語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【詩歌】会田綱雄「伝説」

2015年09月20日 | 詩歌
 湖から
 蟹が這いあがってくると
 わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
 山をこえて
 市場の
 石ころだらけの道に立つ
 蟹を食うひともあるのだ

 縄につるされ
 毛の生えた十本の脚で
 空を掻きむしりながら
 蟹は銭になり
 わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
 山をこえて
 湖のほとりにかえる

 ここは
 草も枯れ
 風はつめたく
 わたくしたちの小屋は灯をともさぬ

 くらやみのなかでわたくしたちは
 わたくしたちのちちははの思い出を
 くりかえし
 くりかえし
 わたくしたちのこどもにつたえる
 わたくしたちのちちははも
 わたくしたちのように
 この湖の蟹をとらえ
 あの山をこえ
 ひとにぎりの米と塩をもちかえり
 わたくしたちのために
 熱いお粥をたいてくれたのだった

 わたくしたちはやがてまた
 わたくしたちのちちははのように
 痩せほそったちいさなからだを
 かるく
 かるく
 湖にすてにゆくだろう
 そしてわたくしたちのぬけがらを
 蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
 むかし
 わたくしたちのちちははのぬけがらを
 あとかたもなく食いつくしたように

 それはわたくしたちのねがいである
 こどもたちが寝いると
 わたくしたちは小屋をぬけだし
 湖に舟を浮かべる
 湖の上はうすらあかるく
 わたくしたちはふるえながら
 やさしく
 くるしく
 むつびあう

□会田綱雄「伝説」(『鹹湖』、1957:第1回高村光太郎賞)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン