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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

縁 その2

2011年04月19日 | Weblog
 昨日の11文字の言葉は

 「ぼくが作ったのでもない」


 何でも 恵まれているのが 当たり前ではない。
 自分の力だけで 生きているのではない。
 どれほど 多くの方々の力によって、
 どれほど 多くの「縁」によって、
 支え、支えられ、私が生かされているのか。

 それに気づかされる詩だと思います。

 そして、何のために勉強するのか 
考えさせられる 詩 だと思います。
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縁 

2011年04月18日 | Weblog
 先日、ウチの住職が、あるご住職のHPにクイズ形式で紹介されていた
まどみちお氏の詩をご法話の中で紹介しておりました。

 あさがくると」 まどみちお
 
朝が来ると とび起きて ○○○○○○○○○○○水道で 顔をあらうと
○○○○○○○○○○○洋服を きて
○○○○○○○○○○○ごはんをむしゃむしゃ食べる
それから○○○○○○○○○○○本やノートを
○○○○○○○○○○○ランドセルに つめて せなかに しょって
たったか たったか でかけていく
○○○○○○○○○○○道路を
○○○○○○○○○○○学校へと
ああ なんのために

いまに おとなになったら ぼくだって ぼくだって
なにかを作ることが できるように なるために
 

 この○○○○○○○○○○○(11文字)には、同じ言葉が入ります。
 さて、どういうことばでしょうか

と、HPのご住職が、小学生にクイズを出されたそうです。

 この詩をご存じの方は、ご存じでしょう。
ご存じない方は、しばし、考えてみてください。答えは後日

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阿弥陀如来は神さまなのか?

2011年02月14日 | Weblog
普通の家庭からお寺に嫁に来た私にとって
最初、ご法話は、チンプンカンプン。

 浄土真宗なんですから、当たり前なんですが

 最初っから、人格化した「阿弥陀如来ありき」というご法話。


 「阿弥陀さまを信心し、ただ念仏してまかせよ」
と聞かされても

 「阿弥陀如来って、神様みたいな存在なの
「なんかわかんないけど、阿弥陀如来という仏さまを信じこむことが大事なの

「浄土って、キリスト教で言う『天国』の仏教名

と、わからないことばかりでした。

 

 
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煩悩 その2

2010年10月05日 | Weblog
 昨日の続きです。
 何もわかっちゃいないのに、ペラペラとブログで説明したがる私は、ホンモノからほど遠い、かろうじて資格だけいただいた「なんちゃって僧侶」なんですが、

 「煩悩」って、わかっているようで、わかっていなかったので、
自分で再確認するためにも、書かせていただきます。
 ご住職はじめ、お同行の皆様、間違っていましたら、訂正、フォローをよろしくお願い申し上げます。
 
さて、
 「煩悩」とは、心を煩わせ、悩ませる精神作用 のことです。
 
 一般に、煩悩は108あると言われ、「除夜の鐘を108打つ」と、耳にします。
でも、煩悩の数が、正確にいくつある・・・と言うよりも、「私には、とにかく、たくさんの煩悩がある」という認識をうながすものだと味わっています。

 その中でも「三毒の煩悩」と呼ばれる、おそろし~い、強力な煩悩。

 それは、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)です。

続く・・・
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生け花

2010年05月22日 | Weblog
 昨日から、佐賀県華道連合会主催の諸流派合同 生け花展 が ゆめタウン佐賀の店内セントラルコートにて開催中です
 

 写真は、師匠の池坊「自由花」作品


 きょう11時からは、県知事さんなど来賓3名による「尊式に花を入れる」というイベントがあり、師匠が正装(留め袖姿)で、補助役を務められる ということで、私も拝見へ。

 写真は仏前の三具足(みつぐそく:左から花立て「尊式」、中央に香炉、右にろうそく立て)この仏具は、現・池坊から拝借したものだそうで、ろうそく立ては、亀の上に鶴が立っています)

「尊式」とは、上下が広く、中央がふくらんだ花器のことだそうです。中国では酒器だったものを日本では花器に使ったとのことです。

 イベントでは、まず、生け花の歴史から説明いただきました。

 生け花の始まりは、

  仏前にお供えする仏華から始まったこと

 聖徳太子が建立された六角堂(頂法寺)の北面に僧侶の住まい(僧坊)があり、その僧坊の初代住職は、退職後の小野妹子だったこと。そこは、池があったことから「池坊」と呼ばれ、その「池坊」の僧侶が、六角堂の仏前の花を供える担当だったこと。
 そこから、生け花が発展していったこと

 今は「花をいける」と言うが、昔は「花をさす」「花を入れる」と言ったとのこと

などを 興味深く聞かせていただきました。

 花展は、月曜日まで。

 
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ペットの死 その2

2010年03月16日 | Weblog
 16年間一緒に生活を共にした、大型犬を亡くされたMさんのお話により、初めて知ったのですが

 ペット専門の葬儀業者さんがおられるそうで、

 黒のスーツに白手袋の紳士(業者さん)が2名、来宅。

 ペット用のかわいい棺桶(ペットの大きさに合わせて)に納棺。
 
 飼い主の希望通りに、動いてくださるのだそうです。
 人間と同様に通夜・葬儀をするのか、火葬場に同行して、骨拾いするのか、納骨は、個別のお墓にするのか、共同埋葬でいいのか等々・・・

 Mさんは、火葬を業者さんにお任せし、納骨は共同埋葬でお願いされたそうです。
 後日、ペットの法要の案内まで来て、びっくりされたそうですが、法要日が、ちょうど彼岸の中日(春分の日)。

 「私は、お寺(法専寺)のほうにお参り来るので、ペットのほうは、気持ちばかりお金を送って、それでおしまいにしようと思います」
と、Mさん。

 今回、Mさんの老犬の死を通して、
ペットの死について、いろいろ考えさせられました。

 
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白内障手術エピソード

2009年04月13日 | Weblog
 術前の血圧測定で、
 大抵、皆さんドキドキして血圧が上がるらしい。
 私の前のご婦人も血圧が150越えていて、
「緊張しているものですから・・・」
「はい、大丈夫ですよ
と看護師さんとのやりとりが聞こえた。
 
 さて、私の血圧測定の番。
 「はい、2回ほどゆっくり深呼吸してください・・・○○さん、血圧低いほうですか それにしても、上が88しかありませんが・・・」と看護師さん。
 「88は、あんまりですね~」と私。
 測定し直して、98ー42 
 「上は上がったけど、下が低すぎですね・・・」と看護師さん。

 手術前に 
 医師におまかせ 失敗しても(自分で受けると決めた手術だから)それは、それで仕方ない と、「南無阿弥陀仏」
 座り心地のよいソファにもたれて、すっかりリラックスしていた私でしたが・・・

 それにしても「42なんて、もう、臨終に近づいとるがな・・・」と自分にツッコミを入れたのでありました・・・



 

 
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念力は科学なのか?

2008年11月20日 | Weblog
 先日、ある仏事で、いつものように勤行、法話をさせていただいた時のことです。
 「仏教は、本当のこと(真理)を教えられています。だから、ハンドパワーで病気が治る、この壺を買ったら運勢がよくなるとか、理に適わないことを申しません。特に、迷信を徹底的に排除されたのが、親鸞聖人の教えです」

と言った私の話に、参詣のご親戚の紳士が、こう仰った。

 「今は、科学も発達しましたからね 親鸞聖人の時代では、わからなかったことが、いろいろわかるようになりました。(今どき、鎌倉時代の教えなど、時代遅れだと言いたげに)最近、アメリカで西海岸から東海岸に念力を飛ばし、病気を治す実験がなされたらしいですよ。○○先生も神はおられると、仰ってますし・・・」

 「科学」と「念力」と「神」がどういう関係にあるのか 疑問に思いながら、私、穏やかに申しました。

 「まあ、それで病気が治せるなら、世の中から病気がなくなりますね~」
 「いや、全ての病気を治せるわけじゃありませんよ」と、紳士も穏やかに言われる。

 つづく・・・
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本当の先祖供養とは

2008年11月15日 | Weblog
 「先祖を大切にするということは、自分を大切にするということです」

 先日の総追悼法要のご講師D師のお言葉です。

 本当に故人・先祖(仏)に感謝し、恩に報いたいならば、私に対する「仏の願い」(今は「仏」となられた故人の願い)を聞いて(仏法を聞いて)、私自身が、しっかり生きていく(仏道を歩む)ことが、一番の報恩感謝なのであります。

 
 
 
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位牌その2

2008年09月12日 | Weblog
 昨日の続きです。
 浄土真宗では「位牌」は用いない と申しましたが、

 現実には、葬儀の時、習俗に従って、
白木の位牌に法名を記し、荘厳壇(しょうごんだん・祭壇のことですが「祭壇」という言い方は用いない)に飾ることが多いです。

 でも、この白木の位牌も四十九日まで。 その後は、お寺で処分してもらいます。
 決して、黒塗りの位牌は、作りません。(使いません)

 位牌の代わりに、法名は、過去帳という帳面(ノート形式)に書きます。
 各家庭用の「過去帳」は、仏壇店で購入できます。
 
 過去帳は「故人の霊が宿る位牌の代わり」ではなく、故人のご命日と法名(仏弟子としてのお名前)と俗名(世間に生きておられた時のお名前)と亡くなられた年齢を記す 覚書のような帳面です。

 故人を偲んで(ご縁として)の仏事の時は、その方を記したページを開いて仏壇の隅に安置します。

 私たちがロウソクを灯し、香をたき、合掌礼拝するのは、「仏さま」であって、過去帳や故人の写真に対して ではありませんので、
 
 過去帳も、ご本尊が隠れないように、隅に置いてください。
 
 
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