語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読売】「不正」を隠蔽する「不適切」という表現 ~東芝・不正経理~

2015年09月05日 | 批評・思想
 (1)8月19日付け読売新聞の一面は、東芝の「不適切会計」問題をとりあげている。
 しかし、「不適切会計」は正確には「不正経理」だ。粉飾決算で株式の上場廃止になってもおかしくない問題だ。
 それをなぜ「不適切」と表現するのか。
 盗聴法が批判された時、政府が「通信傍受法」と表現してほしいと要望するや、大手紙は軒並みにそう書き改めた。
 十五年戦争の敗戦を「終戦」と言い換えるようなものだ。
 大手紙は、なぜ独自の表現を貫かないのか。

 (2)むろん、東芝の経営陣がデタラメなのだが、何年もその粉飾を見抜けず、「適正意見」を出し続けた新日本監査法人の責任も問われなければならない。
 カネボウの粉飾決算でつまづいた中央青山監査法人は解散に追い込まれた。
 新日本も同じ道をたどるのか。

 (3)米国の巨大企業エンロンの粉飾決算には、代表的な会計会社(アーサー・アンダーセン)が手を貸した。エンロンの倒産後、アーサー・アンダーセンも倒産に追い込まれた。
 ケネス・レイ・エンロン会長兼CEOは、ジョージ・ブッシュ(ブッシュJr)の父親(パパ・ブッシュ)の後援者であり、ジョージ・ブッシュとも親しかった。チェイニー・副大統領(当時)との関係も深く、エンロンは多額の政治献金を行っていた。
 それでもエンロンは潰れたのだ。
 しかし、「読売」などが「不適切会計」と書き続けたら、東芝の闇は解明されないだろう。

 (4)OBの西室泰三・日本郵政社長は、東芝に隠然たる影響力を持っている、と言われる。彼は、「安倍談話」に係る有識会議の座長だった。
 だから、安倍晋三の応援紙である「読売」は騒ぎを大きくしたくないとして「不適切会計」と書くのかもしれない。

 (5)これが粉飾でないなら、何が粉飾なのだ・・・・というほどのデタラメが発覚したのは、東芝の内紛が原因と言われる。
 西田厚聰・相談役と佐々木則夫・副会長の確執が爆発したのだ。
 6年前、西田は社長の座を佐々木に譲った。 
 西田は、東大大学院で政治学を学んでいる時、イランから丸山眞男研究室に官費留学していた女子留学生と恋に落ち、帰国した彼女を追ってイランで結婚した【『FACTA』7月号】。パソコン部門出身で、「ダイナブック」を世に送り出した。
 「遣り手」だが、財界活動にも野心満々で、御手洗富士夫・キャノン会長の後の経団連会長をねらっていた。
 しかし、岡村正・日本商工会議所会頭(当時)も東芝の出身で、経団連も日商も東芝というわけにはいかず、西田は涙を飲んだ。

 (6)一方、佐々木は安倍に近づいて経済財政諮問会議委員となり、経団連副会長のポストも得た。
 これが西田には気に入らない。2013年2月には社長交代の記者会見で、
 「英語が話せないし、社内で会議ばかりやっている」
と非難する西田に、
 「東芝を成長軌道に乗せた」
と佐々木が反論して言い合いになる醜態を見せた。
 遂には、自分が引き上げた佐々木を西田が、
 「なにしろ結婚もしたことのない男だから、子どもっぽくて言い出したらきかない。独善もあそこまでいくと害悪」
とまで決めつけたとか。

 (7)西田は、佐々木を倒すために西田側の人間が証券取引等監視委員会に内部告発したのだ、と言われる。
 凄まじい内部抗争だが、シャープを助けてやれ、と銀行に圧力をかけた安倍官邸の影もチラホラ見え隠れする。

□佐高信「「不正」に味方する「不適切」 ~佐高信の「新・政経外科 44~」(「週刊金曜日」2015年8月28日号)
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 【参考】
【古賀茂明】東芝の粉飾問題 ~「報道の粉飾」~
【社会】大政翼賛社会の不気味さ ~東芝問題と「ゆう活」~
【東芝】「不正会計」の主役は安倍ブレーン ~産業競争力会議の犯罪者~

  

【詩歌】【沖縄】山之口獏「沖縄よどこへ行く」

2015年09月05日 | 詩歌
 蛇皮線の島
 泡盛の島

 詩の島
 踊りの島
 唐手の島

 パパイヤにバナナに
 九年母などの生る島

 蘇鉄や竜舌蘭や榕樹の島
 仏桑花や梯梧の真紅の花々の
 焔のように燃えさかる島

 いま こうして郷愁に誘われるまま
 途方に暮れては
 また一行づつ
 この詩を綴るこのぼくを生んだ島
 いまでは琉球とはその名ばかりのように
 むかしの姿はひとつとしてとめるところもなく
 島には島とおなじくらいの
 舗装道路が這っているという
 その舗装道路を歩いて
 琉球よ
 沖縄よ
 こんどはどこへ行くというのだ

 おもえばむかし琉球は
 日本のものだか
 支那のものだか
 明っきりしたことはたがいにわかっていなかったという
 ところがある年のこと
 台湾に漂流した琉球人たちが
 生蕃のために殺害されてしまったのだ
 そこで日本は支那に対して
 まずその生蕃の罪を責め立ててみたのだが
 支那はそっぽを向いてしまって
 生蕃のことは支那の管するところではないと言ったのだ
 そこで日本はそれならばというわけで
 生蕃を征伐してしまったのだが
 あわて出したのは支那なのだ
 支那はまるで居なおって
 生蕃は支那の所轄なんだと
 こんどは日本に向かってそう言ったと言うのだ
 すると日本はすかさず
 更にそれならばと出て
 軍費償金というものや被害者遺族の撫恤金とかいうものなどを
 支那からせしめてしまったのだ
 こんなことからして
 琉球は日本のものであるということを
 支那が認めることになったとかいうのだ
 それからまもなく
 廃藩置県のもとに
 ついに琉球は生れかわり
 その名を沖縄県と呼ばれながら
 三府四十三県の一員として
 日本の道をまっすぐに踏み出したのだ
 ところで日本の道をまっすぐに行くのには
 沖縄県の持って生まれたところの
 沖縄語によっては不便で歩けなかった
 したがって日本語を勉強したり
 あるいは機会のあるごとに
 日本語を生活してみるというふうにして
 沖縄県は日本の道を歩いて来たのだ
 おもえば廃藩置県この方
 七十余年を歩いて来たので
 おかげでぼくみたいなものまでも
 生活の隅々まで日本語になり
 めしを食うにも詩を書くにも泣いたり笑ったり怒ったりするにも
 人生のすべてを日本語で生きて来たのだが
 戦争なんてつまらぬことなど
 日本の国はしたものだ

 それにしても
 蛇皮線の島
 泡盛の島
 沖縄よ
 傷はひどく深いときいているのだが
 元気になって帰って来ることだ
 蛇皮線を忘れずに
 泡盛を忘れずに
 日本語の
 日本に帰って来ることなのだ

□山之口獏「沖縄よどこへ行く」(『鮪に鰯』、原書房、1964)
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 【参考】
【詩歌】【沖縄】山之口獏「耳と波上風景」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「がじまるの木」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「浮沈母艦沖縄」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「沖縄風景」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「島」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「弾を浴びた島」