その魚はじつに久しい間睡っていた
その眼はすでに見ひらかれたまま
土砂にみたされて赭土の底にふかく
みじろぎもしなかった 何物を見ることもなく
洗われて掌の上にあるとき
その魚の眼はなお見ひらかれていた
その泪に
かいまみた厨房の情景が疾走して過ぎた
その魚よりもさらに風化しやすい
掌の上にあるとき
その魚は知らなかった
何処から来て何処へ去るかを
ああ その魚はみじろぎもしなかった 掌の上に
そのひとつの物のかたちを。
*
中村稔は、千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。1952年、弁護士・弁理士登録。
1946年、『世代』に参加。
1950年、第一詩集『無言歌』刊行。1967年、詩集『鵜原抄』で高村光太郎賞。1977年、詩集『羽虫の飛ぶ風景』で読売文学賞(詩歌俳句部門)。1988年、『中村稔詩集 1944-1986』で芸術選奨文部大臣賞、1992年、『束の間の幻影』で読売文学賞(評論・伝記)。1996年、詩集『浮泛漂蕩』で藤村記念歴程賞。1998年、日本芸術院会員。『私の昭和史』に至る業績で2004年度朝日賞。2005年、『私の昭和史』で毎日芸術賞、井上靖記念文化賞受賞。2006年から10年まで芸術院第二部長。2001年、文化功労者。宮沢賢治、中原中也の評論・伝記、複数。日本近代文学館理事長を経て名誉館長。
弁護士・弁理士としては、知的財産法一般を専門とする。現在は中村合同特許法律事務所代表パートナー。日本弁護士連合会無体財産権制度委員会委員長(1979年 - 1981年)、国際知的財産保護協会本部執行委員(1966年 - 1991年)、日本商標協会会長(1988年 - 1995年)などを歴任。
□中村稔「埴輪」(『鵜原抄』、思潮社、1966:高村光太郎賞)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【メンタル・スケッチ】群衆」
「【メンタル・スケッチ】挽歌」
「【本】この1年に出会った本」
「【中村稔ノート】凧 ~戦禍の記憶~」
「【中村稔ノート】ある潟の日没 ~震災と戦災~」
「【読書余滴】追悼、森澄雄の生涯と仕事」
「書評:『本読みの達人が選んだ「この3冊」』」
「書評:『加藤周一自選集8 1987-1993』」
その眼はすでに見ひらかれたまま
土砂にみたされて赭土の底にふかく
みじろぎもしなかった 何物を見ることもなく
洗われて掌の上にあるとき
その魚の眼はなお見ひらかれていた
その泪に
かいまみた厨房の情景が疾走して過ぎた
その魚よりもさらに風化しやすい
掌の上にあるとき
その魚は知らなかった
何処から来て何処へ去るかを
ああ その魚はみじろぎもしなかった 掌の上に
そのひとつの物のかたちを。
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中村稔は、千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。1952年、弁護士・弁理士登録。
1946年、『世代』に参加。
1950年、第一詩集『無言歌』刊行。1967年、詩集『鵜原抄』で高村光太郎賞。1977年、詩集『羽虫の飛ぶ風景』で読売文学賞(詩歌俳句部門)。1988年、『中村稔詩集 1944-1986』で芸術選奨文部大臣賞、1992年、『束の間の幻影』で読売文学賞(評論・伝記)。1996年、詩集『浮泛漂蕩』で藤村記念歴程賞。1998年、日本芸術院会員。『私の昭和史』に至る業績で2004年度朝日賞。2005年、『私の昭和史』で毎日芸術賞、井上靖記念文化賞受賞。2006年から10年まで芸術院第二部長。2001年、文化功労者。宮沢賢治、中原中也の評論・伝記、複数。日本近代文学館理事長を経て名誉館長。
弁護士・弁理士としては、知的財産法一般を専門とする。現在は中村合同特許法律事務所代表パートナー。日本弁護士連合会無体財産権制度委員会委員長(1979年 - 1981年)、国際知的財産保護協会本部執行委員(1966年 - 1991年)、日本商標協会会長(1988年 - 1995年)などを歴任。
□中村稔「埴輪」(『鵜原抄』、思潮社、1966:高村光太郎賞)
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【参考】
「【メンタル・スケッチ】群衆」
「【メンタル・スケッチ】挽歌」
「【本】この1年に出会った本」
「【中村稔ノート】凧 ~戦禍の記憶~」
「【中村稔ノート】ある潟の日没 ~震災と戦災~」
「【読書余滴】追悼、森澄雄の生涯と仕事」
「書評:『本読みの達人が選んだ「この3冊」』」
「書評:『加藤周一自選集8 1987-1993』」