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 テレビや新聞が一年に一度、8月に「戦争」を振り返るのは悪いことではない。しかし、日本が日中戦争から太平洋戦争へと無謀な戦争に突入していった帰結が、「ヒロシマ」「ナガサキ」の被爆であり、8月15日の敗戦なのだ。「このバスに乗り遅れるな」というスローガンが力を持ったように、「この御時世で戦争に協力しないとは」とにらまれて「非国民」のレッテルを貼られたら、下手をすると特高警察に引っ張られる時代だ。

 昨日はNHKで『15歳の志願兵』というドラマをやっていた。舞台は昭和18年の愛知一中だった。予科練に志願する生徒はいないかと軍部が照会をかけて、卒業生の軍人が熱烈なアジテーションをしたこともあって、一時は生徒全員が志願するという動きになる。ひとりだけ自分は行かないという訳にはいかないのが、「集団の勢い」というもの。そして、15歳の同級生同士で生き残った者と、戦死した者とに運命は分かれる。

 ドラマは戦死した友人の残した日記を彼の母の前で、生き残った学生が嗚咽しながら朗読するところで終わるが、学生たちを学校から戦場へと駆り立てた教師たちは、どのように責任を取ったのだろうか。「御時世ですから」という一言で、すべてが正当化された後に、
「一億総懺悔」でクルリと転換する教師たちは、軍のリクルーターから「民主主義の伝道師」となった。今、70代半ばの人たちの強烈な「不信」は、教科書に墨塗りをしたこの時代の教室で育まれたものだ。

 戦争で手痛い目にあったはずだが、日本社会には「群れてなだれて」という気質や、「このバスに乗り遅れるな」という脅迫に弱い点など、あいかわらずの部分を残している。高度経済成長、そしてバブルが終わり、「日本の成功神話」も色あせてきた今、ふたたび「強い国家」「強い軍隊」に対する憧憬と、「戦争放棄」をうたう憲法9条を「過去の遺物」の如く扱う人々が台頭してきた。

「何を話してもいい、書いてもいい。外に向けて叫んだっていい」という「表現の自由」は、失ってみてその大きな価値に気づくものだ。もちろん、戦争を知る世代の危機感は強い。しかし、戦争体験者は年々高齢化し、戦後の言論を支えた加藤周一さんや、小田実さんも、井上ひさしさんも、次々と鬼籍に入っている。戦争と戦争犠牲者という大きな犠牲と共に私たちの社会が手に入れた「憲法」の理念と土台にヒビが入ることは、何としても避けたい。







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