ある方が、こう言われた。
「そもそも、悟ってもいない僧侶が、なぜ悟りを説けるのでしょう
」
そうですね。私ごときが、仏さまって、どういう方なのか、ご紹介したことで、かえって混乱を招いてしまいました。
私は、「悟り」を論じているつもりは、毛頭ありませんでしたが、結果、そう誤解をあたえたのでしたら、お詫び申し上げます。
浄土真宗のお坊さん方は、「あなた達、悟りなさい
」と、上から目線で説いているのではありません。
「悟り」
とは、各人のいかなる思想も感情も一切まじえない
「無我」なんですから、
いつも、自分の思想、感情に 心を支配されている人間(もちろん、私のこと)が、自分の力(自分の考え方のまま)で 悟れるわけない
ってことを、
しっかり、自覚する
また、私は、目に見えるものしか、気づかず、
私は私の力で、生きている
と、
傲慢な考えになりがちですが、
どれだけ、目に見えない 多くの はたらき にささえられて、生きているか
その目に見えない「おかげさま」の中で、
私は、生かされて、生きている と、自覚する
ピッカピカの仏さま
の前に 私を恥じる
、
自分の愚かさを「自覚」させられる
その仏さまに気づかされた自分の心(阿弥陀さまに感謝
の心)味わいをお話させていただいているつもりです。(エラソウに聞こえているのでしたら、私の未熟ゆえのことです。お許しください
)
それにしても世間の方々、特に都会にお住まいの方ほど、「僧侶」には、「悪代官」のようなイメージをお持ちの方が多いですね。
これは、やはり、お坊さん側の責任が大きいと思いますが、
どうでしょう? その「悪代官」さんと、じっくり、話をしてみられたら?
かく言う私自身が一番「悪代官」なのかもしれませんね。
「エラソウなことばかり、言いよって、おぬしも悪よのう、うひゃっひゃ」と。
「悪」の自覚が足りないのは、私自身でした。
「そもそも、悟ってもいない僧侶が、なぜ悟りを説けるのでしょう

そうですね。私ごときが、仏さまって、どういう方なのか、ご紹介したことで、かえって混乱を招いてしまいました。
私は、「悟り」を論じているつもりは、毛頭ありませんでしたが、結果、そう誤解をあたえたのでしたら、お詫び申し上げます。

浄土真宗のお坊さん方は、「あなた達、悟りなさい

「悟り」

「無我」なんですから、
いつも、自分の思想、感情に 心を支配されている人間(もちろん、私のこと)が、自分の力(自分の考え方のまま)で 悟れるわけない

しっかり、自覚する

また、私は、目に見えるものしか、気づかず、
私は私の力で、生きている

傲慢な考えになりがちですが、
どれだけ、目に見えない 多くの はたらき にささえられて、生きているか
その目に見えない「おかげさま」の中で、
私は、生かされて、生きている と、自覚する

ピッカピカの仏さま


自分の愚かさを「自覚」させられる

その仏さまに気づかされた自分の心(阿弥陀さまに感謝


それにしても世間の方々、特に都会にお住まいの方ほど、「僧侶」には、「悪代官」のようなイメージをお持ちの方が多いですね。
これは、やはり、お坊さん側の責任が大きいと思いますが、
どうでしょう? その「悪代官」さんと、じっくり、話をしてみられたら?
かく言う私自身が一番「悪代官」なのかもしれませんね。
「エラソウなことばかり、言いよって、おぬしも悪よのう、うひゃっひゃ」と。
「悪」の自覚が足りないのは、私自身でした。