語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】戦略なき組織は敗北も自覚できない ~昭和史(6)~

2015年11月06日 | ●佐藤優
 (承前:昭和史を武器に変える10の思考術)

(6)戦略なき組織は敗北も自覚できない
 大東亜戦争に突入したのは陸軍の暴走だ、と言われることが多いが、安全保障のための緩衝地域、資源などの権益を求めて大陸へ進出して行ったプロセスは、進出の是非はさて措き、それなりに考え方の跡をたどることはできる。
 理解しがたいのは、むしろ海軍の戦略だ。本気で米国と戦おうと考えていたのなら、なぜ「大和」や「武蔵」のような無意味な巨艦を造ったのか。島嶼戦を考えるならば、海軍陸戦隊を海兵隊に再編すべきだった。実際の海軍の戦略には、実戦への覚悟が感じられない。
 結局は、成功体験にとらわれ、日本海海戦の延長戦上で考えていたからだ。「最後は艦隊決戦だ」という日露戦争以来不変の戦争観だった。だから海軍は、敗北を認識するのも遅かった。すでにサイパンもグアムも玉砕しているのに、「武蔵」が沈んで初めて
 「まだ『大和』があるけど、もしかしたらダメかもしれない」
などと気がついた。敗北に気づくのが遅れたのは、勝利のためのプランがそもそも成立していなかったからだ。
 日本の軍隊では、ロジスティックス(兵站)という思想が非常に脆弱だった。陸軍は、食い物が欲しかったら軍票を渡すから現地で調達しろ、という。これでは住民との関係が悪化するしかない。海軍は海軍で、艦隊決戦主義だから、敵の商船妨害はおろか、味方の輸送船警備もおろそかにしていた。
 しかも、海軍は戦争末期まで資源などの分配をめぐって、陸軍と争い続けた。陸海軍ともに、官僚組織の病弊であるセクショナリズムが骨の髄まで染み渡っていたからだ。
 こうした兵站軽視とセクショナリズムが端的に表れたのが、1932年以降、
   陸軍が一生懸命航空母艦を造った
ことだ。ミッドウェー海戦のあと、海軍が輸送船の護衛をしてくれないから、陸軍は「あきつ丸」ほか4隻の揚陸艦を航空母艦に改装した。海軍が分けてくれないから、といって艦載機まで自力開発している。世界広しといえども、陸軍で空母を造ったのは日本だけではないか。
 そのとき海軍は何をしていたか。
 回状を回して「陸軍の造った船であって敵艦ではないので、沈めないように」と知らせただけだ。
 実際、海軍は、陸軍艦を敵艦と勘違いして、けっこう沈めている。まさに絵に描いたような縦割り組織の自滅だ。 

□佐藤優「昭和史を武器に変える10の思考術」(「文藝春秋SPECIAL」2015年秋号)
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 【参考】
【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~
【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~
【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~
【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~
【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~

  


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