(1)8月11日、九州電力は川内原子力発電所第1号機の原子炉を起動し、再稼働させた。
福島の過酷事故の始末がまだついていないし、事故原因すら究明されていないのに。
原発に頼らずとも電力は足りている、自然エネルギー開発に力を入れるべき、火山災害のリスクが考慮されていない、避難計画が不十分、etc.さまざまな批判や強い反対意見がある中で、九電は再稼働させた。
(2)政府は、九電など電力各社の再稼働方針に呼応し、orそれを促すかのようにぴったり寄り添っている。安倍晋三・首相も再稼働には積極的で、「世界で最も厳しい規制基準をクリアしたと原子力規制委員会が判断した原発については再稼働を認めていく」という考えを繰り返し表明している。
福島の事故後に新しい基準が作られたのは事実だ。ただ、それが「世界で最も厳しい規制基準」であるかどうかは検証されていない。政府も、その根拠について具体的に説明していない。単に「世界で最も」などと勝手に吹聴しているだけではないか(疑念)。
(3)田中俊一・原子力規制委員会委員長は、規制委員会による審査は
「規制基準の適合性審査であって、安全だとは言わない」
と述べている。施設が基準に適合していると判断しただけであって、それが安全だとは保証できない、ということだ。すげないものの、実に率直な見解ではある。
田中委員長のこの見解と、首相の物言いとの間に大きな懸隔があるのは明らかだ。
(4)政府や電力会社が再稼働を正当化するもう一つの理由は、原発が立地する自治体の首長の同意だ。たしかに、鹿児島県知事も薩摩川内市長も川内原発の再稼働について同意している。
首長の同意は必ずしも法律上の要件ではない。ただ、新潟県知事の同意を得られる見込みがないことから、柏崎刈羽原発の再稼働にとりかかれないでいる東京電力の事情を見れば明らかなように、現実問題として首長の同意がなければ電力会社は原発を再稼働させることができない。
原発の運転に係る県知事や市町村長の同意とは、かくも大きな意味を持ち、責任の重い判断だ。
(5)このたびの川内原発再稼働について、鹿児島県知事は「再稼働に同意する」と言わず、「やむを得ない」としているが、事実上同意したことには変わりない。
この同意は、はたして妥当な判断に基づくものだったのか、どうか。気になる点が幾つかある。
(a)知事は再稼働について「国が安全性を十分に保証する」ことが必要だ、との考えを述べていた。知事は、このたびの同意にあたり、「原子力規制委員会により安全性が確保されることが確認された」としているが、(3)で見たように当の田中委員長は「安全だとは言わない」と言っている。委員長のこの発言を知事が知らないはずはない。知事が「安全性が確保されることが確認された」理由と根拠については、もっと質されてしかるべきだった。
(b)「万が一、事故が発生した場合には、国が責任をもって対処するということについて、政府の考えが明確に示された」ことも、知事が同意の判断をするに至った根拠の一つにあげている。たしかに、宮沢洋一・経済産業大臣も菅義偉・内閣官房長官もその趣旨の方針を表明していた。仮に原発事故が起こった時、国が事故への対応に全面的に責任を持ってくれて、それで県民の安全は大丈夫ということであれば、それに越したことはない。
ただし、本当に大丈夫であるかどうか、あらかじめ十分に確認しておかなければならない。いくら国が「責任を持って対処する」と言ったとしても、それが安請け合いやその場しのぎ、or気休めだったとすれば、そんなものは屁の突っ張りにもならないからだ。知事は、国のその方針に実態が伴っているか、ちゃんと確認しているのか。
<例>東日本大震災によりメルトダウンしていた東電福島第一原発では、放射線量が高い環境下で原子炉に水を注入しなければならなかった。当初それを自衛隊などが試みたもののうまくいかず、最終的には東京消防庁のハイパーレスキュー隊がその任務を果たした。
ハイパーレスキュー隊は、大規模災害や特殊災害に対応するための特別な資機材を保有し、隊員たちは専門的かつ高度な訓練を受けている。もし、彼らの存在と活躍がなければ、福島の事故はもっと過酷なものとなり、被害はもっと深刻かつ広範囲に及んだはずだ。
では、仮に川内原発で何らかの原因により同じような状況が現出した場合、事故への対応に「全面的に責任を持つ」国は、これにいったいどんな手を打つことができるのか。福島の時とは違って、自衛隊が水を注入する術を既に身に着けているのか。それならそれで安心だが、国は再稼働に併せてそのことになんら言及していない。いまだに福島の時と似たような実情にあると推察せざるを得ない。
もし、国が川内原発でも福島と同じように東京消防庁をあてにしているとしたら、それは非現実的だ。東京から比較的近距離にある福島県でさえ、東京消防庁からの派遣は、限られた退院のやり繰りの面でも「兵站」の面でも決して容易ではなかった。これが福島県よりはるか遠方の鹿児島への派遣となると、その実現性はほぼ無い。
(6)鹿児島県知事は、再稼働に同意するにあたって、国に対して少なくとも(5)の点は確認しているはずだが、その確認した内容を県民に公表しておかねばならない。それは再稼働に対する県民の漠然たる不安の一部を解消することにつながるはずだからだ。だが、この種のことに知事は触れていない。
もし、国に確認したところ、自衛隊はこの面ではいまだにあてにできないし、東京消防庁をあてにすることも現実的でないということであって、これでは県民に説明できないということであれば、知事が再稼働に同意を与えたことは早計の誹りを免れない。県民の安全を第一に考えるべきなのに、それを二の次にしているからだ。
(7)再稼働に同意するにしても、いざという時の注水の「めど」ぐらいはつけておくべきで、それが県民の安全を守る知事の責任ある態度だ。同時に、福島の事故を閲したわが国の原発立地自治体がまず学んでおくべき教訓の一つだ。よもやそんなことはないだろうが、もしこうした基礎的なことすら国に確認しないまま同意の判断をしたのだとすれば、それは論外というしかない。
(8)国の側だけでなく、県や市町村の側の問題もある。
福島の原発事故では、住民の避難が難渋を極めた。市町村の避難計画が十分に整備されていなかったことがその一因だ。
では、川内原発の場合の避難計画はどうか。再稼働に同意する際の知事の記者会見録を見る限り、知事は避難計画をあまり重要視していない(印象)。いざとなったら、柔軟かつ臨機応変に対応できるとの自負も垣間見える。
しかし、大震災が原因で原発事故が発生した時には、県庁や自治体庁舎も被災したり、一時的に機能麻痺に陥ったりしかねない。現に、東日本大震災では、福島県では役場自体が避難を余儀なくされたし、県庁舎も被災して知事以下職員が近くの建物に移らざるを得なかった。そんな大混乱の中にあっても臨機応変に整然とした対応ができると考えているとしたら、想像力が少々不足している。
□片山善博(慶應義塾大学教授)「川内原発再稼働への知事の「同意」を診る ~日本を診る第71回~」(「世界」2015年10月号)
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福島の過酷事故の始末がまだついていないし、事故原因すら究明されていないのに。
原発に頼らずとも電力は足りている、自然エネルギー開発に力を入れるべき、火山災害のリスクが考慮されていない、避難計画が不十分、etc.さまざまな批判や強い反対意見がある中で、九電は再稼働させた。
(2)政府は、九電など電力各社の再稼働方針に呼応し、orそれを促すかのようにぴったり寄り添っている。安倍晋三・首相も再稼働には積極的で、「世界で最も厳しい規制基準をクリアしたと原子力規制委員会が判断した原発については再稼働を認めていく」という考えを繰り返し表明している。
福島の事故後に新しい基準が作られたのは事実だ。ただ、それが「世界で最も厳しい規制基準」であるかどうかは検証されていない。政府も、その根拠について具体的に説明していない。単に「世界で最も」などと勝手に吹聴しているだけではないか(疑念)。
(3)田中俊一・原子力規制委員会委員長は、規制委員会による審査は
「規制基準の適合性審査であって、安全だとは言わない」
と述べている。施設が基準に適合していると判断しただけであって、それが安全だとは保証できない、ということだ。すげないものの、実に率直な見解ではある。
田中委員長のこの見解と、首相の物言いとの間に大きな懸隔があるのは明らかだ。
(4)政府や電力会社が再稼働を正当化するもう一つの理由は、原発が立地する自治体の首長の同意だ。たしかに、鹿児島県知事も薩摩川内市長も川内原発の再稼働について同意している。
首長の同意は必ずしも法律上の要件ではない。ただ、新潟県知事の同意を得られる見込みがないことから、柏崎刈羽原発の再稼働にとりかかれないでいる東京電力の事情を見れば明らかなように、現実問題として首長の同意がなければ電力会社は原発を再稼働させることができない。
原発の運転に係る県知事や市町村長の同意とは、かくも大きな意味を持ち、責任の重い判断だ。
(5)このたびの川内原発再稼働について、鹿児島県知事は「再稼働に同意する」と言わず、「やむを得ない」としているが、事実上同意したことには変わりない。
この同意は、はたして妥当な判断に基づくものだったのか、どうか。気になる点が幾つかある。
(a)知事は再稼働について「国が安全性を十分に保証する」ことが必要だ、との考えを述べていた。知事は、このたびの同意にあたり、「原子力規制委員会により安全性が確保されることが確認された」としているが、(3)で見たように当の田中委員長は「安全だとは言わない」と言っている。委員長のこの発言を知事が知らないはずはない。知事が「安全性が確保されることが確認された」理由と根拠については、もっと質されてしかるべきだった。
(b)「万が一、事故が発生した場合には、国が責任をもって対処するということについて、政府の考えが明確に示された」ことも、知事が同意の判断をするに至った根拠の一つにあげている。たしかに、宮沢洋一・経済産業大臣も菅義偉・内閣官房長官もその趣旨の方針を表明していた。仮に原発事故が起こった時、国が事故への対応に全面的に責任を持ってくれて、それで県民の安全は大丈夫ということであれば、それに越したことはない。
ただし、本当に大丈夫であるかどうか、あらかじめ十分に確認しておかなければならない。いくら国が「責任を持って対処する」と言ったとしても、それが安請け合いやその場しのぎ、or気休めだったとすれば、そんなものは屁の突っ張りにもならないからだ。知事は、国のその方針に実態が伴っているか、ちゃんと確認しているのか。
<例>東日本大震災によりメルトダウンしていた東電福島第一原発では、放射線量が高い環境下で原子炉に水を注入しなければならなかった。当初それを自衛隊などが試みたもののうまくいかず、最終的には東京消防庁のハイパーレスキュー隊がその任務を果たした。
ハイパーレスキュー隊は、大規模災害や特殊災害に対応するための特別な資機材を保有し、隊員たちは専門的かつ高度な訓練を受けている。もし、彼らの存在と活躍がなければ、福島の事故はもっと過酷なものとなり、被害はもっと深刻かつ広範囲に及んだはずだ。
では、仮に川内原発で何らかの原因により同じような状況が現出した場合、事故への対応に「全面的に責任を持つ」国は、これにいったいどんな手を打つことができるのか。福島の時とは違って、自衛隊が水を注入する術を既に身に着けているのか。それならそれで安心だが、国は再稼働に併せてそのことになんら言及していない。いまだに福島の時と似たような実情にあると推察せざるを得ない。
もし、国が川内原発でも福島と同じように東京消防庁をあてにしているとしたら、それは非現実的だ。東京から比較的近距離にある福島県でさえ、東京消防庁からの派遣は、限られた退院のやり繰りの面でも「兵站」の面でも決して容易ではなかった。これが福島県よりはるか遠方の鹿児島への派遣となると、その実現性はほぼ無い。
(6)鹿児島県知事は、再稼働に同意するにあたって、国に対して少なくとも(5)の点は確認しているはずだが、その確認した内容を県民に公表しておかねばならない。それは再稼働に対する県民の漠然たる不安の一部を解消することにつながるはずだからだ。だが、この種のことに知事は触れていない。
もし、国に確認したところ、自衛隊はこの面ではいまだにあてにできないし、東京消防庁をあてにすることも現実的でないということであって、これでは県民に説明できないということであれば、知事が再稼働に同意を与えたことは早計の誹りを免れない。県民の安全を第一に考えるべきなのに、それを二の次にしているからだ。
(7)再稼働に同意するにしても、いざという時の注水の「めど」ぐらいはつけておくべきで、それが県民の安全を守る知事の責任ある態度だ。同時に、福島の事故を閲したわが国の原発立地自治体がまず学んでおくべき教訓の一つだ。よもやそんなことはないだろうが、もしこうした基礎的なことすら国に確認しないまま同意の判断をしたのだとすれば、それは論外というしかない。
(8)国の側だけでなく、県や市町村の側の問題もある。
福島の原発事故では、住民の避難が難渋を極めた。市町村の避難計画が十分に整備されていなかったことがその一因だ。
では、川内原発の場合の避難計画はどうか。再稼働に同意する際の知事の記者会見録を見る限り、知事は避難計画をあまり重要視していない(印象)。いざとなったら、柔軟かつ臨機応変に対応できるとの自負も垣間見える。
しかし、大震災が原因で原発事故が発生した時には、県庁や自治体庁舎も被災したり、一時的に機能麻痺に陥ったりしかねない。現に、東日本大震災では、福島県では役場自体が避難を余儀なくされたし、県庁舎も被災して知事以下職員が近くの建物に移らざるを得なかった。そんな大混乱の中にあっても臨機応変に整然とした対応ができると考えているとしたら、想像力が少々不足している。
□片山善博(慶應義塾大学教授)「川内原発再稼働への知事の「同意」を診る ~日本を診る第71回~」(「世界」2015年10月号)
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