語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~

2015年11月06日 | ●佐藤優
 (承前:昭和史を武器に変える10の思考術)

(5)人材の枠を狭めると組織は滅ぶ
 官僚化した日本軍は、すさまじい受験社会でもあった。海軍ならば兵学校の卒業席次をさす「ハンモックナンバー」、陸軍ならば陸軍大学校卒業時の「天保銭組」であるか否かが後々までついてまわり、出世にも影響した。
 しかし、苛烈な試験を行えば人材が集まり、育つというわけではない。むしろ、選抜をひとつの方式に偏らせてしまうと、エリートであればあるほど、それに過剰反応を起こしてしまう。
 人材という観点から昭和前期を見ると、大正時代に培った人材(高度な教育を受けた)を無造作に消費していった時代だ。
 大正時代の日本は、教育が大きな成果を挙げた時代だ。大学令(大正8年)は、大正デモクラシーより大きな出来事だ。帝国大学以外に、公立大学、私立大学を認め、高等教育を受けられる人口を飛躍的に増やした。
 そうして養成した人材が、昭和前期には戦争で消費された。放物線の計算ができなければ航空母艦に体当たりできないといって特攻機に乗せられた学生がいた。大蔵省の若手官僚が、経理将校として前線に送られ、戦死した。
 人材が使い捨てにされる中、比較的トップエリートを温存した組織は外務省だ。外務省は早くから「負ける」とわかっていたから、戦時中に若手エリートをヨーロッパに研修に出した。語学と教養を身につけさせた。その結果、戦後は外務省の時代になった。幣原喜重郎、吉田茂、芦田均といった外交官出身の首相が相次いだのは偶然ではない。
 また、組織にはコアなエリートばかりではなく、異質な人材も必要だ。どんな不測の事態が起こるかもしれないからだ。状況が激変したとき、似たタイプのエリートばかり集めていては全滅する危険性がある。普段はさほど役に立たないように見えたり、クセが強いような人材でも、いざというときのためプールしておくことが、組織としては重要だ。
 しかし、昭和は前期も後期も、そういう異質な人材をプールしておく余裕に乏しい時代だった。日本のエリート育成システムは、明治・大正までは専門などによっていくつものコースを選び得る複線構造になっていたが、昭和になると、最終的に軍を頂点とする単線構造になってしまった。戦後、軍隊がなくなると、今度は経済に一本化された。団塊の世代にしても、学生運動をあれだけやった後で、みんな企業戦士になってしまった。
 エリートは、本来、分散化していなければならない。ビジネスで成功する者、官僚、政治家、作家、学者・・・・みな適性が違う。したがって、より幅広い人材を活用できる。そのほうが、組織も社会も安定性が高まる。

□佐藤優「昭和史を武器に変える10の思考術」(「文藝春秋SPECIAL」2015年秋号)
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 【参考】
【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~
【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~
【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~
【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~

  


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