、この現象はつい最近まで知られていなかった。戦士たちに尋ねてみればわかったことなのに。近年になってようやく、戦闘経験者に対して正しい質問が投げかけられるようになり、過去5千年にわからなかったことがようやく、この数十年でしだいに明らかになってきた。そしていまでも、日々新たな発見が続いている。
 警察の心理学者ドクター・アレクシス・アートウォールの研究は、知覚の歪みに関する屈指の研究だと私は思う。ドクター・アレクシス・アートウォールとローレン・クリステンセンが集めたデータは、ふたりの共著『致命的武力対決』にまとめられている。軍や法執行機関関係者であれば、ぜひ一読をお勧めしたい。
 ここで注意したいのは、本章【引用者注:第5章(目と耳 --選択的聴覚抑制、音の強化、トンネル視野)】で取りあげる聴覚や視覚の歪みは、人が日常的に体験する正常な歪みとは大きく異なるということだ。ぼんやりしていてなにかを見落とす、聞き落とす、といった経験とはちがうのである。ほかのことに気をとられて見落としたり聞き落としたりするのは、あくまで心理的な現象である。これに対して“トンネル視野”や“選択的聴覚抑制”には、「気をとられる」という心理的な影響だけでなく、目や耳の生物機械学的変化による強力な生理現象が関わっているようだ。この問題についてはまだ研究がじゅうぶんではないが、現在主流の学説では、このような生物機械学的変化が感覚器官に生じるのは、先に述べた血管収縮その他のストレス反応の副作用であると考えられている。>

 (2)本書が引用するところの、ドクター・アレクシス・アートウォール&ローレン・クリステンセン『致命的武力対決』(警察官141人への調査に基づく)によれば、銃撃戦において警官は、
 <●音が小さく聞こえる(選択的聴覚抑制)--85%
  ●音が大きく聞こえる(音の強化)--16% (後略)>
 ここで、面接調査を受けた警察官の85%は音が小さく聞こえる経験をしている。他方、16%は逆に銃声が大きく聞こえた経験(音の強化)をしている。合わせると101%になるが、一度の銃撃で両方を経験した警察官がいるからだ。

 (3)「競技射撃の全国優勝者であり、法執行官のトレーナー、屈指の研究者、そして今日で最も精力的な警察分野のライター」のマサド・アユーブは次のように書き、グロスマンはそれを引用する。
 <これまで見てきたことから考えて、選択的聴覚抑制は(トンネル視野も)だいたいにおいて大脳皮質の知覚の問題だと思います。耳は聞こえ、目は見えていても、生き残るという最大の目標に集中しているため、その目標に無関係と思われる情報を大脳が意識からはじいているのです。>

 (4)<感覚刺激の遮断というこの現象は、しょっちゅう起こっている。この本を読んでいるいま、あなたはたぶん、自分の靴の感覚とかズボンのウェストバンドの感覚を意識していないはずだ。また、冷蔵庫のうなりとか、遠くの車の音といった背景雑音も、すべて聞こえていないだろう。人の脳は、感覚データをたえず無視している。そうでないと処理しきれなくなってパンクしてしまうからだ。
 過大なストレスのかかる状況では、この選択的遮断がさらにエスカレートし、生き残るために必要な感覚以外はすべて遮断される。通常、その必要な感覚とは視覚だが、光量が足りない場合は聴覚の「スイッチ」が入って視覚の「スイッチ」が切られることがある。この場合、銃声は聞こえるが、銃口から火が噴くのは見えにくくなる。
 マサド・アユーブの言うとおり、これにはまちがいなく心理的、認知的要素が関わっている。脳は、目標に無関係と判断したデータを意識からはじいている。そしてその目標とは生き残ることだ。しかし、発砲したあとで耳鳴りがしないということは、内耳において物理的に音が遮断されている可能性も考えられる。聴覚科学分野の研究によれば、まぶたでまぶしい光を遮断できるように、耳にも大きな音を物理的・機械的に遮断する機能があるらしい。この生物機械的な音の遮断は、突然の大音響に反応して1ミリセカンド以内に起きるようである。
 これには、ふたつの現象が関わっている。>
 以下、要約する。この「ふたつの現象」とは、
 (a)特定の音だけが聞こえなくなる。兵舎で仲間のいびきを気にせずに眠れる、とか。
 (b)ごく短時間に大きな音が物理的・機械的に抑制または消去される。そのため、事後に起きるはずの耳鳴りすら起きない。
 (b)は、大きく3種類に分けられる。 
   ①自分の銃声は小さく聞こえるが、同僚の発砲音は耳を聾するほどに聞こえる。ストレスが中程度の時起きる。
   ②すべての音が遮断され、事後に回顧しても何の音も聞いた記憶がない。高ストレス状況で起きる。
   ③銃声はまたく聞こえなくなるが、他の音はすべて聞こえる。これが最も一般的だろう。

 (5)聞こえなくなるのは銃声だけではない。
 致命的武力対決の際に、パトカーのサイレンやその他緊急車両のサイレンがまったく聞こえなかった、という警察官は何人もいる。ある公園警察官は、銃撃戦の最中、頭上でホバリングしているヘリコプターの音が聞こえなかった。
 戦闘中には、大声で話しかけられても聞こえない、ということはよくあることだ。これは小部隊の指揮官たちには以前から理解されていたが、部下に命令を聞かせたり、こちらに目を向けさせるためには、指揮官は部下の正面に立っていなければならない。戦闘中、最も危険な位置に指揮官が立つのは、部下にこちらを向かせ、命令を聞かせるためにはそうするしかないからである。

 (6)すでに述べたような選択的聴覚抑制をⅠ型と呼ぶならば、自分が当たったときには聞こえない選択的聴覚抑制はⅡ型だ。
 アフガニスタンで米空軍の誤爆を受けたカナダ人、対戦車ロケット弾(RPG)を被弾した海軍特殊部隊員、パトカーの運転手席側のドアを開けたとき目と鼻の先でブービートラップが爆発するという経験をした警察官・・・・これらの人々は同じことを言う。その爆発音は聞こえなかった、と。ブービートラップで両足を吹き飛ばされた警察官は、直後に携帯電話で通信司令係に電話を入れたとき、耳鳴りはしなくて問題なく話ができた、と言っている。

□デーブ・グロスマン【注】/ローレン・W・クリステンセン(安原和見訳)『戦争の心理学 -人間における戦闘のメカニズム-』(二見書房、2008)の「第2部 戦闘中の知覚の歪み --意識変容状態」の「第5章 目と耳 --選択的聴覚抑制、音の強化、トンネル視野」
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 【参考】
【心理】動きがスローモーションで見える心理/時間の延長 ~戦争~
【心理】不安から生じる視野狭窄/トンネル視野 ~戦争~

 *

【資料】デーブ・グロスマンに対するインタビュー ~戦場に立つということ~

 戦場に立たされたとき、人の心はどうなってしまうのか。国家の命令とはいえ、人を殺すことに人は耐えられるものか。軍事心理学の専門家で、長く人間の攻撃心について研究してきた元米陸軍士官学校心理学教授、デーブ・グロスマンさんに聞いた。戦争という圧倒的な暴力が、人間にもたらすものとは。

 --戦場で戦うとき、人はどんな感覚に陥るものですか。
 「自分はどこかおかしくなったのか、と思うようなことが起きるのが戦場です。生きるか死ぬかの局面では、異常なまでのストレスから知覚がゆがむことすらある。耳元の大きな銃撃音が聞こえなくなり、動きがスローモーションに見え、視野がトンネルのように狭まる。記憶がすっぽり抜け落ちる人もいます。実戦の経験がないと、わからないでしょうが」

 --殺される恐怖が、激しいストレスになるのですね。
 「殺される恐怖より、むしろ殺すことへの抵抗感です。殺せば、その重い体験を引きずって生きていかねばならない。でも殺さなければ、そいつが戦友を殺し、部隊を滅ぼすかもしれない。殺しても殺さなくても大変なことになる。これを私は『兵士のジレンマ』と呼んでいます」
 「この抵抗感をデータで裏付けたのが米陸軍のマーシャル准将でした。第2次大戦中、日本やドイツで接近戦を体験した米兵に『いつ』『何を』撃ったのかと聞いて回った。驚いたことに、わざと当て損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いて、姿の見える敵に発砲していた小銃手は、わずか15~20%でした。いざという瞬間、事実上の良心的兵役拒否者が続出していたのです」

 --なぜでしょう。
 「同種殺しへの抵抗感からです。それが人間の本能なのです。多くは至近距離で人を殺せるようには生まれついていない。それに文明社会では幼いころから、命を奪うことは恐ろしいことだと教わって育ちますから」
 「発砲率の低さは軍にとって衝撃的で、訓練を見直す転機となりました。まず射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる。発砲率は朝鮮戦争で50~55%、ベトナム戦争で95%前後に上がりました」
     ■     ■
 --訓練のやり方次第で、人は変えられるということですか。
 「その通り。戦場の革命です。心身を追い込む訓練でストレス耐性をつけ、心理的課題もあらかじめ解決しておく。現代の訓練をもってすれば、我々は戦場において驚くほどの優越性を得ることができます。敵を100人倒し、かつ我々の犠牲はゼロというような圧倒的な戦いもできるのです」
 「ただし、無差別殺人者を養成しているわけではない。上官の命令に従い、一定のルールのもとで殺人の任務を遂行するのですから。この違いは重要です。実際、イラクやアフガニスタン戦争の帰還兵たちが平時に殺人を犯す比率は、戦争に参加しなかった同世代の若者に比べてはるかに低い」

 --技術進歩で戦争の形が変わり、殺人への抵抗感が薄れている面もあるのでは?
 「ドローンを飛ばし、遠隔操作で攻撃するテレビゲーム型の戦闘が戦争の性格を変えたのは確かです。人は敵との間に距離があり、機械が介在するとき、殺人への抵抗感が著しく低下しますから」
 「しかし接近戦は、私の感覚ではむしろ増えています。いま最大の敵であるテロリストたちは、正面から火砲で攻撃なんかしてこない。我々の技術を乗り越え、こっそり近づき、即席爆弾を爆破させます。最前線の対テロ戦争は、とても近い戦いなのです」

 --本能に反する行為だから、心が傷つくのではありませんか。
 「敵を殺した直後には、任務を果たして生き残ったという陶酔感を感じるものです。次に罪悪感や嘔吐(おうと)感がやってくる。最後に、人を殺したことを合理化し、受け入れる段階が訪れる。ここで失敗するとPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しやすい」
 「国家は無垢(むく)で未経験の若者を訓練し、心理的に操作して戦場に送り出してきました。しかし、ベトナム戦争で大失敗をした。徴兵制によって戦場に送り込んだのは、まったく準備のできていない若者たちでした。彼らは帰国後、つばを吐かれ、人殺しとまで呼ばれた。未熟な青年が何の脅威でもない人を殺すよう強いられ、その任務で非難されたら、心に傷を負うのは当たり前です」
 「PTSDにつながる要素は三つ。(1)幼児期に健康に育ったか(2)戦闘体験の衝撃度の度合い(3)帰国後に十分なサポートを受けたか、です。たとえば幼児期の虐待で、すでにトラウマを抱えていた兵士が戦場で罪のない民を虐殺すれば、リスクは高まる。3要素のかけ算になるのです」

 --防衛のために戦う場合と、他国に出て戦う場合とでは、兵士の心理も違うと思うのですが。
 「その通り。第2次大戦中、カナダは国内には徴兵した兵士を展開し、海外には志願兵を送りました。成熟した志願兵なら、たとえ戦場体験が衝撃的なものであったとしても、帰還後に社会から称賛されたりすれば、さほど心の負担にはならない。もし日本が自衛隊を海外に送るなら、望んだもののみを送るべきだし、望まないものは名誉をもって抜ける選択肢が与えられるべきです」
 「ただ、21世紀はテロリストとの非対称的な戦争の時代です。国と国が戦った20世紀とは違う。もしも彼らが核を入手したら、すぐに使うでしょう。いま国を守るとは、自国に要塞(ようさい)を築き、攻撃を受けて初めて反撃することではない。こちらから敵の拠点をたたき、打ち負かす必要がある。これが世界の現実です」

 --でも日本は米国のような軍事大国と違って、戦後ずっと専守防衛でやってきた平和国家です。
 「我々もベトナム戦争で学んだことがあります。世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。国防長官の名から、ワインバーガー・ドクトリンと呼ばれている。国家が国民に戦えと命じるとき、その戦争について世論が大きく分裂していないこと。もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。これが最低限の条件だといえるでしょう」
     ■     ■
 --気になっているのですが、腰につけたふくらんだポーチには何が入っているのですか。
 「短銃です。私はいつも武装しています。いつでも立ち上がる用意のある市民がいる間は、政府は国民が望まないことを強制することはできない。武器を持つ、憲法にも認められたこの権利こそが、専制への最大の防御なのです」

 --でも銃があふれているから銃撃事件が頻発しているのでは?
 「日本の障害者施設で最近起きた大量殺人ではナイフが使われたそうですね。我々は市民からナイフを取り上げるべきでしょうか」

 --現代の戦争とは。
 「戦闘は進化しています。火砲の攻撃力は以前とは比較にならないほど強く、精密度も上がり、兵士はかつてなかったほど躊躇(ちゅうちょ)なく殺人を行える。志願兵が十分に訓練され、絆を深めた部隊単位で戦っている限り、PTSDの発症率も5~8%に抑えられます」
 「一方で、いまは誰もがカメラを持っていて、いつでも撮影し、ネットに流すことができる時代です。ベトナム戦争さなかの1968年、ソンミ村の村民500人を米軍が虐殺した事件の映像がもしも夜のニュースで流れていたら、米国民は怒り、大騒ぎになっていたでしょう。現代の戦争は、社会に計り知れないダメージを与えるリスクも抱えているのです」
     *
 Dave Grossman 1956年生まれ。米陸軍退役中佐。陸軍士官学校・心理学教授、アーカンソー州立大学・軍事学教授をへて、98年から殺人学研究所所長。著書に「戦争における『人殺し』の心理学」など。

 ■戦闘がもたらすトラウマ深刻 一橋大学特任講師・中村江里さん
 米国では、戦場の現実をリアルな視点からとらえる軍事心理学や軍事精神医学の研究が盛んで、グロスマンさんもこの観点から兵士の心理を考えています。根底にあるのは、いかに兵士を効率的に戦わせるかという意識です。兵士が心身ともに健康で、きちんと軍務を果たしてくれることが、軍と国家には重要なわけです。
 しかし、軍事医学が関心を注ぐ主な対象は、戦闘を遂行している兵士の「いま」の健康です。その後の長い人生に及ぼす影響まで、考慮しているとは思えません。
 私自身、イラク帰還米兵の証言やアートを紹介するプロジェクトに関わって知ったのですが、イラクで戦争の大義に疑問を抱き、帰還後に良心の呵責(かしゃく)に苦しんでいる若者は大勢います。自殺した帰還兵のほうが、戦闘で死んだ米兵より多いというデータもある。戦場では地元民も多く巻き添えになり苦しんでいるのに、そのトラウマもまったく考慮されない。軍事医学には国境があるのです。
 一方で、日本には戦争の現実を直視しない傾向がありました。
 戦後、米軍の研究に接した日本の元軍医は、兵士が恐怖心を表に出すのを米軍が重視していたことに驚いていた。旧日本軍は「恥」として否定していましたから。口に出せず、抑え込まれた感情は結局、手足の震えや、声が出ないといった形で表れ、「戦争神経症」の症状を示す兵士は日中戦争以降、問題化していました。
 その存在が極力隠されたのは、心の病は国民精神の堕落の象徴と位置づけられたためです。こうした病は「皇軍」には存在しない、とまで報じられた。精神主義が影を落としていたわけです。
 戦争による心の傷は、戦後も長らく「見えない問題」のままでした。トラウマやPTSDという言葉が人々の関心を集め始めたのは1995年の阪神・淡路大震災がきっかけです。激戦だった沖縄戦や被爆地について、心の傷という観点から研究が広がったのもそれ以降。戦争への忌避感がそれほど強かったからでしょう。
 昨年の安保関連法制定により、自衛隊はますます「戦える」組織へと変貌(へんぼう)しつつあります。「敵」と殺し殺される関係に陥ったとき、人の心や社会にはどんな影響がもたらされるのか。私たちも知っておくべきでしょう。暴力が存在するところでは、トラウマは決してなくならないのですから。
     *
 なかむらえり 1982年生まれ。専門は日本近現代史。旧日本軍の戦争神経症を題材にした新著を執筆中。

 ■取材を終えて
 戦場に立つということは、これほどまでに凄(すさ)まじいことなのだと思った。
 ただ、米国民がこぞって支持したイラク戦争では結局、大量破壊兵器は見つからず、「イスラム国」誕生につながったことも指摘しておきたい。
 日本が今後、集団的自衛権を行使し、米国と一心同体となっていけば、まさに泥沼の「テロとの戦い」に引き込まれ、手足として使われる恐れを強く感じる。やはり、どこかに太い一線を引いておくべきではないだろうか。一生残る心の傷を、若者たちに負わせないためにも。(萩一晶)

□「(インタビュー)戦場に立つということ 戦場の心理学の専門家、デーブ・グロスマンさん」(朝日新聞デジタル 2016年9月9日)
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