(1)「作品--モンマルトル パリ」は、モーリス・ユトリロ(1883-1955)がパリを描いた作品を年代別にとりあげる。
併せて、
①関係する当時の写真、
②同じ情景の、現代の写真(<例>サン=ミッシェル河岸)
を付す。
ユトリロ作品へのガイドであるとともに、ユトリロが活きた時代と今のパリ案内ともなっている。写真豊富で、眺めるだけで楽しい。付図のユトリロ関連地図を片手に、モンマルトル界隈を散策することもできる。
(2)井上輝夫「モーリス・ユトリロの生涯」によれば、母のシュザンヌ・ヴァラドンは野生児で、人のいうことを聞くような人物ではなかったらしい。モデルとしてピュヴィス・ド・シャヴァンヌを始め、高名な画家をわたり歩いた。ルノアール「ブージヴァルの踊り」の踊り子のモデルはシュザンヌである。
この間、シュザンヌも画家としての腕を磨いた。
モーリスがアルコールに溺れ、幽閉状態の晩年を送ったことを、この強烈な個性の母親との関連で見ると興味深い。
(3)横江文憲「パリ 絵画と写真の出会い」は、ユトリロと同時代人だった写真家ウジェーヌ・アジェに焦点をあてて写真と絵画との関係を論じる。
ユトリロとの関係でいえば、写真でしか把えることのできない時間(瞬間)を読み取り、それを絵画に昇華していった。それまでの絵画が、ある視点からの対象把握であり、いわば長時間の時空間を平面に構成する。写真を用いることにより、ある瞬間の時空間を平面に構成することができるようになったのだ。
ただし、ユトリロの場合、写真に対する接し方が違っている。アルコールに溺れ、奇行を繰り返し、泥酔しては乱暴した、そういう姿を知っている人びとから、街中で絵を描いているとき罵声を浴びせかけられ、仕事を邪魔されることもたびたびだった。そのため、ますます孤独な制作を強いられるようになり、おのずと室内で絵はがきや写真を用いて制作するようになったのだ。ユトリロにとって、写真は代理体験できる手段でありさえすれば、それでよかった。写真の持つ平面の表象に眼を向けていたのだ。
□井上輝夫/横江文憲/熊瀬川紀『ユトリロと古きよきパリ』(新潮社(とんぼの本)、1985)
↓クリック、プリーズ。↓
ルノアール「ブージヴァルの踊り」