語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【政治】岸信介の悪さの研究

2015年09月17日 | 批評・思想
 (1)安倍晋三の祖父、岸信介は、戦犯容疑の逮捕状が出された時、杉敏介(旧制一高の恩師/郷土の先輩)から「惜命」と題した歌を贈られた。

 *二つなき命にかへて惜しけるは
    千歳に朽ちぬ名にてこそあれ

 郷土の偉人、吉田松陰の教えを知っている者なら命を惜しんで名を汚すな、つまり、自決せよ、という意味だ。
 それに対して岸は、こんな歌を返した。

 *名にかへてこのみいくさの正しさを
    来世までも語り残さむ

 「みいくさ」とは聖戦だ。聖戦は正しい、その正しさを来世までも語り残すために今死ぬわけにはいかない、と答えたのだ。
 そして、巣鴨プリズンに連行され、3年間、ここで幽囚の日々を送った。

 (2)岸は、東条英機と最後にぶつかったことが幸いして、戦犯容疑を免れた。巣鴨プリズンを出されるや、ある新聞記者に問われて言った。
 「私は、巣鴨生活で過去は一切精算したつもりだ。したがって自分としては(日本の再建を唱える)その資格はあると思う。他から東条内閣の同僚だとか軍の手先だとかいわれるかも知れない。それはある程度事実なんだから止むを得ないが、現在の自分の気持としては元商工大臣とか翼政総務だとか、そんな過去の経歴にこだわる気持は毛頭ない」
 つまり、岸はまったく反省していないのだ。
 負けて失敗した、とは思っていても、あの戦争を起こすべきではなかった、などとはちっとも考えていない。
 それは、関東軍と提携して統制経済の実験場とした満州国を
   「まるで白紙に描くようにして造ったわたしの作品」
と言い切ったことからも明らかだ。
 大日本帝国のカイライである満州国を5人の実力者「二キ三スケ」が操った。
   東条英機(とうじょう ひでキ)
   星野直樹(ほしの なおキ)
   松岡洋右(まつおか ようスケ)
   鮎川義介(あゆかわ よしスケ)
   岸信介(きし しんスケ)
 これに、満州の夜を支配した、とされる甘粕正彦を加えてもいい。

 (3)日米開戦まもない1941年12月20日付け「朝日新聞」に、岸は商工大臣としての談話を寄せた。
 「かく観(み)来れば大東亜地域において自給し得ざるものは僅々数種に過ぎないのであって、これ等とてもわが科学、技術の力により代用資源を合成創造することが出来、資源の不足は十分補填し得ると思ふ。かくてわが国は東亜共栄圏の基礎の上に世界無比の完全なる国防国家を建設することが出来るのであって、東亜経済の前途誠に洋々たるものがあると云はねばならぬ」
 これは、東条の発言として読んでも何ら違和感が生じない。
 岸は、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」といった極端な精神主義で国民を戦争に引きずり込んだ。

 (4)戦後、岸は日米安全保障条約を強化しようとした。
 それは中国敵視政策につながる、として竹内好・都立大学教授(当時)は反対して辞職した。竹内は、講演会などで、こう訴えた。
 「いままでわれわれはあまりにもお人好しでした。何回も彼を許した。戦犯であることを許し、ベトナム賠償のときに許し、許すごとに彼はわれわれの許したことを栄養に吸い取って、ファシストとして成長してきた」
 『戦後史の正体』の孫崎享は、岸を評価する。孫崎は、「お人好し」の典型だ。
 同じ自民党でも、鳩山一郎は「総理大臣が金儲けしちゃいかん」と言った。
 河野一郎は、「岸を総理にしたのは日本のためによくなかった」と吐き棄てた。

□佐高信「岸信介の悪さの研究 ~新・政経外科 第45回~」(「週刊金曜日」2015年9月4日号)
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【詩歌】中村稔「器物」

2015年09月17日 | 詩歌
 1 李朝

 遠ざかる日々、見え隠れする物の来歴。
 路傍の、人蔘の花。
 微笑みかけることもなく佇ちつくす
 貧しい少女の羞じらい。

 冬の未明。空の一点に朱をにじませ、
 ついに終日、都会の煙霧の奥ふかく
 遁走し去る太陽を知る。

 昨日を手許にとどめることができないように、
 それを愛撫するよしもない。
 それは語りかけることはしないから、
 眼をみひらいて見遣っているよりほかはない。

 茫々ととどめやらぬ時に似た肌に
 一点の朱をにじませ
 羞じらいながら佇ちつくす物のかたち。

 2 志野

 私たちが捕捉しようとした
 沫雪の中の炎
 水にまぎれゆく風のざわめき。

 それは設計する精神ではない。
 だが、しかし
 私たちの魂は充分に強靱で、
 真昼のように目覚めていた!

 それは息づきそして汗ばむ
 掌に似た肌をもつ。
 それはこまやかに季節の影をおとし
 大気の底に位置を定める。

 私たちの秩序のように陰湿な
 それと私たちとの関係。__だか
 陰湿だからとて又何としよう?

 3 信楽

 もう与えられたかたちに倣わない
 もう与えられた色にまなばない
 松の梢を吹く風のかたちと
 風の色とが自から器をなした!

 それはある秩序の終りのとき
 港町の雑沓の中にも
 荒れた山野にも 日常ふだんに
 死が身辺にあったときから

 蒼茫たる歳月をながらえてきた!
 少女の肌のように無垢のまま
 松の梢を吹く風のように爽かに

 それは昨日と今日との間の暗がりに
 漂よいながら
 仄かな明るみをたたえて位置を占める。

 4 高麗

 薄明の海をながれる藍よりも
 さらに淡い器物の青に
 ひたすらに一日の憂悶を鎖す。

 わが祖父たちの奪ったもの、
 わが兄弟たちの掠めたもの、
 ついに奪いえず、掠めえなかったもの。

 自らを恃んで傲らぬもの、
 謙抑にして自らを卑しめぬもの、
 故宮の城壁を劃る空よりも
 さらにはるかなるもの。

 その淡い器物の青に
 夏を鎖し冬を鎖し時を鎖し
 ひたすらに憂悶を鎖し、かえって
 憂悶のふつふつと湧きくるを知る。

□中村稔「器物」(『鵜原抄』、思潮社、1966:高村光太郎賞)
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 【参考】
【詩歌】中村稔「塔」
【詩歌】中村稔「誕生」
【詩歌】中村稔「城」
【詩歌】中村稔「埴輪」
【メンタル・スケッチ】群衆
【メンタル・スケッチ】挽歌
【本】この1年に出会った本
【中村稔ノート】凧 ~戦禍の記憶~
【中村稔ノート】ある潟の日没 ~震災と戦災~
【読書余滴】追悼、森澄雄の生涯と仕事
書評:『本読みの達人が選んだ「この3冊」』
書評:『加藤周一自選集8 1987-1993』