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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

私のために仕上がった

2013年04月11日 | 仏教
 昨日は、お隣K組K寺さんの巡番報恩講にお参りさせていただきました。

 写真↑ 見事な荘厳(しょうごん:仏前のお飾り)です。

 40代のご講師は、如来の本願を身近なことに例え、わかりやすく、有難くご法話くださいました。
 その一つをご紹介します。

 「南無阿弥陀仏」は、母乳に例えられる。

 覚りの境地に至りたい・「仏」(真理の覚者)に成りたいと、思いもしない(自我のかたまりの)私のために
如来のほうが、私をたすけたいと願いも行も全てをこめて・・・私を救う(覚りに導く)ために、「南無阿弥陀仏」と仕上がってくださった。

 母乳を飲む赤ん坊は、母乳の成分を分析してタンパク質だのビタミンだの、知って飲んでいるわけではない。

 親のほうが、仕上がった栄養(いのち)を与え、
赤ん坊は、ただ、いただくことで、育つ。

 赤ん坊のほうに(栄養を作り出す)何の はたらき もない。

 仏(さとりの覚者)になるために 私の はからい は、何一つない。

 全て、「南無阿弥陀仏」をいただくばかりである。 
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